スキップしてメイン コンテンツに移動
 

沖縄に対する関心・無関心


 6/23は「慰霊の日」だ。1945年・太平洋戦争末期に、現在の日本の領土内で行われた最も大規模な陸上戦・沖縄戦が終結した日とされるのが6/23で、沖縄県が記念日として制定している。自分が小学生の頃(1980年代)から、8/6,9の広島・長崎へ原爆が投下された日、8/15の終戦記念日は戦争関連の記念日として強い認識があったが、6/23を戦争関連の記念日だと意識したり、させられたりすることはほぼなかった。もしかしたら当時も自分が知らなかっただけで新聞・テレビなどで相応の報道があったのかもしれない。もしかしたら自分の両親祖父母が気にしていなかっただけかもしれない。しかし、学校で8月の戦争関連の日について話があった記憶はあるが、6/23について何かを聞かされた記憶もない。
 昨今の学校教育で6/23の扱いがどうなっているのかは詳しくしらないが、メディアの扱いに関して、少なくとも新聞・一部のネットメディアでは30年前に比べて取り上げているように見える。テレビでも関連番組、若しくは過去の番組の再放送が行われているようだが、それでも、6/23「慰霊の日」は、8/6,9,15に比べると、少なくともテレビでの扱いは確実に小さい


 原爆投下については世界初だったこと、大量殺りく兵器が使用されたという象徴性がある。しかし多くの市民が犠牲になったという点で言えば、 沖縄戦でも9万人程度の住民が犠牲になっている。この数字は広島の原爆よりは人的被害よりは少ないかもしれないが、長崎よりは多い。少なく見積もっても長崎とは同程度の被害だ。にもかかわらず、なぜ沖縄戦や慰霊の日に対して本土での認知が進んでいないのだろうか。
 自分はこのような思いから、BuzzFeed Japanの記事「「沖縄慰霊の日を知ってほしい」 りゅうちぇるがTwitterで呼びかけた理由」に、


現在の日本の領土の中でほぼ唯一陸上で戦闘が行われた地、沖縄にとって6/23は、ある意味で終戦記念日に匹敵するような、象徴的な日なのに、なぜ国を挙げて何かをするような風潮がないのだろう。
結局、日本全体にまだまだ沖縄に対する無意識の差別的な風潮があることの現れ、沖縄に対して植民地的な認識があることの現れではないだろうか。

とコメントした。するとこのコメントに対して、


それはむしろ逆かもしれませんよ。
沖縄の人からすると本土の人間に何がわかるのかという
沖縄県民から本土の人間が差別されていると見れなくもない。
本土の人間も沖縄には思いを持ってはいても
想いの重さのギャップがあるのはどうしようもない事かと思います。
沖縄の事を本土の人間が軽んじているなんて事はないですよ。
下手に何かをするよりは
沖縄に旅行に行って沖縄に触れる事が一番なのではないかな。
私もここ数年は何かと沖縄とはご縁があって
沖縄に行く事がありますが、
行くと何かしら沖縄に関する知識をもらいます。
関係が増えると沖縄への愛着が違いますね。
行くと沖縄に対する意識が変わります。
 
こんなリプライを返してきた人がいた。何やら彼は、自分は沖縄のことをあなたより知っていると言いたげだ。彼が何を感じようがそれは彼の自由だが、彼が「沖縄の事を本土の人間が軽んじているなんて事はないですよ。」と考える根拠は全く示されていない。更に「沖縄県民から本土の人間が差別されていると見れなくもない。」という見解を示し、彼はその根拠に「本土の人間に何がわかるのか」と沖縄の人たちが言っている、思っている(と彼が感じている)ということを挙げているが、そう思う事の一体何が差別なのだろうか。多分”差別”とはどういうことなのかに関する適切な認識がないのだろう。何とか沖縄の事を本土の人間が軽んじているなんて事はない、ということにしたいようだが、そう判断する根拠も、彼がリプライしている自分のコメントの趣旨・在京メディア・政府などの6/23に対する扱いが軽い、という見解が不適切である理由も示さずに、言いたい事を言われたところでまともな話にはならない。
 実際に調べたわけではないが、8/6,9を原爆投下された日と、そして8/15を終戦記念日と答えられる人と、6/23が慰霊の日、名称は知らなくても沖縄戦終結の日、沖縄戦に関連する記念日と答えられる人を、本土で調べたら確実に後者が少ないだろう。個人的にはそんな状況であるだけで、既に「沖縄を軽んじている」ことになると考える。

