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認可取得過程で嘘をついた加計学園


 昨年・2017年7/24の予算委員会で安倍首相は、加計学園が国家戦略特区として、獣医学部の新設を申請しているという事実を「2017年1月20日まで知らなかった」と答弁したが(BuzzFeed Japanの記事)、愛媛県は5/21、安倍晋三首相が2015年2月に加計孝太郎理事長と面会し「新しい獣医学部の考えはいいね」などとコメントしたとされる、言い換えれば首相が国会で虚偽答弁をした恐れが出てくる、所謂”新たな愛媛県文書”を国会に提出していた。これを受けて首相は加計氏との面会を改めて否定していたが、加計学園問題に関連するもう一つの当該自治体である今治市の市長が、5/25に新たな愛媛県文書の内容は正しいと後押しする、当時「理事長と首相が会ったという報告は受けたと思う」との見解を会見で示した(東京新聞の記事)。
 ここまでの話をまとめると、

  • 安倍首相が2017年1/20以前に加計学園の計画を知っていたのに虚偽答弁をした
  • 愛媛県職員と今治市職員が聞いてもいない報告をでっち上げた挙句、虚偽の文書を国会に提出した
  • 加計学園の担当者がありもしない首相と理事長の面会をでっち上げ、愛媛県・今治市に説明した

のいずれかということになる。でなければ辻褄が合わない。


 すると、産経新聞の記事「加計「首相との面会なし」「担当者が愛媛県に誤った情報を伝えた」 学園が面会否定のコメント」」によると、加計学園は昨日・5/26、「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えた」とのコメントを発表したそうだ。要するに嘘をついていたのは加計学園だと認めたということだ。
 今後、政権・首相がどのような受け止めを表明するのかはまだ分からないが、個人的には、5/23の投稿でも取り上げた、防衛大臣がイラクの日報隠蔽について「組織的な隠蔽はなかった」という見解を示したのと同様に、この件について「加計学園側が嘘をついていたのは事実だが、それでも加計学園獣医学部の認可自体には問題はなかった」という見解を示すのだろうと想像している。
 もしそんな見解を示されたとしても、自分は到底納得することなど出来ない。首相と懇意である人物が理事長を務める学校法人が、首相の名前を不適切に利用して獣医学部認可を受けようとしていたのなら、名誉校長だった首相夫人を利用して小学校認可を勝ち取ろう、学校設立を実現しようとしていた森友学園・籠池氏と殆ど同じ手法なので、裁判も始まっていないのに籠池氏を詐欺師呼ばわりした首相なら、加計氏にも同様に激怒するだろう。加計氏が主体的に嘘をついていたことは確定的ではないかもしれないが、彼が理事長を務める学園が、首相が詐欺と称した森友学園と同じような手法で認可を得ようとしていた、認可を得たのなら「加計学園側が嘘をついていたのは事実だが、それでも加計学園獣医学部の認可自体には問題はなかった」なんて見解をもし示されても、何故?と感じるのが自然だろう。

 昨日、戦史/紛争史研究家の山崎雅弘さんがこんなツイートをしていた。



山崎さんが「これ」と言っているのは財務省の公文書改ざんのことだ。これまで自分も、首相が「うみを出し切る」などと言うばかりで具体的な行動がなく、公文書改ざん問題に関しても消極的にしか対応していないとしか思えなかったが、それが一体どういうことなのか、山崎さんのこのツイートが端的に言い表していると感じた。週明けに予定されている予算委員会では、財務省の公文書改ざん・隠蔽問題、そして加計学園の虚偽説明に関しての質問が確実に首相に向けられるだろう。一体彼はどんな見解を示すのか、どんな説明をするのか、個人的にはどんな言い訳をするのかに注目している。

 首相や政権の積極的支持者の一部は「いつまでもモリカケなんて言ってんだよ」なんてことを頻繁に主張するが、自分も「政権・首相はいつまでモリカケ問題を引きずるつもりなのか、やましいことがないのなら野党やマスコミを黙らせるような厳正な対処を行い、低下した支持率を以前の数字に戻してみせればいいのに」と思っている。
 モリカケ日報問題が1年以上も長引いている原因は、追及しきれない・不甲斐ない野党にもあるだろうが、再発防止が出来なかった、そして厳正な対処を行わない政権側にもその責任はある。要するに国会の混乱の原因は、政権、そして政権のそのような姿勢を容認している与党にも確実にある。

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