ハイネケン・ライトというビールのCMの表現が差別的だと話題になっているそうだ。3/28のハフポストの記事「ハイネケンが新CMを取り下げ 「人種差別的」「炎上狙い」と批判殺到」によると、ハイネケンは指摘を受け、テレビでの放送を中止し、Youtubeでの広告を取り下げたようだ。問題視されたCMは、バーテンダーがハイネケンライトのボトルをカウンター上で滑らせると、黒人女性や黒人男性ギタリストの前は通り過ぎ、肌の色が濃くない女性の前で止まる。そして「Sometimes,Lighter is Better(場合によってはライトな方がいい)」というコピーが表示されるという内容だ。
指摘を受けてハイネケンの広報担当は雑誌・Newsweekで「この広告は、『ハイネケン・ライト・ビール』の商品名について表現したものだと私たちは考えていましたが、的外れでした。反響を真摯に受け止め、今後の広告に活かしてまいります」という声明を発表したそうだ。
個人的には、記事で紹介されている程度の強さで批判する程の悪意を、このCMの表現からは感じられない。ただその一方で、これまでの差別が横行してきた歴史、そして一部にそのような過去を称賛するような、称賛は言い過ぎでも容認するような人が少なからずいることなどを考えれば、欧米で白人とそれ以外の人種の間に相応の認識の差があることへの配慮が欠けているようにも思える。しかしそれでも、公開中止に追い込む必要があったのか、企業側は公開中止する必要があったのかは疑問だ。自分の判断基準では、ブラックユーモアの範疇だと思う。
確かに、この表現は「肌の色が薄い、要するに黒人よりもアジア人、アジア人よりも白人の方が素晴らしい」と言っているようにも見える。しかし、そのように見える理由は、見ている側にそのような感覚があるからでもあると自分は考える。ハフポストの記事では、Chance The Rapperという、この件について強く批判しているヒップホップアーティストのツイートを紹介している。彼は、
企業は、人種差別的な表現と認識した上でわざと広告に使用し、視聴数を稼ごうとする場合もある。
と主張している。彼の言うように、ネガティブな意味で話題になっても、ハフポストのように記事化するメディアが現れ、それを読んだり、SNS上で話題なることで、多くの人が確認の為にCM動画の視聴すれば、結果的に、ハイネケンという名前の認知度は高まるだろうから、プロモーションとしては成功かもしれない。しかし、ということは、彼もそのプロモーションに加担していることになる。
それも理解しているのか、彼は
こんなことをツイートするのはとても嫌だ。でもやらないわけにはいかない(それを指摘しないわけにはいかない)。
とも述べている。確かに、企業などが所謂炎上させる手法でプロモーション効果を高めようとしている可能性もある。しかし別の視点から見れば、この件が些細な事かどうかは別として、些細な事でも目くじらを立て炎上させようとする者がそれなりに存在しているから可能な手法でもある。Chance The Rapperさんは、
不買運動しろとか、炎上させろと言っているんじゃない。
とも言っているが、ハイネケンのこのCMが彼の指摘するような手法ならば、寧ろ不買運動でもしない限り、同様の手法はなくならないように思う。
前述のように、気持ちの良いCMではないが、公開中止に追い込む必要まではないと個人的には考える。例えば、2017年10/10の投稿や10/14の投稿で取り上げたダブのボディウォッシュのCMで用いられた、ボディウォッシュで洗うと黒人から白人に代わるというような、あからさまに黒人=汚い・白人=綺麗を連想させるような表現は批判されても仕方ないし、公開中止に追い込まれるような表現だと感じるが、昨今は、まるで”誰か一人でも差別と感じたら差別”というような、誰か一人は言い過ぎだとしても、少し過敏になり過ぎているように感じる。確かに、過敏にならざるを得ないようなこれまでの歴史や経緯、そしてその影響が色濃く残る現状があることは重々承知しているが、過敏になり過ぎたところで一体誰が得をするのかという気もする。
過敏になり過ぎると気軽に冗談も言えない世の中になり、その影響で人々の間、特に異なる民族・人種・文化圏の間でのコミュニケーションを委縮させかねない。そうなれば更にそれぞれの間の溝は深まるかもしれない。戦争と似たような負の連鎖が続くように思えてならない。
誰もがもう少し寛容になった方がいいんじゃないか?と自分は考える。