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参院定数改正案と自民党内の状況


 自民党は、来年の参議院選挙に向けて参議院の定数を6増やすことなどを盛り込んだ公職選挙法の改正案をまとめた。自分が1980年代後半に小学校の社会科で習った際の議員定数は、衆院511(ないし512)人、参院252人だった。その後、議員の活動内容や必要な人数と、歳費・議員報酬などのコストのバランスの悪さが指摘され、また、所謂一票の格差解消などの観点から、議員定数削減の機運が高まり、現在は衆議院465人(小選挙区289人・比例代表176人)、参議院242人(小選挙区146人・比例代表96人)となっている。 ただ、この議員数は人口10万人当たりの総議員定数で見るとOECD加盟国34ヶ国中33位と、人口に対しての定数では国際的には少ない水準であるようだ。


 その自民党の改正案に関して、新聞社は概ね懐疑的で批判的な記事を掲載している。テレビ報道も概ね似たような方向性だ。また、時事通信の記事「参院選改革案を了承=比例に拘束名簿、小泉氏苦言も-自民」などが伝えているように、小泉進次郎氏など、党内にも懐疑的な意見は存在しているようだ。その一方で、産経新聞は「自民党・石破茂元幹事長 合区継続・定数6増の党改正案に批判の立憲を一蹴」という記事で、改正案に前向きな石破氏の主張を取り上げている。記事によると石破氏は、

増えても(国会議員に)ふさわしい仕事をすればいい。(批判している立憲民主党・枝野氏は)よくそんな軽薄なことが言えるものだ
(地方の代弁者がいなくなり)『東京一極集中』が進んでいいのか。批判を承知で党執行部が泥をかぶって作った

などと主張しているようだ。 東京一極集中云々という話は確かに一理ある。昨今は一票の格差にばかり注目が集まりがちな傾向があり、地方活性化の為には欠かせない地方の声を中央に届ける為に必要な、地方の議員が削減されることに対する危惧は、報道でも国民の意識的にもあまり重視されていないのではないか、とも思う。また、今回の改正案に批判的・懐疑的な報道・そして小泉氏などは「議員のコストが高いという指摘を受けて議員定数削減がこれまで行われてきたのに、一体どうやって国民に説明するつもりか」という論調だ。しかし前述したように、日本の議員数は既に国際的に見ても少ない水準であることは事実で、人口当たりの議員数だけで考えれば、コストがかかり過ぎているとはいい難い状況である。

 ただ、人口当たりの議員数だけではコストが見合っているかは判断できないだろう。石破氏が「増えても(国会議員に)ふさわしい仕事をすればいい。」と言うように、例えば衆参両院でいまよりずっと議員数が多かった1980年代の水準であっても、必要な議論が適切に行われ、議論の為に必要な活動を議員らがしており、且つ汚職に手を染めるような者が概ね居ないようなら、コストが高いと一概には言えないと自分は思う。そのような観点で考えれば、今の国会議員がしっかり仕事をしていると国民が受け止めていれば、議員6人のコスト増くらい認めてくれるのではないだろうか。
 ただ、石破氏は「批判を承知で党執行部が泥をかぶって作った」とも言っているのだが、なぜ6増の改正案が批判を受けるのか、泥をかぶらなければならないような状況なのかを考えて欲しい。昨年来安倍政権下で文書の隠蔽・不適切な廃棄・改ざんなどが横行している。少なくとも自衛隊・森友問題・加計問題と3つもそのような議論が続いている。しかもどの問題に関しても、政府の主張が覆るような新要素が度々、しかもいつまで経っても後から後から出てくるのに、与党はその実態解明に消極的で、また野党はきっちり追及出来ず、不必要な議論が1年以上も続いていれば政権だけでなく国会全体への不信が高まるのも無理はない。要するに石破氏が言う、泥をかぶらなければならない状況は、自民党を含めた国会が自ら作り出したものなのだから、泥をかぶってなんてまるで他人の責任を引き受けたかのような表現を、肯定的には断じて受け止められない。

 このように書くと、石破氏がおかしなことを言っていて、小泉氏は適切な視点で「国民をなめてはいけない」と言っているようにも思えるかもしれないが、小泉氏には別の点で苦言を呈したい。朝日新聞の記事「加計側の説明「おかしい」 進次郎氏、参院特別委を要求」によると、小泉氏は、 加計学園理事長と安倍晋三首相の面会を学園側が「なかった」と説明していることに関して、

どう考えても、『愛媛県にうそをついた』というのはおかしい。(国会に)特別委員会を立ち上げてほしい

という見解を示したそうだ。確かにとても率直な見解で、見解自体におかしな点は感じられない。ただ、今更感がとても強い。森友問題にせよ、加計問題にせよ、昨年から既に政府や関係者のおかしな説明がかなり多かった。にもかかわらず、これまでなぜ「おかしい」と声をあげなかったのだろう。もっと早く特別委員会の設置の必要性を党内から訴えなかったのか、そんな意味では、政権や与党の中枢よりはかなりまともだろうが、小泉氏の感覚も充分「おかしい」範疇に入っていると自分は思う。
 似たようなことは麻生氏のセクハラ感にしばしば苦言を呈する野田聖子氏にも言えるだろう。彼女は、総務大臣の就任会見で「安倍首相に耳の痛い意見を言い続けるか」と問われ、言い続けるという旨の返答をしていた。ならば、セクハラ問題だけでなく、改ざん問題に関してもおかしなことを言い続けている麻生氏に関して苦言を呈するだけでなく、更迭を首相に進言してもいいタイミングではないだろうか。

 確かに、石破氏も小泉氏も野田氏も、次期総裁選への出馬が噂される、もしくは公言しているような立場だし、党内での支持を一定程度集める必要があることも分かる。今の自民党の状況を変える為には確実にそのような視点は不可欠だろう。ただ個人的には、青臭いかもしれないが、煮え切らない態度では結局同じ穴の狢にも見えてしまうし、もっとダメな事はダメとハッキリ言って欲しいと思う。
 ただ、今のような状況になっているのは、今の体制の自民党を消極的にかもしれないが選んだ国民の声の結果だろうし、当然野党が選んで貰えないのもこれまでの活動の結果だろう。今の状況になっている責任は、政治家らだけでなく、国民一人ひとりにあるということを、自分も含めて誰もが認識する必要も確実にあるだろう。

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