毎日新聞が「政務三役、公務にLINEや私用メール 危機管理より利便性 情報漏えいの恐れ」という記事を掲載している。見出しほぼそのままの内容だ。政務三役とは各省の大臣・副大臣・政務官のことだが、この記事で紹介しているのは現役の政務三役の話ではなく、数人の経験者(匿名)と、実名で取材に応じた福田峰之・元内閣府副大臣の話だ。
記事を読んでも、財務省の公文書改ざんが発覚した時や、自衛隊・防衛省で南スーダンの日報隠蔽の反省が活かされずに、イラク日報も隠蔽されていたことが発覚した時程の衝撃は感じなかった。「今の政治家や官僚の意識なんてそんなもんだろう」というような印象だった。これだけ頻繁に、そして深刻な”あり得ない”事態が起きているからということもある。勿論それでも、この件も憂慮すべき事態であることには変わりないが、今の政権には”あり得ない”なんてこれまでの常識は通用しない、と自分は既に思っていた。だから驚きなんて感情は湧かなかったのだろう。また、この件にしても他の件にしても、今の政権下では自浄作用など期待できないとも感じている。
記事は、いくつかの政務三役経験者の発言を紹介している。当然記事の伝え方に問題が無ければ、ニュアンスが実際の発言と大きく乖離していなければという前提でだが、適切な認識が欠けていると感じる発言ばかりだ。
まずは、
- 官邸幹部は忙しくて電話がつながらないから、大事な情報は(ガラケー )メールで伝えていた
- (公用メールを送受信できる公用スマートフォンは)返却後に使用記録を見られることに不安があって、ほとんど使わなかった
- 現場視察など庁外での仕事が多いのに、副大臣室備え付けの公用パソコンでしか(公用メールを)使えず、副内閣相には公用スマホの貸与もなかった。そのため私用スマホでLINEを多用した
- 公用メールが使いづらいから私用メールを使わざるを得ない。公文書の保存とセキュリティーの両面からの議論が必要だ
に関してだ。どの発言も概ね公用メールが使い難いシステムであることを、私用の通信手段を主に使用していた理由に挙げている。例えば、各省庁の職員が「公用メールは使い難いシステムだから敬遠しがち」という見解を示しているのなら、容認できなくとも理解はできる。しかし、政務三役という各省庁の首脳がそんな事を主張するのは理解出来ない。何故なら、彼らはそのようなシステムの改善命令を出せる立場だからだ。公用メールは使い難いと感じたなら、私用メールを使うのではなく、使いやすいシステムにすること・させることも彼ら責任者の仕事だ。一番最後の発言を見れば、前述のような懸念を理解した上で適切に対処していなかったことがよく分かる。「議論が必要だ」なんて、これまで議論せずに私用の通信手段を安易に使っていた者が言うセリフではない。責任者としての意識が欠けていることを裏付けるような発言だ。
自分たちのやり取りの内、都合が悪いものは全てオフレコにしたいという意図が如実に現れている
- (公用メールを使わなかったは)役所のサーバーに(情報が)残るため、官僚に盗み見られかねない
- LINEは電話でしゃべっているのと同じ。これを公文書と言うなら電話の会話も録音して保存しないと不公平だ
という発言もある。官僚に見られたら都合が悪いこともそれなりにあるだろうことは理解出来るが、その懸念を理由にして私用メールや一般的なコミュニケーションアプリを使用すれば、もっと見られては不味い者、例えば日本以外の国の悪意ある諜報機関、国内外問わず何かしらの犯罪者などに情報を盗み見られる恐れが出てきそうだ。「公用メールだって完全じゃない」なんてことを言う者もいそうだが、もし、公用メールに充分なセキュリティ対策がなされていないのなら、それこそ大きな問題になりそうだ。
また、LINEなどの通信アプリと電話は同じではない。公的な記録として残すなら電話による音声通話よりも、文字データによる通信の方が有利だが、公用メールを利用するべきだ。当然通話にも盗聴の恐れはあり、メールやコミュニケーションアプリと同様に情報流出する恐れはある。しかし、音声通話は意図的に録音しない限り、やり取りの内容は残らないが、文字データでやり取りするメールやコミュニケーションアプリは内容が基本的にデータとして残る。情報流出という観点で考えれば、基本的にやり取りの内容が保存されない電話による音声通信の方が懸念は低くなる。これでも同じだと言えるだろうか。
何より自分が大きな不信感を抱いたのは、
- 在任期間はせいぜい数年だから、つい私用パソコンや私用メールを使ってしまうが、そこをハッカーに狙われる怖さはあった
という発言だ。各省庁の政務三役が全てそうだとまでは言わないが、この発言から感じられるのは、自分の在任期間はたった数年しかないから、という全然容認できない話を根拠にした責任感の低さだ。しかも、私用の通信手段を使用することについての懸念を、ある程度理解はしているかのような事を言っているのに、その程度の危機意識しかなかったことにも驚く。恐らく取材を受けて「何か問題でも?」とは言えなかったから、問題性への認識もあったという姿勢を示したのだろうが、発言の前半部分が本心なのだろう。
誰もがその見出しからまず連想するだろうが、記事でもその後半部分で「ヒラリークリントン氏の私用メール流用事案」についても言及している。また、現在国外の政治的な場面では、このようなことについて、どのような認識が一般的なのかも紹介している。記事によれば、国外でもまだまだ適切な対応の定義は確定していない、適切な認識が広がっているとは言えないようだが、それでもヒラリー氏の件を知らないはずはないのに、日本の政府の中ではこの程度の認識しかないことはかなり残念だし、政務三役を務めるということに関して、単なる肩書作りの腰掛としか考えていない者がそれなりにいるという懸念を感じてしまう。
勿論安倍政権から他の政権に、勿論与野党関係なく、変わればこの傾向が変わるとは言えないかもしれない。しかし、少なくとも現政権下では、腰掛さ加減を露呈する大臣も複数いたし、この状況が変わることはないように思う。