自分の置かれた立場や、現状を度外視した麻生氏の発言が止まらない。NHKの記事「文書改ざん「どの組織でもありうる 個人の問題」麻生氏」によると、昨日・5/8 官邸で、記者の質問に対して
どの組織だって改ざんはありえる話だ。会社だってどこだって、ああいうことをやろうと思えば個人の問題でしょうから
改ざんが組織全体で日常茶飯事で行われているということは全くない。そういった意味では、個人の資質とか、そういったものが大きかったのではないか
などと発言したそうだ。自分がこれらの発言を見た際に感じたのは「麻生氏は公文書改ざんの問題は、自分の責任じゃない・自分とは関係ないと言いたいのだろう」だった。
確かに、殺人罪という罪状や、無期懲役や死刑という懲罰があっても殺人事件はなくならない。そのような観点で考えれば、どんなに厳しい対策が行われようが、不適切な文書改ざんもやろうと思えば出来るだろうし、あり得ない話ではない。要するに麻生氏の言っている「どの組織だって改ざんはありえる話」は大きな誤認であるとまでは言い難い。
しかし、文書改ざんが起きないように組織を管理する最高責任者が、そのような発言をするようでは、「自分には厳重に組織を管理する能力も意思もない」と言っているように聞こえるし「それの何が問題なのか」と開き直っているようにすら思える。「改ざんが行われたのは個人の資質の問題で、組織全体の問題ではない」などと言っていることも、その疑いの信憑性を更に高める。
麻生氏は、福田前事務次官によるセクハラ問題など財務省で問題が相次いでいることに対して、
きちんとした体制をもう一度作り上げていかないといけない。ほかの省庁や外の意見を聞く機会が少ないのではないかという批判は一つあると思う。風通しのよさが必要で、人事異動で外の機関に出て行く必要性は大きい
と述べたそうだが、自らの管理能力を否定し、また管理する意思も否定した人物に、きちんとした体制をもう一度作り上げることの舵取りが出来るとは全く思えない。結局、次に何か問題が起きたとしても「組織的にはきちんとした体制だった。問題が起きたのは個人の資質の所為」と評価して幕引きを図るのだろう。
麻生氏が自分の置かれた立場や状況を適切に認識できていないと感じるのは、5/5の投稿で取り上げた「セクハラ罪という罪はない」発言も同様だ。また、公文書改ざんに関する省内調査や再発防止策に関してもしばしば「大阪地検の答えがまだ出ていませんから、私どもとしては大阪地検の答えを受けないと」などと述べ、明言を避け続けていることも同様だ。自分には「財務省は自ら公文書改ざんを評価する能力がない、要するに自発的に再発防止策を行う能力もないし、行う気もない」と言っているように見えてしまう。結局、彼はここ数か月間の財務省関連、というか彼が副総理大臣であることを考慮すれば、政権の信頼性を揺るがしている複数の問題についても、まるで他人事、自分は無関係と考えていることが、彼の発言に滲み出ているのだと感じる。
ネット記事のコメント欄などを見ていると「麻生氏はマスコミに煽られて、売り言葉に買い言葉で述べたに過ぎない」という不可思議な擁護論を見かける。たかがマスコミに煽られて売り言葉に買い言葉で対応してしまうような者に、我が国のNo.2・副総理大臣兼財務大臣という重要な立場を任せられるだろうか。もし実際に、麻生氏が煽られると売り言葉に買い言葉で対応してしまうような人物なら、自分は絶対に我が国の代表として海外の会議等に出して欲しくない。最悪、交渉相手国の代表に煽られて、経済戦争・武力紛争を誘発しかねない発言をしてしまう恐れがあるからだ。