希望の党と民進党が合同して新党を結成した国民民主党の設立大会が昨日行われたそうだ。ただ「新党 国民民主党62人参加 「野党第1党」に届かず」という毎日新聞の記事によれば、両党に所属していた107人の議員のうち約4割もの議員が新党に参加せず、新党への参加者は62人にとどまったそうだ。そんな結果になるのもある意味当然だろう。
希望の党は、昨年の総選挙を前に民進党から分離した政党だ。様々な要因があるだろうが、当初代表だった現都知事・小池百合子氏の所謂排除発言の影響も大きく、選挙で結果を残せたとは間違っても言えない状況で、小池氏はその責任から代表を退き、新党設立まで玉木雄一郎氏が代表を務めていた。この経緯を踏まえて一部のメディアは「出戻り」とか「何のための離合集散なのか」などと揶揄している。
民進党から分離した希望の党が再び民進党とくっつくのであれば、正しく出戻り以外の何物でもない。考え方の違いから党を分けたのだろうに、半年も経たずにまた集合するというのでは「数合わせ」と批判されても仕方がない。かなりやさしい目で、希望の党との選挙での連携に失敗した当時の民進党・前原代表や、小池氏に多くの元民進系議員が振り回された側面が強かったと見るとしても、希望の党に移籍した人達が民進党に戻るという側面が強いとしか思えず、なぜ「国民民主党」という新たな党名を掲げるのかも不思議だ。民進党から分離した希望の党が民進党に出戻るのだから、党名は元の民進党が妥当だろうし、または総選挙の際に画策されていた、希望の党が民進議員を全て引き受けるという方針を実行するという側面が強いなら党名は希望の党が妥当だろう。国民民主党という新党名を掲げることで、これまでの悪いイメージを払拭したいと考えているのかもしれないが、多くのメディアや市民はそんな浅はかな思惑は当然見透かすだろう。国民民主党という新党名を掲げることは、彼らの信念のなさを物語っていると受け止められる恐れを考慮しなかったのだろうか。
昨日の投稿でも触れたが、国会審議拒否を続ける野党6党は、決して小さくない「審議拒否なんてしていないで仕事しろ、この税金泥棒」的な批判があることなども考慮したのだろう、審議への復帰のタイミングを模索していると複数のメディアで報じられている。
まず、この「審議拒否なんてしていないで仕事しろ、この税金泥棒」という旨の批判について個人的には、「こんな主張が大腕を振って歩けるような社会じゃ、労働者にストライキの権利が認められていてもそれを行使するのは難しいだろう」と感じる。国会議員の審議拒否を労働者のストライキと同列に考えてよいものか、という反論もあるだろうが、官僚による虚偽の答弁や、その辻褄を合わせる為に改ざんされた文書に基づいた議論が1年も前から続けられていたり、文書の提出要求があったにも関わらず「存在しない」などと隠蔽された上で審議が行われたり、杜撰なデータ、というか恣意的に改変を行っていた疑いもあるデータを基にした議論が行われていたり、そんな深刻な状況であるにも関わらず、政権や与党が積極的な再発防止策を講じないようであれば、そもそも議論自体が成立しないとも考えられるのではないだろうか。 野党6党は合理的な理由もなく審議拒否している訳ではなく、そのような理由で与党側に適切な審議環境を求め、それが実現しなければ意義のある議論にならないと主張しているのだろう。
そのような視点で野党の審議拒否を見れば、仕事をしていないのは野党でなく、寧ろ適切な審議環境を整えることに消極的な与党側である、とも言えそうだ。
ただ、ここ数日の報道を見ていると、審議拒否によって野党側が得たものは決して多いとは言えない。というか殆ど何もないと言ってもいいくらいだろう。野党側は審議復帰の条件として、
- 麻生副総理兼財務相の辞任
- 柳瀬元首相秘書官など森友・加計学園問題での関係者の証人喚問
- 財務省の文書改竄調査結果の早期公表
- 自衛隊日報問題・暴言問題の事実確認
などを求めていた。後者2件については一応対応がなされている、若しくはなされる見通しだが、主な要求である前者2件については与党の拒否する姿勢を消極的に受け入れる方向で調整が行われているようだ。
一応、審議拒否が行われている期間に柳瀬氏記憶が調整されて一部復活するという奇妙な現象が起きており、それはある意味では審議拒否の結果起きたことかもしれない。しかし、その間に複数の柳瀬氏の証言を覆す文書が出てきた結果であるとも言えそうで、審議拒否だけがその要因とは言い難い。また、結局証人喚問ではなく与党が提案する参考人招致で話がまとまる見通しで、審議拒否で得られたものは非常に限定的だ。
麻生氏の辞任に関しても同様で、5/5の投稿でも触れた「セクハラ罪っていう罪はない」という発言が更に続いても尚、彼の辞任を求める世論の風潮はそれほど高まらない。個人的には、あのような発言を繰り返す人物が、副総理兼財務大臣・国のNo.2という大変重要な立場にあり、しかも国の代表としてしばしば海外へも出向いている状況なのに、辞任を求める声が大きくならないようでは「日本は政府や大臣だけでなく概ね全体的に差別容認国」と思われても仕方ない深刻な状況だと感じる。ただ、辞任を求める声が高まらない理由の一つには、冒頭のような大義があるとは思えない離合集散を繰り返している野党勢の不甲斐なさもあるのだと思う。
また、個人的には現在の審議拒否には相応の合理性があると感じるものの、結局与党の数の力に押し切られているし、政治家なら議論で戦うべきという考え方もあるだろう。そのようなことを考慮すれば、審議拒否に対する批判が生まれるのもある意味では理解出来る。要するに審議拒否は実効性のある対抗方針でなかったということも間違いではなさそうだ。
結局、野党が民主党時代から繰り返しているお家騒動や、大義があるとは思えない離合集散を繰り返している限り、今の状況は変わらないだろう。ただ、だから消去法で安倍政権支持とも全く考えられない。今の政権が抱える隠蔽・改ざんの問題や、官僚・閣僚・そして一部の与党議員の、人権や差別に対する意識の低さは全く容認できないし、あのような人物がNo.2の座にいることを考えれば、現政権が続く限り、そのような状況も変わらないだろう。
こうしてどんどん政治全体への不信だけが高まっていくようでは、多くの人は明るい将来など感じられないだろうし、それでは景気が今よりよくなることもなさそうだ。また、そんな状況で結婚や出産など、ある意味での経済的なリスクを負おうという人は増えることはなさそうだ。いくら景気対策・子育て支援・少子化対策などを行っていようが、これでは全て相殺されてしまって結果など出そうにない。