スキップしてメイン コンテンツに移動
 

林文科大臣のヨガ店利用について


 林文科大臣が平日の日中に公用車でヨガ・リラクゼーション店を利用していたと週刊文春が報じたことにより、大きな話題になっている。文春オンラインの記事には「林文科相 公用車で白昼“キャバクラヨガ”通い」という見出しが掲げられ、予告記事に掲載された動画には「セクシー個室ヨガ」という文言がある。自分は実際に週刊文春を購入して記事を詳しく読んだわけではなく、いくつかのテレビ番組での報道や新聞等のネット記事でしかこの件を確認していないので、もしかしたら微妙な誤認はあるかもしれないが、個人的には、林大臣がヨガ店を日中に利用していたのが確認された日は、加計学園問題での調査が行われていた当日だそうで、そのようなタイミングであることや、平日の日中という時間帯だったことが公私混同の誤解を受けやすい要素であるとは感じるものの、大臣であろうが、ヨガ店だろうがキャバクラだろうが風俗だろうが、そのような店を利用していても何も問題ないと思う。勿論公費で利用していたのなら話は変わるだろうが、今回はそんな指摘はない。大臣の仕事さえちゃんと行っていれば、プライベートでの行為は、犯罪の恐れでもない限り過剰に批判する必要などない、と考える。


 また公用車の利用に関しても、23区内程度の移動で、完全に公務の一切ない日などでない限り、大きな問題性はないと考える。もし公用車の利用をこの程度でも問題だとするならば、議員らに与えられるJR乗車券だってプライベートでも利用できるのだから、もっと問題を広げなくてはならないだろう。確かに「それらももっと厳しくするべきだ」という声もあるだろうが、個人的にはそれぐらいの利便性を確保してやってもいいと思う。公用車の利用にしろ、ヨガ店・キャバクラ・風俗店の利用にしろ、バカげた程過剰な清廉潔白さを求めて一体誰が得をするのか。というか、批判している者の内のどれだけが、同様の清廉潔白さを有しているのだろうかと疑問に思う。

 自分がこの件に関して最も注目しているのは、林文科大臣のヨガ店利用が適切だったのかどうかではなく、キャバクラヨガとかセクシー個室ヨガなどの表現と、そこに込められた、そして読んだ者が感じる印象・ニュアンス、また、当該店舗経営者を元AV女優と表現したこと、彼女がそれを心外だと否定していることなどだ。まず最初に言っておきたいのは、自分は昨年・2017年12/18の投稿「大宮の火災から考える風俗産業」、1/3の投稿「「キャバ嬢みたい」は失礼?」でも書いたように、水商売を含めた性産業に関わる者を卑下する風潮に強い疑問を持っている。自分は寧ろ、一般的には敬遠されがちなそのような職業に携わる人に強い尊敬の念を持っている。それを前提にこれ以降の文章を書く。
 まず、週刊文春が当該ヨガ店を「キャバクラヨガ」とか「セクシー個室ヨガ」と表現していることについて、週刊文春の記事を読むとキャバクラ、またはセクシー個室ヨガと言う表現のニュアンスから推測できる風俗店を、それらの業種を全て一括りにして見下しているような印象を受け、強い違和感を覚える。要するに「キャバクラ・風俗店のような商売は好ましいとは言えず、そんな店を大臣が利用していいのか?」というようなニュアンスを感じる。キャバクラだろうが風俗だろうが適切な手順を踏んで開店し、法律や条例の範囲内で運営している店を好ましくないなんて決して言えない。大臣の利用は「倫理上の問題だ」という人もいるかもしれないが、それにしたって夫婦間での合意さえあれば問題はなく、あくまでもそれはそれぞれの夫婦間の問題で、他の者が道徳観・倫理観を押し付けるような問題じゃない。また、現在は日本の社会全体に水商売・風俗などは後ろ暗いというような漠然とした認識が蔓延しているから問題化しないのだろうが、自分には職業差別にすら思える
 しかしその一方で、当該ヨガ店のWebサイトを見てみると、一般的に容姿の美しいとされる女性インストラクターが多数在籍していることを全面に出していたり、女性3000円・男性10000円以上という料金設定、何故か男性だけ個別レッスンしかないというシステムだったりと、キャバクラ的な手法が用いられていると言えなくもない。勿論そんなのは他の業種でもしばしばあることだ。例えば美容室でも美男美女の美容師を揃え、それぞれ異性の客を中心に営業しているような店もあるが、キャバクラ美容室とは言わない。だが、当該ヨガ店を見ると男性インストラクターが在籍している様子はなく、男性客にマッサージを行うのも全て比較的若い女性インストラクターであることが前提になっているようだし、さすがに「セクシー個室ヨガ」は言い過ぎかもしれないが、キャバクラのようなヨガ店だと感じる者がいてもおかしくないと感じる。

