昨日の投稿でも「柳瀬氏のような記憶力も充分でなく、それを補完する為のメモ書きも残さないような人物の証言をいくら聞いても意義は薄い」という持論を書いた。要するに彼が政権側に都合のよいことを言おうが、若しくは逆に、加計学園問題に関する疑惑を追及している野党側に都合のよいことを言おうが、どちらにせよ手放しには信用出来ないということだ。10日に彼を参考人招致した審議の中で、彼は質問を受けて新たに複数の”彼の記憶”について話した。すると翌日、これまでも柳瀬氏の証言に疑問を呈していた 中村時広 愛媛県知事が会見を開き、柳瀬氏が否定していた面会の場にいたとされている愛媛県職員の話と、柳瀬氏の話は大きく異なると明かした。中村知事・愛媛県職員の主張の方が正しいのなら「柳瀬氏が何を言おうがその意義は薄い」ということの説得力は更に高まる。
柳瀬氏の話と、愛媛県職員の主張が異なる点は朝日新聞が「「過去にないウソつき政権」自民内に危機感 加計問題」という記事にまとめている。この見出しの付け方はやや感情的であまり好ましいとは思えないし、「柳瀬唯夫・元首相秘書官の答弁と中村時広・愛媛県知事の説明 両者の主張の違い」という表現も、実際には知事の説明ではなく愛媛県職員の説明で、知事はそれを代弁しただけだ。そのようにいくつか気になる点はあるものの、両者の主張の違いについては分かりやすくまとめられている。
この記事でも触れられているように、柳瀬氏が「加計学園関係者と面会したが随行者に愛媛県や今治市の職員がいたかは分からない」と主張しているのに対し、中村知事は職員が柳瀬氏と名刺交換をしたと主張しているとし(要するに愛媛県の職員がいたか分からないという柳瀬氏の主張の苦しさを示唆し)、交換した名刺を会見で提示したようだ。
これについて、テレビにもコメンテーターなどとして出演している元経産官僚の宇佐美典也さんが次のようにツイートしていた。
名刺を交換した、しないが国家の一大事のように議論される国権の最高機関(笑)— 宇佐美典也 (@usaminoriya) 2018年5月11日
率直に言って、彼の言うような、名刺交換したしないが国家の一大事かのように国権の最高機関で議論されている事実があるとは言えない。加計学園問題の最も重要な部分は、首相の友人に特別の便宜が図られたのではないか?という事だし、現在懸案になっている柳瀬氏に関しても、その事実を隠す為に国会で虚偽答弁をしたのではないか?という疑惑がかけられ、名刺交換したかしないかは柳瀬氏の答弁が虚偽であるか否かに関する要素の一つでしかなく、名刺交換したか否かが国家の一大事として議論されているとは間違っても言えない。名刺交換という部分にだけ注目して「国家の一大事のように議論されている」というのは、事態を曲解していると言ってもいいのではないか。注目する点が的はずれと言う点では、麻生氏の「セクハラ罪という罪はない」発言に匹敵するように自分は感じる。
宇佐美さんはその後、
政府も野党も両方バカげてるでしょ https://t.co/KEO0ZSkZ9b— 宇佐美典也 (@usaminoriya) 2018年5月11日
政府がーとか、野党がー、とかどうでもいいからこんな馬鹿げた国会どうにかしろってのが大半の人の感覚だと思うよ。— 宇佐美典也 (@usaminoriya) 2018年5月11日
ともツイートしており、彼が前述のツイートで言いたかったのは「名刺交換云々自体を批判したいわけでなく、積極的に対応しようとしない政権与党側も、追及しきれない野党側も含めて国会が適切に機能していない」ということなのだろうとも感じた。しかし、ツイッターとは各ツイートが独立した主張になっているし、誰かのリツイートを見ている人には前後のツイートなどは見えない。要するに、宇佐美さんの「名刺を交換した、しないが国家の一大事のように議論される国権の最高機関(笑)」というツイートだけしか見ない人も多々居る。そんな人たちには宇佐美さんの思いは伝わらない恐れが高い、伝わらないどころか自分が前段で指摘したように「宇佐美さんは何か勘違いしている」ようにすら見えるだろう。また、彼はテレビにコメンテーターとして出演するような立場でもあるので、彼のツイートを都合よく捉えてしまう者も決して少なくない。それは当該ツイートへのリプライを見ていてもよく分かる。要するに彼は正しいとは言い難い曲解を流布するのに一役買っているとも言えそうだ。
宇佐美さんは、せめて後に紹介した2つのツイートを、最初のツイートにスレッド化しておくべきだったのではないか。そうすれば曲解を流布する意図が彼になかったことをもっと感じられたかもしれない。しかし実際にはそうなっていないので、自分には、後の2つのツイートは最初のツイートに対する指摘を受けて、後付け的に主張しているようにも見えてしまう。
このブログで再三指摘しているが、ツイッターのような短文での主張は誤解を生む主張になりやすい、若しくは主張が極端になりやすい側面がある。確かにツイッターは単なる独り言の投稿という体裁で生まれたSNSなので、元来は誤解を生みやすく極端な主張もある程度許容すべきなのかもしれない。しかし、自宅の誰もいない空間で独り言を言ったり、その思いを誰の目にも触れない日記に書いたり、頭の中で言葉にしない独り言を空想するのとは確実に違う。閲覧制限をかけていないアカウントでのツイートは世界中に向けて発信しているのだから、単なる独り言では済まない側面も確実にある。根拠のない誹謗中傷なんて勿論言語道断・言うまでもないが、誤解を生まないような表現を利用者の誰もが心掛ける必要が確実にあると自分は思う。
国語の勉強の中で、他者とのコミュニケーション・特にSNS上で誤解を生まない為に心掛ける必要のあることなどを、もっと積極的に教えて生徒と一緒に考えることが必要なのではないか。優秀とされている元官僚のコメンテーターですらこのようなツイートをしているのを見るとそう思えてならない。