「「モラルの欠落に戦慄」西城秀樹さんお別れ会の記念品、オークションに多数出品」、ハフポストが昨日・5/28に掲載した記事の見出しだ。見出しの通り、西城さんのお別れ会で一般参加者に配られた記念品がオークションサイトなどに出品されていることを嘆く記事だ。自分も、確かに身内の葬儀の直後に、お配りした香典返しが蔑ろな扱いを受けていれば悲しい気分になるだろうし、一部で指摘されているように、もし本当に元々転売目的で記念品を複数集めた業者的な存在による行為であれば、「モラルの欠落」という表現も妥当かもしれない、とも感じる。
しかしその一方で、お別れ会の記念品や、葬儀の香典返しなどをオークションサイトに出品することは、問答無用で「モラルの欠如」と直結していると言いたげな、ある種感情的な批判には強い違和感を覚える。
バラエティ番組などで「こんな結婚式の引き出物はいい迷惑」という話題にしばしば遭遇する。大体新郎新婦の写真入りの何かだったり、使い道に困るような、または場所をとるような何かが槍玉に挙げられる。自分も「そんなもの貰っても、処分しようにもしづらいし有難迷惑だ」という気持ちはよく分かるし、そして、視聴者らはそのような話を自身も経験のある話として、概ね肯定的に受け止めているんだろうと想像する。また、芸能人らが不用品を処分するという番組では、不用品の中にしばしば結婚式で貰った引き出物や、香典返しで手に入れた品が含まれているのを見かける。そのような番組では、概ねそれらの品をリサイクルショップが買い取ってくれるか否か、というような構成・演出になっており、名入れ商品などの個人的な品でなければほぼ買い取ってもらえるようだし、名入れ・ノベルティ的な品でも、対象が有名であればファン向けのグッズ的な意味合いで、場合によってはプレミア価格で引き受けてもらえるなんてこともある。
確かに今回の西城さんの件は、お別れ会直後というタイミングであり、何年も前の結婚式の引き出物・葬儀の香典返しなどとはやや異なる側面もあるかもしれないが、例えば自分も、葬式で貰った香典返しに関して不要な品だと感じることはしばしばあるし、それが食品など期限に限りがある品だったら早く処分しないと食品ロスにも繋がってしまうので勿体ないと感じることもある。「だったらオークションなどに出さずに周囲の必要としている人に無償であげたらいい」と言う人もいるだろう。しかし、必要としている人を探すのも相応に手間がかかるし、知り合い同士だと必要が無くてもこちらの不要だという気持ちを勝手に忖度し、無駄に引き受けてくれる、自分から見たら無理矢理押し付けるような恰好になりかねないとも思ってしまう。ならば「あと腐れなくオークションやリサイクルショップなどで処分するのが手っ取り早く合理的」と言っても、それが必ずしも「モラルの欠如」とはならないのではないだろうか。
また、西城さんのファンは確実に日本中に存在する。東京でお別れ会があっても物理的に参加出来なかったファンは多数いるだろう。そんなファンが「会には参加できなくても記念品を手に入れたい」と考えるのはとても自然だろうと思う。一方で、お別れ会に参加できたファンの中に「お別れ会には参加したが、記念品には全然興味がない」なんて人も確実にいるだろう。ならばそのような人の間で、例えばオークションサイトを介してやりとりがあったとしても、だから「モラルが欠落している」なんて評価を下すことが正しいだろうか。自分には必ずしもそうとは思えない。
勿論元々転売目的で業者的な人間が、並び屋を使って記念品を集めていた、という事が事実なら、「モラルの欠落」と評価されても自分も大きな違和感を感じないだろう。ただ、そのような評価が他の場合にも広く適用され、どんな場合であっても引き出物や香典返しを他人に譲渡したり、リサイクルショップ・オークションで処分することは「モラルの欠落」だとしてしまいかねない風潮が、現在は余りにも清廉潔白性を求めすぎるネット上を中心にあるような気がして、個人的には、西城さんのお別れ会の記念品の話題が盛り上がっていることには、そのような種の不安を感じてしまう。