疑わしいが、刑事責任を問える証拠はない、との結論だ。財務省は、行政に対する国民の信頼を損ねた事実を重く受け止めねばならない。
読売新聞・6/1の社説「森友捜査不起訴 財務省は国民の信頼を損ねた」の冒頭の一節だ。大阪地検特捜部は森友学園への国有地売却を巡る問題で、財務省の関係者らを不起訴処分とした。既に数日前から大阪地検が不起訴の方針を固めていたことが報道されていたが、5/31、正式に不起訴が発表された。これまでも幾度も国有地取引・公文書改ざん・隠蔽がどんなに深刻なことなのかを、自分はこのブログに投稿してきた。そして、勿論大阪地検の方針を支持する人もいる事は知っているが、強い違和感を示す人も多くいるし、違和感の理由も多く取り沙汰されているのでここで再び言及はしない。自分がこの件から感じるのは、大阪地検の方針や政府、特に財務大臣の姿勢を支持している人は、自分の子どもや後輩、部下などに胸を張って「嘘をついてはいけない、適当な言い訳で誤魔化すようなことはいけない」と言えるのだろうか?ということだ。
国会での虚偽答弁に整合性を持たせる為に、公文書が約300か所以上も改ざんされ、また虚偽答弁に整合性を持たせるために、提出を求めらていた文書を廃棄するようなことが起こっていたのに、責任者である財務大臣が「悪質性はない」と言ったり、会計検査院が値引き額の算定方法に疑義を示しているのに、検察が背任には当たらないという理由で不起訴にしたり、どうもちぐはぐな話が横行している。
こんな話がまかり通るのなら、テスト前に論説問題で20点以上取ると豪語していた生徒が、テスト後に先生の目盗んで自分の答案用紙を探し出して、30点満点の論説問題の解答が15点しか貰えない内容だったのを、20点貰えるような回答に書き換えたとして、校長先生が「全く問題がないわけではないが、15点から20点ぐらいなら悪質性はない」と評価しても妥当だということになりかねないし、詐欺師がいい加減で法外な料金を不当に求めても、詐欺師が「最初から騙すつもりはなかった」と証言すれば、責任を追及できないなんてことにもなりかねない。
こんなことが今の政治の世界では多くまかり通っている。直近の国会審議の中で首相は、加計理事長と友人として会った際に食事をごちそうされたりしたりという事が何度かあったと述べ、「利害関係者との付き合いとして不適切ではないか?」と問われると、「加計氏が何か見返りを求めて私の食事代を払ったことはないし、私が食事をごちそうして欲しくて加計学園を優遇したということもない」という旨の反論を行い、概ね問題のない範囲であるという見解を示していた。
彼は昨年来しばしば「李下に冠を正さず」と言っているのだが、その言葉の意味を理解した上で示した見解なのだろうか。こんな説明がまかり通るのなら、贈収賄事件なんて何も認定できなくなりそうだ。「結果的に自分が優遇されるようなことになった。そして確かにお金を渡したが、見返りは求めて渡したわけではない」と証言すれば問題ない、なんてことにもなりかねない。こんな説明が彼の言う「丁寧な説明」であると思っているなら、大きな認識違いだし彼の言葉に今後全く説得力は無くなる。個人的には、彼の発言の信頼性は少なくとも、虚偽答弁を行い、それに整合性を持たせる為に公文書の改ざん・廃棄・隠蔽を行うような人物を、適材適所だなどと言い続け、また、彼の答弁を支持していた時点で地に落ちていると思っているので、直近の発言にも大した驚きはない。寧ろ彼の(彼らの)平常運転だと思っている。
国の中心人物らがこのようなちぐはぐな話を、さも適切・正当であるかのように堂々と言ってのける姿を、思春期以前の若者には見せたくない。勿論多くの子どもたちはバカげていると感じてくれるだろうが、中には「大人が、しかも国を代表するような人達がこう言っているのだから、自分たちも同じように振舞っていけないわけがない」と捉えてしまう子どももいるだろう。
また、国の中心人物らがこんなことを言っていることは、確実に他の国の政府・当局も見ているだろうから、このままでは日本とまともに交渉してくれる国は減る、減らなくても相応にしか扱われなくなりそうで心配だ。昨年、安倍首相は昨年の選挙を「国難選挙」だと言っていた。自分には彼らこそが国難だと思うし、彼らを選挙で選んだ日本国民は、自ら国難を引き寄せているようにしか思えない。