世界的に有名な自転車レース・ツールドフランスで、これまで優勝者に祝福のキスを贈っていたポディウムガール(ポディウムは表彰台のような意)の廃止を検討している、とAFP通信などが伝えている。AFP通信の記事によると、
自転車レース「ツール・ド・フランス」の優勝者に「セクシー美女」たちが表彰台でキスを贈る慣行は「性差別を助長するステレオタイプ」だとして、仏パリ市がこれを廃止しようとしている。
とのことで、このような検討が行われている背景には、2/3の投稿でも触れたF1のグリッドガール廃止や、ツールドフランス同様に世界的に有名な自転車レース・ブエルタ・ア・エスパーニャが昨年既にポディウムガールを廃止したことがあるようだ。
この件に関しても、F1のグリッドガール廃止同様に賛否両論が持ち上がっている。個人的には「優勝者にセクシー美女たちが表彰台でキスを贈る慣行」が「差別を助長するステレオタイプ」とは思えない。
”セクシー美女”、勿論自分が参照しているのは日本語に翻訳された記事なのでフランス語の記事や、パリ市のコメントがこのニュアンスと乖離している恐れはあるだろうが、このセクシー美女という表現が概ねその意味で用いられたのなら、ある意味その表現自体にも性差別的な意味合いが含まれていると思う。エンターテインメントの世界で重用されがちなのは、ポディウムガールに限らず、そして男女問わず一般的に容姿が優れていると言われる人たちだ。そんな観点で言えば、ポディウムガールをセクシー美女と表現することに大きな間違いはないとも言えるだろう。しかし、ポディウムガール=セクシー美女 のような表現をしてしまうと、セクシーさだけで選ばれている女性かのような印象を与えかねず、女性全体ではないかもしれないが、少なくともこれまでポディウムガールを積極的に務めた女性を貶しているようにも見えてしまう。
自分がこの記事を見て真っ先に思い出したのは、昨年大流行したブルゾンちえみ With B の35億ネタだ。女性芸人のブルゾンちえみさんが両サイドに所謂容姿の良い男性2人を従え、しかも上半身裸にさせて女王ような振舞いでデキる女性を演じるというネタだ。構図的には表彰台の上で優勝者が両サイドに女性を従えるのによく似ている。ネタではキスこそしないが、男性を上半身裸にさせるという表現は性的なニュアンスを少なからず想起させる。
このネタが性差別的だという指摘はこれまで一切聞いたことがないし、また、似たようなシチュエーションの場面は映画、ドラマ、ミュージシャンのプロモーションビデオなど、エンターテインメントの世界では頻繁に見かける場面だし、それらに対して「性差別的だ」という指摘が多く寄せられているという案件も聞いたことがない。そんな観点から、これまでのポディウムガールの多くが本人の意に反して強制的にキスさせられていたならまだしも、そうでないなら「優勝者にセクシー美女たちが表彰台でキスを贈る慣行」が直ちに「差別を助長するステレオタイプ」に該当するとは思えない。
ツールドフランスは長い間男性だけが争うレースだったが、2014年に女性のトップ自転車レーサーらが男子と同様のレース環境の整備を求め立ち上がり、ラ・クルス by ツールドフランスという女性部門と言うべきレースが始まった。このような形で男女の差を埋めようというのなら理解もできるが、ポディウムガールの廃止はモデルやタレントとして活躍したいと願う女性の機会を奪うという側面もあり、自分は一体誰が得をするのか理解に苦しむ。
例えば「キスという行為に性的なニュアンスを感じる人もいるだろうから、祝福のキスはやめましょう」という判断ならまだ容認できる余地もあるが、「ポディウムガール自体を廃止しましょう」というのは、恥ずかしながら、我が国の財務大臣が省の管理職等取材の対象になる人物の殆どが男性であることを踏まえて、セクハラが問題になるなら「番記者は男性だけにすればよい」という旨の発言をしたことと大差ないのではないか?と自分は考える。
ポディウムガールをもし廃止するのなら、性差別の解消を目的とした施策であるにも関わらず、女性が活躍する場を結果的には奪ってしまうという、ある意味では性差別を助長するような結果が引き起こされるという矛盾が生じてしまうのではないだろうか。