BuzzFeed Japan はフリーライター・武田砂鉄さんへのインタビュー記事「「一億総忖度社会」の日本を覆う「気配」とは何か? 自ら縛られていく私たち」を6/11に掲載した。記事の冒頭に
なぜ私たちは、力の強い者が支配する「空気」をやすやすと受け入れるのか。「空気を読む」だけではない。さらに病状は進み、「空気」が生まれる前から、その「気配」を先回りして察知して、自らを縛る空気を作り出していないか?
という文がある。これを前提に記事を読めば、内容を適切に理解できると思うが、記事を読んでいると「空気を読む」とか「忖度する」ことを全面的に否定していると勘違い、というか歪曲して解釈する人が少なからずいるんだろう、と思えた。
何故そう感じるかと言うと、武田さんがインタビューの冒頭で、
日本人の特性で、「空気を読む」「空気を読め」とは言われますが、「気配を読め」とは言われませんよね。日本人のコミュニケーションにおいて、「空気を読む」とか「忖度する」は、すっかり当たり前のことになっています。
と前置きして、更に、
でも、とりわけ今の政治状況を見ていると、それよりもっと深刻な事態になっているのじゃないかと思わざるを得ません。空気ができあがる前段階、つまり「気配」を察知し、権力者たちのメッセージに先んじて隷従しようとしてないかと。
と、言っていることがその大きな要因だと感じる。勿論、記事を読み進めていけば、前述した記事冒頭の文章でも書かれているように、「空気を読む」とか「忖度する」こと全てを批判しているわけではなく、権力が醸す適切とは言い難い空気を読んだり忖度したり、同調圧力的に、空気を読めない=能力が低いかのようなことを主張したり、忖度せざるを得ない状況に立場の弱い者を追い込むことを批判しているということは明白だ。だた、見出しだけに注目したり、文章の一部だけを引っ張り出し、歪曲して解釈するような風潮がある昨今の状況下では、記事や武田さんが「空気を読む」「忖度する」こと全部を批判していると受け止める者もいるんだろうと想像してしまう。
インタビューを記事化する際に、実際の話の流れを出来るだけ忠実に表現することも大事かもしれないが、主張する内容を出来る限り誤解が生まれないように記事化することもまた大事だ、ということを考えさせられる。そんな観点で見れば、インタビュアーの腕なのか記事化能力なのか、武田さんの話し方なのかはわからないが、もっと推敲すれば更に良い記事になっただろうと、単なる一読者のくせに上から目線で思ってしまった。
空気を読むことも忖度を働かせることも、社会生活を上手く送っていくのには不可欠な能力だと自分は思う。それはコミュニケーションを上手にとるのに必要なことだし、程度の差はあれど、生まれてから死ぬまでコミュニケーションが一切ない人生を送れる人など一人もいないはずだ。群れをつくらない種類の動物だって、生まれてから親離れするまでは親とのコミュニケーションがあるだろうし、人付き合いをなるべく避けている人でも、現代社会の中で全くコミュニケーションなしというのは、ほぼゼロに近いレベルでレアケースだろう。
「空気を読む」や「忖度する」は基本的にポジティブな能力だが、武田さんやBuzzFeed Japanの記事も指摘しているように、場合によっては大きな懸念が生まれることもある。それには、
- 誰が醸し出した、どんな空気を読むのか
- 誰に対して忖度するのか
- 同調圧力的に空気を読ませようとすること
- 忖度せざるを得ない状況に相手を追い込むこと
などの要素が関連すると考える。最悪な例を挙げれば、
不適切な行為をした権力者が醸し出す、あたかも「問題ない」と言わんばかりの空気を読めないことを非難し、権力者や利害関係者らが、部下などの立場の弱い者を忖度せざるを得ない状況に追い込む
なんて感じだろうか。昨年から政治・行政の中で起きていることや、日大アメフト部問題を想定したからこのように書いたつもりはないが、確実にそれらの状況と酷似している。ただ、それらのことを目の当たりにしているから、このような思考が生まれている可能性も確実に否めない。
それぞれの件で誰が権力者に該当するか、どんな空気を醸し出しているのかは誰でも想像がつくだろうし、忖度せざるを得ない状況に追い込まれたのは誰かも簡単に分かると思う。それは自殺した財務省職員や、不適切なタックルをしてしまったが自ら会見を開いた日大選手だろう。また、レスリング協会のパワハラ問題も似たような構図があると言えると思う。
ここまで書いて、武田さんは「空気が生まれるまえから」既に空気を読むことが起きているとし、それを「気配を読む」のように表現しているので少し話の主題は異なるのかもしれないが、結局自分はBuzzFee Japanの記事や武田さんの主張をなぞっているだけの気もしており、前半でそれらに対して苦言を呈したことをやや恥ずかしく思う部分もある。
ただ、自分が強調したかったのは、空気を読むこと、忖度することは、暗にでも一方的に仕向けたり強制するべきではない、空気を読む場合も忖度する場合も、どこに向かってそれをするのかしっかり考えるべき、ということだ。