「審議拒否で“17連休”の6野党 あなたの意見は?」。今朝のMXテレビ・モーニングCROSSの視聴者アンケートの設問だ。「6野党 連休明けに審議復帰へ」という見出しを掲げて取り上げた、国会で審議拒否を続けている野党6党が審議復帰のタイミングを模索しているというニュースを前提にした設問だ。このニュースに関して番組では、産経新聞の「『そろそろ国会に』親も批判 興ざめ”17連休”…野党審議復帰へ」という記事を紹介しており、視聴者アンケートの設問設定はその見出しが反映されたものだろう。番組が設定した回答の選択肢は「支持する・支持しない・どちらとも言えない・興味なし」で、一番票を集めたのは「支持しない」の2679ptで、時点である「支持する」の3倍以上だった。
自分も全面的にとは言わないが「支持しない」に投票したし、ある意味では順当な結果が出たとも思える。ただ「審議拒否で“17連休”の6野党 あなたの意見は?」という設問の設定が適切だとは全く思えない。今日は丁度ゴールデンウィーク明けの月曜日で、最も長く連休をとった人でも一般的には9連休だ。その状況で17連休という表現を用いれば、嫌悪感や反感を抱く人が増えるのは想像に易い。また、国会議員の主たる実務の1つである国会審議を拒否していれば、確かに仕事を休んでいるように見えるかもしれない。しかし、何の根拠もなく国会審議をボイコットしている訳ではなく、頻発する不祥事に対して消極的な対応しかせず、問題発言を頻発する副首相兼財務相に相応の責任を追及しない与党側の対応、特に公文書が改竄されたり官僚が虚偽の疑いが強い答弁をしたことへの対策が不十分なようでは審議をしても建設的ではない、という見解に基づいての審議拒否だろうし、国会審議に出席して”さえ”いれば仕事をしているのかと言えば、自分から見れば、前述のようなことへの充分な対策を政権側に要求しない与党も仕事をしていると言い難い。更に、国会議員の仕事は国会審議”のみ”ではないのだから、 審議拒否で“17連休”の6野党という設問設定は、支持しないへの投票を必要以上に誘導する恐れを多分に有していると感じる。少なくとももっとフラットに「審議拒否を続ける6野党、あなたの意見は?」などの設問でなければならないと考える。
では、その設問の元になったであろう、 産経新聞の「『そろそろ国会に』親も批判 興ざめ”17連休”…野党審議復帰へ」という記事も適切ではないということか? 決してそんなことはないと思う。個人的にはこの記事に賛同はしかねる。 ただ、各メディアがそれぞれの視点で記事を書くのは当然の事だし、勿論明らかな嘘や根拠に乏しい内容で市民を扇動するような記事は論外だが、この記事に関してはそのような指摘が可能なレベルとは自分には思えず、大きく問題だとは思えない。この程度で不適切と認定するのならば、それこそ表現の自由が担保出来ないような事態になると考える。
ただ、記事の見出しや内容としては問題なくても、モーニングCROSSの視聴者アンケートは正確に世論を反映しているようなレベルの調査とは言えないだろうが、世論調査的な性格のアンケートでの設問設定としては、フラットとは間違っても言えないような表現なので適切とは絶対言えない。
ツイッター上でハッシュタグなどを使ってアンケートを設定している者が少なくないが、ツイッターやSNSの性質上そのアンケートが行われていることを知ることが出来る人は、そのアンケートを行っている人のフォロワーに偏る。また多くの人がフォローするのは自分の考えに近い人である傾向が確実に強い。何故ならあまりにも考え方が異なる人のツイートを積極的にフォローして読みたいと考える人は決して多くないからだ。そんなツイッターの構造上、アンケート結果はアンケートを設定した者の考えに近い結果が出やすい。
以前にアンケートの設定者にこのような指摘をした際に、自分のフォロワー以外に複数リツイートされているからそのような指摘は当たらないと言われたことがあるが、フォロワー以外の誰かがリツイートしたとしても、結局そのリツイートを見る人もそのフォロワーに偏る。要するにツイッターの性質上、ツイッター上でのアンケートは、回答サンプルの無作為性が充分に担保されるとは言えないことには変わりない。
ただ、モーニングCROSSの視聴者アンケートや、ツイッター上のアンケートには何の意味もないと言っているわけではない。モーニングCROSSの番組視聴者を対象にしたアンケートであることや、ツイッター上のアンケートは主にアンケートを設定した者のフォロワーを対象にしたアンケートであることを理解し、所謂一般的な世論を必ずしも反映しているとは限らないことを認識して結果を受け止めれば、それらのアンケートや結果にも相応の意義はあるだろう。
しかしそれにしても、今朝モーニングCROSSが設定したような特定の回答を必要以上に誘導しかねない表現を設問に用いれば、その意義は著しく低くなってしまうことはには違いない。