  BuzzFeed Japanは「「保守系」まとめサイト、がん治療中の翁長知事を中傷 炎上後に記事は削除」という、6/23日関連の記事も掲載している。個人的にはかぎ括弧付きでも、この記事で取り上げられている不適切な表現の多いまとめサイトを、「保守系」などと表現することには強い違和感を感じるが、所謂自称保守系まとめサイトが、6/23に翁長沖縄県知事が式典に参加し、スピーチしたことについて、誹謗中傷する記事を掲載したが、批判を浴びて記事を取り下げたことを伝える内容だ。
 また、今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでも6/23の件を取り上げていたのだが、番組内で画面に表示された視聴者ツイートの中に、

というツイートがあった。何を根拠に「自分の病気を政争に使おうと言う臭いがプンプンする」などと言っているのだろう。翁長知事が坊主頭で公の場に現れたことを指しているのだろうか。もしそれだけでこんなことを言っているなら、それはがん治療をしている人は皆、私はがん患者ですアピールで同情を誘おうとしていることになりそうだし、もし女性政治家が出産し、それについて公に発言すれば、子育て、若しくは子どもを政争に利用しているなんてことにもなりかねない。個人的には不適切なツイートとか、誤解を招く表現なんて程度でなく、差別的な認識が強く疑われるツイートだと感じる。
 また他にも、追悼式典で「基地を認めない」と政治的な発言をして、式典を政治利用するな、などという趣旨のツイートもあったが、戦没者追悼の式典で「(戦争の火種になりかねない)基地はいらない」と主張することは、とても必然性のある話ではないだろうか。都合よく政治的という概念を歪曲して解釈しているとしか思えなかった。

 前述のBuzzFeed Japanの記事では、不適切なネット上の主張を取り上げる形式で記事を掲載している所謂自称保守系まとめサイトの責任にも言及している。既に司法判断において、明らかな誹謗中傷などをリツイートしたりシェアするなどした場合、元のツイートをした者と同様に名誉棄損などについての責任を問われることが明らかになっている。ということは、誹謗中傷が疑われる表現を否定せずに引用したり転載すれば、少なくとも明示しておくべき懸念すら示さずに引用または転載、若しくは紹介すれば、若しくは懸念の意図があってもそれが伝わらなければ、SNSでなくとも責任を問われる恐れがあるということになるだろう。また、かなり昔から議論が続いているが、不特定多数のコメントを集めるサイトの運営者には、少なからずそれを管理する責任があることは間違いない。ここで指摘されているサイトの運営者が、万が一積極的な差別容認・誹謗中傷はしていないなどと主張したとしても、管理運営責任に関しては言い訳のしようがない。
 そのような観点で考えれば、前述のようなツイートを画面に表示しておいて、番組中で一切その主張に触れないようであれば、モーニングCROSSは、流石に積極的にその種の主張を支持・容認しているということはないだろうが、実質的には所謂自称保守系まとめサイトと似たようなことをしていると言えるだろう。同番組が差別的な認識が強く疑われる視聴者ツイートを画面に表示し、番組側が一切それについての懸念を示さないという場面にこれまでもしばしば遭遇してきた。また、それについて何度かこのブログで触れてきた。テレビ番組で視聴者ツイートを取り上げるということは、一般人がリツイートする以上の影響力のある行為であるということを、今一度指摘しておきたい。

 少し話がずれたが、日本本土には沖縄を軽んじるような風潮がある、厳しくいえば、未だに植民地的な認識を持っている者がいる、という自分の見解について、BuzzFeed Japanの記事で指摘されたまとめサイトの記事などを掲載する者や、そこに同調するようなコメントをする者がいること、モーニングCROSSの視聴者ツイートなどを見れば、「そんなことは全くない」なんて言えないはずだ。そのような考えを持つ人は決して本土に住む日本人の大半ではないだろうし、寧ろ少数派だろう。しかし、そんな人達が確実に存在していることは紛れもない事実だし、6/23が何の日か分かっていない人が決して少なくないことも事実だ。
 積極的に沖縄を差別していなくとも、少なくとも広島・長崎の原爆と同程度に沖縄戦・その後の沖縄が置かれたアメリカ占領下の状況、基地問題の現状に興味を持たなければ、それはある意味では「沖縄を軽んじている」ということになると強く思う。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。