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セクハラに対する認識の低さ


 財務事務次官のセクハラ問題が取り沙汰されて以降、セクハラに対する様々な主張があちらこちらで行われている。以前にもこのブログのどこかで書いたように個人的には、財務事務次官のセクハラ発言問題については、セクハラ行為自体の問題と、充分とは到底言えないような認識に基づいて財務大臣や官房長らがその案件に対応した問題の、2点に切り分けるべきだと考える。ただ、どちらの問題もセクハラに対する適切な認識が欠けているから発生している問題という共通性はあるかもしれない。ネット上のセクハラ関連記事を見ていても、彼らと同じように適切な認識に欠けているコメントを投稿する者が決して少なくないことが分かる。そんな状況が変わらない限り、セクハラ問題が解決することはないだろう。流石に全ての犯罪をこの世から無くすのがほぼ不可能であるように、セクハラも人間に感情がある限り根絶はあり得ないのだろうが、それでもこのままでは状況の改善は望めないだろう。


 自分がよく目にする違和感のある主張は、「夜中に呼び出されてのこのこ出て行ったのだから、セクハラされても仕方がない」という主張と、「こんな事ぐらい(おっぱい触らせて、キスさせて)ぐらいでセクハラ認定されたら、怖くて女性と話せない」という主張の2つだ。
 まず前者について、「夜中に呼び出されて応じたらセクハラされても仕方がない」ということは、「夜中の呼び出しに応じる女(勿論男でも)は、無条件に自分に気がある、性的な行為を拒まない」という判断が概ね正しいと思っているということだろう。ハッキリ言って勘違いも甚だしい。4/27の投稿で触れた、TOKIOメンバーが女子高生に同意なくキスした件についても「キスぐらいで警察沙汰なんて考えられない、そもそも男の部屋に行った女子高生にも責任がある」などと主張する者がいる。このように主張する者も、「女性が(勿論男性でも)異性の個人宅、若しくはホテルなどに、ついて行ったり、出向いたりするということは性的な行為を受けることを認めている」と少なからず思っているのだろう。どう考えても都合の良い勘違いでしかない。極端に言えば「多くの女性は痴漢されて喜ぶ」「レイプされて喜ぶ女性はそれなりにいる」などの、性犯罪者が自分の行為を正当化する際の思考に似ているとすら思う。流石にそのような思考と全く同じは言い過ぎかもしれないが、自分にはその一歩手前のような考え方に基づいた加害者側に都合の良い話だとしか思えない。
 また、このような考え方は女性(セクハラ被害の多くが女性で、現在話題になっている案件の被害者も女性なので便宜上女性と書く)に対する侮辱になるだけでなく、男性も侮辱していると自分は思う。「夜中の呼び出しに応じたら、又は相手の部屋に行ったら、性的な発言を受けても、キスされても仕方がない」のだとしたら、「概ね殆どの男性はそのような状況になれば、女性の同意なく襲い掛かる恐れがある」ということになりそうだ。例えば、熊のいる檻の中に自ら入れば、襲われたり噛み付かれたりしても”仕方がない”だろう。しかし同じ肉食系の動物でも、犬のいる檻だったならば、襲われたり噛み付かれたりしても”仕方がない”という人は少ないと思う。それは、熊=基本的に人を襲う動物、犬=人を襲う恐れはあるが、襲わない場合も多い、という認識が一般的だからだ。この考え方から男性は熊に近いのか、犬に近いのかを考えると、”仕方がない”と言っている人は男性=熊だと思っているのだろう。要するに男性の多くは相手の同意なく襲い掛かる存在という前提が無ければ、”セクハラされても仕方ない、キスされても仕方がない”という発想にならないのではないだろうか。”仕方ない”と思っている人達は熊なのかもしれないが、自分は一緒にされたくない。
 このようなことから考えれば、「夜中に呼び出されて応じたらセクハラされても仕方がない」という主張は、夜中に呼び出しに応じることは「異性として気がある」ということとイコールではない、大多数の男性は相手の同意なしに襲いかからない、ということを理解していれば出来ない主張だと考える。

