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捜査機関への信頼感


 個人的に警察官は嫌いだ。勿論、まともな警察官が多く存在し、彼らのおかげで治安が維持されている側面があることは理解している。しかし過去に、原付を盗まれた際や、クルマで当て逃げされた際に警察に相談したところ、一応事務的な対応だけはしてもらったが、全く他人事のような態度で「多分原付はでてこないよ」とか「当て逃げ犯は見つからないよ」というような態度を示されたことや、23区内で任意対応である筈の持ち物検査を、何度も実質的に強制された経験があること、犯罪者に対して毅然とした態度を示すという側面もあるのだろうが、横柄・高圧的な態度の警察官が決して少なくないことなどから、自分は警察官が嫌いである。
 簡単に言えば、何の根拠もなく犯罪者予備軍的に扱われ(持ち物検査の強制)、被害者として届け出をしてもぞんざいに扱われる(原付盗難・当て逃げ)ような経験があるということで、そんな経験があればそのような認識に至っても決して不自然ではないだろう。警察組織・警察官とは様々な特権を認められた存在だ。勿論その役割から特権が認められるのは当然なのだが、どうもその特権を検討違いに笠に着るような警察官が少なくないように思う。だから横柄・高圧的な対応を平然とする警察官が少なくないのではないか?と自分は感じている。


 「「どう喝」調書、証拠から撤回 滋賀県警作成、大津地裁」、京都新聞が掲載した記事の見出しで、ある殺人事件の取り調べの中で、男性警察官が「こうやったんやろ」などと大声で話し、被疑者の女性が何も証言しないにもかかわらず、パソコンで調書を作っていたということを伝える内容だ。大津地裁は裁判の中でこれを恫喝・不適切な取り調べと認め、当該調書を証拠として認めなかった。なぜこのような不適切な取り調べが行われていたことが発覚したかと言えば、録音録画されていたからだ。録画録音が行われているにもかかわらず、このような取り調べが起きるということは、抑止の措置が取られていたのに不適切な行為が行われたということだ。ということは、抑止措置がなければ推して知るべし、言い換えれば、録画録音がされていない場合はこのような取り調べが横行していると推測できる。

 似たような話は昨年・2017年の夏にも大きな話題になった。昨年話題になったのは、警視庁・高井戸署で、万引きを疑われた中学生が否認していたのに対して、「高校なんか行かせねえぞコラ」「否認すれば間違いなく牢屋(ろうや)に入れる」と警察官が暴言を吐き、自白を強要していたという話だ(毎日新聞の記事)。この件の聴取は任意の段階で、録画も録音もされていなかったが、生徒の親がレコーダーを持たせ録音していたので発覚した。この件からも録画録音がされていない場合は、このような取り調べが横行しているのだろうと強く推察できる。
 また任意の聴取と言いつつこのような暴言が吐かれているようでは、任意なんてのは単なる建前で、実質的には対応を強制しているとしか思えない。それは数人の警察官に囲まれ、無理に移動しようとして少しでも警察官の身体に触れそうになると「突き飛ばす気か?」などと言われ、実質的に持ち物検査を強要された複数の自分の経験からも十中八九間違いない。

 滋賀県警は、恫喝で自白強要していたことに関してコメントを求められ、

判決が確定しており、コメントは控える

としたそうだ。記事によれば、当該事件は問題の調書の証拠能力の是非に関わらず、被疑者の犯行が認定され有罪が確定しているようだ。しかし、事件の判決が確定したことと、不適切な取り調べが行われたこととは全く別の話だ。もし判決が確定していなかったタイミングで取材が行われていたら、「係争中の為コメントは控える」のようなコメントが示されていただろう。要するに滋賀県警の姿勢は「都合が悪いから答えたくない」以外の何ものでもない。こんな調子では今後も似たような恫喝・自白強要が取り調べの中で繰り返されるのだろうとしか思えない。結局のところ、冒頭で指摘したように警察官、というか警察組織全体が、なぜ特権を認められているのかをはき違えている限り、状況は改善しないだろう。この滋賀県警のコメントにそれが如実に表れている。

 「鹿児島・警官取り押さえ男性死亡 警察官による制圧死 撮影したTBS、映像を放送せず」、毎日新聞の7/5の記事の見出しだ。この記事で主に批判されたのは映像を放送しなかったTBSだったが、警察官による過剰な権力行使・暴力の結果、被疑者を死亡させるという事件がその発端だ。似たような事案はアメリカで、特に非白人に対する警察権力の過剰な行使としてしばしば話題になるが、日本でも同じような事が起きている。また、2016年には熊本県警が指紋を偽造していたことが明らかになっている(毎日新聞の記事)。このようなことが起きるようでは、指紋やDNA鑑定だけを根拠に犯罪・犯人を特定するような判決の信憑性は大きく揺らいでしまう。指紋なんて簡単に偽造出来るし、DNAなんて目に見えないのだからもっと簡単に偽造できるだろう。捜査機関だけが行った鑑定では信憑性が薄く、捏造の恐れありなんてことにもなりかねない。というか、以前から警察に一定の不信感を抱いていた自分などは既にそのような認識になっている。

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