「セクハラ罪っていう罪はない」。5/5の投稿でも触れた麻生大臣のブッとんだ発言だ。「『ブッとんだ』なんて酷い言いようだ」と感じる人もいるかもしれない。ただ、その発言の経緯を考ればあまりにも的外れな話だし、セクハラされた側が今後カミングアウトすることを委縮させるような主張を、事の発端になった加害者の上司で、しかも副総理大臣という我が国のNo.2のポジションにある者がしていることを考えれば、「ブッとんだ」という形容でもまだ足りないようにすら自分は感じている。当然のように、この発言は各方面から批判の集中砲火を受けているし、NHKの記事「「いじめ罪があるかと」野田氏 麻生氏“セクハラ罪”発言を批判」などが報じているように、閣内の野田聖子大臣など、所謂身内からも「適切な表現ではない」と批判を受けていた。
にもかかわらず、 毎日新聞の記事「政府 「セクハラ罪」存在せず 答弁書を閣議決定」などによると、政府は5/18の閣議で、「現行法令において『セクハラ罪』という罪は存在しない」との答弁書を閣議決定したそうだ。麻生氏の発言「セクハラ罪っていう罪はない」について、一体どこの誰が「現行法令にセクハラ罪という罪があるのに、麻生氏は誤認している」と批判しているのだろうか。閣議決定がなされたということは、批判する姿勢を示していた野田氏も含めて、そのような批判がなされているというのが現内閣の共通認識だということなのだろうか。何をどう批判されているのかすら認識できない程、自国の政府が劣化しているということを目の当たりにしたようで何とも言えない気分にさせられた。しかも公にそんな事を主張しているのかと思うと、これでは他国に「日本って国はその程度です。中国のように一党独裁が強制的に行われている訳ではなく民主的な方法で政権を選んでいるのに、国民もそんな政府に概ね違和感を感じないような程度の国なんです」と恥ずかし気もなく表明しているようで、ため息しか出ない。
同じ閣議で、共同通信の記事「政府、愛媛県との面会確認困難」などによると、柳瀬 元首相秘書官が、2015年に愛媛県関係者と官邸で面会していたか確認することは困難だとする答弁書を決定したそうだ。曖昧な記憶しか示せない人と、当時の備忘録や面会時に受け取ったとする名刺を提示して「柳瀬氏の記憶は正しくない」と主張している人がいるのに、確認することは困難なら、今後は状況証拠だけしか示されず、決定的な証拠が示されない場合は、厳格に推定無罪の原則を我が国の国家権力は尊重していくんだろう。もし実際にそうなるのならば、警察が強引に自白を強要したり、検察が状況証拠のみを根拠に立件しようとするなどの案件がしばしば報道される現実を考えれば、確実に好ましいことだが、果たして本当にそのような状況になるだろうか。個人的には結局国家権力側が追及を受けた場合にだけ、推定無罪の原則が厳格に重視されるような気がしてならない。
更に、読売新聞の記事「森友文書改ざん、佐川前長官不起訴へ…大阪地検」などが伝えているように、大阪地検は虚偽公文書作成容疑での告発状が出ている佐川 元理財局長らを嫌疑不十分で不起訴にする方針を固めたそうだ。国有地売却を巡る背任容疑で告発された当時の財務省近畿財務局幹部らも同様に不起訴にする方針らしい。
公文書改ざん の件が不起訴になる主な理由は、あれだけ多くの部分が書き換えられたり削除されているにも関わらず、「書き換えや削除があったのは事実だが、概ね文書の趣旨が変わったとは言えない」という判断に至ったからだそうだ。個人的にはこれでは「今回程度の改ざんは、法的な改ざんには当たらない」という、「戦闘という表記はあるが、法的な戦闘には当たらない」などのような、どこかで聞いた論法が今後更に大腕を振って歩きだすことになる、言い換えれば、大阪地検が官僚や政府に「今回程度なら改ざんしても構わない」と宣言したようにすら感じられる。勿論そんなことが許されることにならないように、NHKの記事「公文書改ざんを禁止する法案 野党が衆院提出 違反者には罰則も」などが伝えているように、それを今後防ぐ為の法案が検討されるのだろうが、これまで法に記述するまでもなかったような、ごく一般的で至極当然の認識が、現在の政府や官僚組織には欠けているということの裏返しでもあり、言い換えれば程度の低さを露呈しているとも言えそうだ。この件も「政府 「セクハラ罪」存在せず 答弁書を閣議決定」の件同様、日本の政府のご都合主義的な姿勢と、それに逆らえない捜査機関・司法機関、という恥ずべき現状を世界中に露呈しているように感じる。
公文書の改ざん が概ね許されてしまうような国と、まともに向き合ってくれる国が存在するだろうか? 自分には存在するとは思えない。何故なら、例えば、現韓国政権が2015年末の日韓合意を実質的に反故にしたり、北朝鮮が、最新の2012年の核開発凍結に関する合意に限らず、これまで何度も国際的な合意を反故にしたり、またアメリカ大統領がTPPやパリ協定、イラン核合意から一方的に離脱すると宣言したり、国連決議に反してエルサレムをイスラエルの首都と認定した際に、どのような批判を受けたかを考えれば、一度決まった事を合理的な理由なく覆すとどんな反応があるのかは明白だ。
公文書の改ざん の件が不起訴になったという事は「一度決まったことを覆えしたとまでは言えない」という判断なのだろうが、自分にはそうとは到底思えないし、他の国の政府や市民が「一度決まったことを覆えしたとまでは言えない」という日本の捜査機関の判断を肯定的に捉えるとも限らない。というか寧ろ自分には概ね肯定的に捉えてなど貰えないとしか思えない。
昨日はあまりにも残念な事案があまりにも多く、日本の将来は決して明るくない、明るくないどころか寧ろ暗く、中国のような社会に徐々に近づいている、さらにエスカレートすれば北朝鮮のような社会にすらなりかねない、と感じさせられた日だった。