スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ストローだけ削減しても仕方がない


 今年に入ってからこれまでそれほど話題になっていなかった、マイクロプラスチックなどによる海洋汚染が注目を浴びており、各国でその原因になる使い捨てのポリ製買い物袋や、ストローやスプーンなどの使い捨てプラスチック製品の製造や使用を規制しようという動きがある。6月にカナダで開かれたG7・主要7カ国首脳会議で提唱された、それらの削減を目指す「海洋プラスチック憲章」について、日本とアメリカが署名を見送ったことも報じられ(福井新聞の記事)、国内外で悪い意味で話題になった。福井新聞の記事が掲載された翌日、菅官房長官は会見で「G20に向けてプラスチック資源循環戦略を策定し、海洋ごみ問題について世界をリードできるよう取り組んでいきたい」と述べたそうだが(徳島新聞の記事)、G7の憲章の内容に何か不備があったという主張は一切なく、日本政府は自分たちが主導しているように見せたい、言い換えれば目立ちたいだけ、もしくはこの問題を内政・外交の両面で政局的に利用しようとしているだけのもように見えた。


スタバが新しすぎるカップを発表。ストローを使わずに飲めるよ。

 ハフポストが7/10に掲載した、スターバックスがストローの代わりになる新しいカップを発表したという記事の見出しだ。少しでも使い捨てプラスチック製品を削減しようという動きは歓迎するべきかもしれない。しかし、ハフポストのこの見出しはスターバックスの示した話を称賛しすぎだし、自分の目には、スターバックスの対応も決して手放しで素晴らしいとは思えない。要するにスターバックスも日本政府同様、この問題をビジネス的に利用しようとしている側面が強いように見えてしまう。
 まず、ハフポストが「スタバが新しすぎるカップを発表」という見出しを付けているが、実際には新しい”過ぎる”なんてのはハッキリ言って滑稽だ。この記事を書いた記者は、もしかしたらスターバックスを利用した経験がないのかもしれない。ハフポストが新しすぎるとしたカップとは、蓋の縁に吸い口があり、そこからストローを使わずに飲み物を飲めるというものだが、同じようなカップは既にホットコーヒーなどのカップとして使われている。しかもスターバックスでも。この記事はハフポストにしては珍しく誰が書いた記事なのかの明記がないが、これではハフポストに寄稿する記者・ライターら全員に、適切な認識なく大袈裟な見出しを付けた疑いが掛けられかねない。使い捨てプラスチック製品削減がどうこう以前の問題だ。

 また、使い捨てプラスチック製品を削減する為にこのカップを使うということのようだが、記事で使われている写真に写っているのは明らかにプラ製のカップと蓋だ。記事によると、

 発表によると、ストローを完全に撤廃するわけではない。希望者やフラペチーノなどの注文にはストローも提供するが、これまでのプラスチックではなく、紙などで製造される予定だという。

ということのようだが、 一応カップや蓋の再利用を勧めるという話もしているようだが、画像のカップと蓋はこれまでの使い捨てタイプのものと差があるようには全く見えない。ホットコーヒーの蓋が使い捨てされている現状から鑑みれば、プラ製ストローの代替品がプラ製の蓋ならば、使い捨てプラスチック製品の削減効果もあまり期待できないのではないだろうか。そのような観点からスターバックスの発表は、ポーズ重視の発表だというように思えてしまう。

 このスターバックスのストローをめぐる発表と、それを取り上げたハフポストの記事の見出しについて、個人的には両者とも割といい加減な発表をしたり、記事を書いたりしているんだな、と感じられてしまって残念でならない。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。