パチンコ店の駐車場でエンジンもエアコンも動いていない車の中にいる女児を、見回りをしていた店員が発見、10分後に両親が戻り、
「短時間じゃないですか」「こんなことで子供は死にません」
と言い放った。7/21に朝日新聞が「 炎天下の駐車場、車内に女児 ガラス割ろうとしたその時」という見出しをつけて掲載した記事の概要だ。この両親は新聞もテレビにも全く目を通さず、そして携帯電話やパソコンでのネットすら利用していない、仙人のようなタイプの人々なのだろうか。クルマの中に子どもが置き去りにされ、熱中症などで命を落とすという事案は、もう何年も前から複数件報じられているし、社会問題化した・していると言っても過言ではない。
もし万が一、彼らが本当にそのようなことを知らなかったのだとしても、「知らなかった」で済む話ではない。何故ならその無知によって人ひとりの命が失われてしまう恐れがあるからだ。個人的には虐待や傷害と言ってもよいのではないか?と思う。刺殺事件の容疑者が「ナイフで刺したけど、切れるとも刺さるとは思わなかった。当然相手が死ぬなんて全く思わなかった」と言ってのけるのと同じように思う。
このような事件の多くは パチンコに熱中するあまり子どもを蔑ろにする親 という場合が多く、報じられてきた事案の多くはそのような状況だ。しかし、パチンコでなく映画やゲームセンターでも同じようなことは起きるだろうし、娯楽でなくとも、例えばスーパーやホームセンターでの買い出しの際にだって起きるだろう。何が言いたいのかと言えば、このような報道を受けてパチンコを非難する人がいるが、パチンコではなくて親の無知・認識の低さを批判するべきだ、という事だ。パチンコに熱中してこのような事件を起こす親はパチンコが無くなったところで、他の場面でも十中八九同じようなことをするだろう。
子どもを炎天下の車内に放置しておいて「こんなことで子供は死なない」と言い放つ親は、「命を落としかねないことを知らなかった」では済まされない、と冒頭で書いた。刺殺事件の容疑者が「ナイフで刺したけど、切れるとも刺さるとは思わなかった。当然相手が死ぬなんて全く思わなかった」と言ってのけるのと同じようなものだ、とも書いた。
東京スポーツが7/13に「「胸は触ったけどもんでない」強制わいせつ男のトンデモ主張」という記事を掲載している。強制わいせつ致傷罪に問われた容疑者が裁判で、
「目の前にきれいな女性がいた。胸を触ろうと思った」と、被害者女性の胸を触ったが揉んではいない、要するに強制わいせつ行為には当たらないという旨の主張をしたそうだ。よくもこんなことを裁判で主張できるものだ。屁理屈以外の何ものでもない。
「走って追いかけて両脇から手を伸ばした。そこからは覚えていない」
「触ってしまっている自分がいるかもしれない。しかし、もんだのなら性的満足度があるが、ありませんでした」
しかし、似たような論法を国家公務員も用いて釈明している。文科省の科学技術・学術政策局長だった佐野太氏が、東京医科大から私立大学研究ブランディング事業の対象大学選定での便宜を図るよう依頼され、その見返りに、入試で息子を不正合格させてもらった疑いが掛けられた事件で、時事通信の記事「前局長「息子をよろしく」=医大側便宜依頼の会食で-文科省汚職・東京地検」によると、東京医科大の臼井正彦前理事長らと会食した際に「息子が受験するので、よろしく」などと伝えていたそうだが、佐野氏は、
「不正に合格させてほしいとお願いしたわけではない」などと容疑を否認しているそうだ。報道されている言動が事実であるなら、前述の強制わいせつ容疑者の屁理屈と大差ない。
この手の馬鹿げた話を聞かされる、強制わいせつの被害者、東京医科大の受験者と現役の学生などは、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎてたまったものではないだろうと感じる。ここで「呆れる」と書きたいところだが、わいせつ行為の被害者や、この年度の東京医科大不合格者などにしてみれば、そんな言葉で片付けられる話じゃない。冒頭の話に戻して、万が一放置された子どもが死亡していたらと思うと、「呆れる」なんて言葉で片付ける気にはならない。
しかし逆に言えば、そんな「呆れる」と書きたくなるような、ひどく愚かな言動によって、深刻な被害を被る人がいるという事だ。3つの案件のどれを見ても、自己保身の為の呆れるような馬鹿馬鹿しい屁理屈が用いられている。ただ、こんな屁理屈を公然と主張される背景には、現政権や首相、特に副首相が、追及を受けても平然と屁理屈としか言いようがない話を、しかも国会の答弁などで堂々と言ってのけるということがあるのかもしれない。
個人的に、もし子どもがいたら最も見せたくない番組は国会中継だ。与野党含めて殆どの委員会でのやりとりは、議論と言えるような水準とは思えない。分別のまだない子どもが、あれを見て議論だと認識するようなら、日本の将来は暗いとしか言いようがない。