 また、文春が経営者の女性を元AV嬢と表現したことに関しても、前述のような理由で職業差別的だと感じるものの、その女性が「元AVじゃなくてグラビア」と反論しているのにも同様の職業差別感を感じてしまう。その女性は以前テレビ東京で放送されていた「おねがい!マスカット」という深夜バラエティに出演していた庄司ゆうこさんだ。その番組はAV女優やセクシーグラビアアイドルなどを集めたアイドルバラエティ的な番組で、自分はAV女優らが、誤解を恐れずに言えば、人間扱いされていた番組で、彼女たちの地位向上に一役買った番組だと思っている。庄司さんは当時脱がないグラビアアイドルとして出演していたが、その後ヌードグラビア、ヌードイメージDVDなどにも挑戦している。彼女が絡みのある所謂アダルトビデオに出演したことはないようだが、グラビアアイドルのイメージDVDはヌードが含まれていなくても、一般向けサイトで扱われる商品と成人向けサイトで扱われれる商品に大きく分けられる。彼女の出演した作品には一般向けサイトで扱われていたものもあるが、ヌードが含まれていた作品などは当然成人向けサイトで扱われており、成人向けサイトで扱われていた作品の中には、有名なAVメーカーのソフトオンデマンドから発売されていた作品もあり、元AV女優なのか、ヌードグラビア作品に出演していたアイドルだったのかについては微妙な線引きとも言える。
 もしかしたら、少し前から問題になっているAV強要問題と似たような状況があり、本人はやりたくなかったのにヌードイメージDVDに出演し、その際に「絡みはないからAV女優じゃない」と説得されたのかもしれないし、それが彼女の尊厳を守っている部分があって「元AV女優と言われるのは心外」と本人は言っているのかもしれない。

 しかし別の視点で見れば「元AV女優と言われるのは心外だ」ということは、ある意味ではAV女優を見下しているようにも思える。それは単に「事実に反する」と言っているだけなのかもしれないし、世の中にAV女優や風俗嬢を見下す風潮が確実にあるから、それを受けて彼女も明確な悪気はなくそう言っているだけなのかもしれない。また、もしかしたらプロ意識を持ってAV女優をしている者からすれば「絡みもやってないのにAV女優なんて認められない」と感じている者もいるかもしれないし、自分の「ある意味ではAV女優を見下しているようにも思える」という思いなど余計なお世話なのかもしれない。
 しかし、文春や一部のテレビ番組などでキャバクラや風俗店を見下しているように見える報道をしていること、それを見ても違和感を感じない視聴者・読者・ネット利用者が大勢いること、大臣や当該ヨガ店の経営者が「そのような店じゃない」とか「元AVじゃない」と躍起になって否定している姿、否定せざるを得ない状況を見ていると、まだまだ性産業に対する滑稽な偏見(どのように滑稽なのかについては12/18の投稿参照)が蔓延っていることを再確認させられた。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。