 また後者の「こんな事(おっぱい触らせて、キスさせて発言)ぐらいでセクハラ認定されたら、怖くて女性と話せない」という主張も全然頷けない。BuzzFeed Japanが「ひどすぎる... 女性が職場で受けたハラスメントの実話21集」という記事を掲載しているのだが、その中に
男の同僚に豊胸手術を真剣に考えるべきだと言われた。それからそんなに化粧が濃いと男ができないぞと言われた。 そのころ私は17才だった。別の男性の同僚がその行為を上司に報告した。上司はすぐにその男をクビにした」
という話がある。これを読むと「豊胸手術を薦めるなんて、どんな場合でも問答無用でセクハラだ」と思う人もいるかもしれないが、自分はそうは思わない。確かにこの話の条件・17歳の同僚の女性に対しての発言としては確実に不適切だ。クビにされて当然の発言だと思う。しかし、男の同僚が、人気が出なくて真剣に悩んでいる仕事に前向きなポルノ女優の相談に対して、そのセリフを述べたのならばセクハラにはならないだろう。単なる仕事上のアドバイスだと考える人の方が多そうだ。「そんなに化粧が濃いと男ができないぞ」という発言も、その言葉を向けた相手が「彼氏が出来なくて悩んでるんだけど、何故だと思う?」と聞いてきた女性の同僚だったなら、セクハラには当たらないと思う人の方が多いのではないだろうか。
 要するに、セクハラになる場合が多い表現はあるが、どんな時も絶対、有無を言わさず、問答無用でセクハラになる発言は相当少ない。逆に言えば、セクハラにならない場合の方が多い表現もあるが、絶対、どんな場合でも、誰が聞いても見てもセクハラにならない発言というのもそうは多くない。例えば「私と付き合わない?」と聞くことは、流石に1回口にしただけでセクハラ認定、勿論言われた側が認定しようとすることはあるかもしれないが、誰が見てもセクハラだと多くの人が思う、というようなことにはならないだろう。しかし、上司が部下に、相手が望んでいないのに何度も何度も言い続けるなどすればセクハラに当たる恐れは確実に高まる。
 「だったら嫌悪感を表明して欲しい」と思う人もいるだろうが、立場が低いものが高い者に対して、容易に嫌悪感を表明出来るような社会的環境が既にあれば、セクハラも、そしてパワハラも、そもそも社会問題化などしていないだろう。勿論最も理想的なのは嫌な事を嫌と言える環境が整う事だろうし、嫌な事を嫌だという意思表示をするように誰もが務めるべきなのだろうが、少なくとも今の社会状況においては、立場が上の者には立場が低い者へより配慮する責任がある、と思う。深刻な事態になってしまうセクハラは、多くの場合立場の差によって起きる、パワハラの側面が強いと自分は考える。勿論プライベートでの人間関係の中でもセクハラは起きるかもしれないが、関係性が概ね対等ならば相手と距離を置く、という選択をすることはそんなに難しくないし、 それでも執拗に性的な嫌がらせをしてくる場合は、セクハラというより寧ろストーカー事案的な側面の方が強いのではないかと思う。
 セクハラになるか否かに関して「イケメンだとOKで不細工だとNGかよ」などと言う者もいるが、結局それも本質が理解出来ていないのだろう。イケメンだとなら総じてOK、不細工なら総じてNGなどという話ではなく、自分と相手のコミュニケーション上の距離感の問題だ。そこにはお互いが感じる印象も要素として確実に絡んでくる。不細工でも身なりや振舞いから清潔感が感じられる者と、イケメンでも身なりや振舞いに嫌味な雰囲気が滲み出ている者を比べたら、同じ行為をしたとしても概ね後者の方がセクハラ認定されやすいはずだ。これでも「平等じゃない」などと感じるなら、人は全ての人に厳密に全く同様に接し、同じ対応をしなくてはならないということになりそうだ。要するに「好きな人とそうでない人がいる、というだけですら平等の精神に反する」なんてことにもなりかねない。

 「ささいなことでもセクハラ認定されそうで怖い」という視点が全く理解できない訳ではない。前述のようなことを理解していたとしても、世の中には過剰にセクハラ認定しようとする人がいることも事実だろうから、「いつどこで不当にセクハラ認定をされそうになるか分からない」という懸念は自分も感じる。それは満員電車の中では勘違いで痴漢扱いされる恐れがある、などの懸念と似たような視点だ。ただ、そのよう観点に基づいて、財務大臣が「男の番(記者)に替えればいい」などと発言したような発想は大きな間違いだ。政治家や官僚などの取材対象は圧倒的に男性が多く、同性にしか取材させないという対応がなされれば、確実に女性の仕事の機会を奪うことに繋がる。結果的に女性を排除することになり、それでは明らかに性別による差別になってしまう。
 「ささいなことでもセクハラ認定されそうで怖い」と思う者が、異性と個人的に距離をとるのなら何も問題はないだろうが、制度的、若しくは組織的、そしてそれが社会的な風潮になれば確実に性差別的な側面が生まれる。また、毎日何件も交通事故が起き、確実に死亡事故も起きているのは事実だが、それを理由に「交通事故が怖いから家から一歩も出ない」という選択をする者などほぼいないことは多くの人が理解できるだろう。ということは、過剰なセクハラ認定をしようとする者が一定数存在することが事実であっても、「異性とのコミュニケーションを一切遮断する」という極端な対応を検討することは、とても不自然なことだと理解出来て然るべきだ。
 これが理解出来ても尚「不当なセクハラ認定怖い」と頑なに言い続ける者は、寧ろ「私は適切な認識を持っていない恐れがあり、セクハラに該当する発言を無意識にするかもしれない」と自ら言っているようにすら思える。言い換えれば、何がセクハラに該当し、何が該当しないのかを考えること自体を放棄している、若しくは考えない方が都合が良いと思っているようにも見える。自分の頭でしっかり考えれば、そのような不安の大部分は取り除けるはずだ。

 こんな風に考えると、堂々と「夜中に呼び出されてのこのこ出て行ったのだから、セクハラされても仕方がない」、「こんな事ぐらい(おっぱい触らせて、キスさせて)ぐらいでセクハラ認定されたら、怖くて女性と話せない」言えてしまう者がいる限り、セクハラが起きる状況を改善することは難しいだろう。これも何度もこのブログで書いているが、国の副総理大臣がこれと似たようなことを言っている限り、改善などあり得ないだろうし、場合によっては他国から「日本人の多くはそんな考え方だ」と思われかねず、かなり深刻な状況であると自分は考える。

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