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風評被害という表現の影響


 災害が起こる度に、それに伴う観光業などへの影響が報じられる。今月起きた西日本豪雨に関しても同様で、被害は地域によって千差万別で既に平常を取り戻している場合も多いのに、虫食い状に被害の激しい地域が点在していることから、中国地方一体、特に瀬戸内海沿岸地域全体がまだまだ平常とは言えない状況であるというイメージが先行しているようで、観光客、特に日本人観光客が激減しているという話を、各メディアが報じている。
 そのような話の中で必ず触れられるのが、「観光地が平常であっても、被災地域周辺で楽しもうというのは不謹慎だ」と考える人が多いのではないか?という見解だ。確かにそのように考える人も少なくないのかもしれない。しかし、被災地周辺で深刻な渋滞が発生しているとか、水が不足しているなんて話を聞けば、「周辺地域であっても、出かけると迷惑をかけるのではないか」と懸念を抱く場合も少なくないのではないだろうか。


 災害などの影響で実際には必要のない観光自粛などが起きると「風評被害」という表現がしばしば用いられる。確かに、観光客が減ることがどのような影響を引き起こすかもよく考えずに、被災地周辺で観光など楽しむのは不謹慎、というような批判をすること、もしくはそのような批判を受けることを想定して観光を自粛する、予約・予定をキャンセルするような場合は、それは風評被害と評しても問題ない、というか実体に即した表現だろう。
 しかし、被災地周辺の渋滞や水・物資不足に配慮する理由での観光の自粛、予約・予定のキャンセルという場合もあるのに、それを考慮せず「風評被害」という表現を用いるのは妥当だろうか。もし自分が後者の理由で観光の予約・予定をキャンセルしていたとして、風評被害が起きているというニュースを見たとしたら、「お前は風評被害の片棒を担いでいる」と言われている、と受け止めてしまうかもしれない。そのようなネガティブな感覚に陥ったら、場所を問わず観光に対するモチベーションが下がり、批判されないように自宅周辺で過ごそうと思ってしまうかもしれない。

 例えば、福島の原発事故を前提に、福島産品=放射能に汚染されている恐れがある、などの根拠を伴わない理由で福島産品を敬遠する行為によって受ける影響は、確実に風評被害だ。事実に基づかない懸念によって、当該地域の商品を遠ざけたり、観光で訪れる場所の選択肢から除外するような行為、若しくはそのような話を流布する行為は、確実に風評被害に加担する行為と言えるだろう。
 そのように考えれば、渋滞や水・物資の不足について過剰に心配したり配慮する行為も、消極的には風評被害に加担する行為と言えるかもしれない。しかし前段でも示したように、風評被害という表現を過剰に用いれば、それ自体もまた風評被害に加担する行為になりかねないのではないだろうか。観光を予定していた側は適切な情報収集に努めるべきだし、逆に言えば、当該自治体が積極的な情報発信を行えば、影響を最小限にすることが出来るかもしれない

 自分が言いたいのは、風評被害という表現を使うな、ということではない。”安易”に風評被害という表現を使うなということだ。被災地の観光への影響について、風評被害という表現も用いている記事・テレビ報道のほとんどは、この投稿で指摘したようなことについて、概ね配慮された、というか風評被害とそうではない観光の取り止めを分けて考えているように感じる。しかし、記事や番組テロップなどの見出しを見ただけでは、それが伝わらない場もしばしばある。
 このブログで何度も指摘しているように、見出ししか読まない者、見出ししか見ない人も決してすくなくない。というか、自分の経験上寧ろそのような人の方が多い。文字表現・映像表現に関わらず、メディアは少しでも注目を集めようと、センセーショナルな見出しを掲げがちだ。しかし、場合によってはそれが好ましくない影響を起こすこともある。「風評被害」という表現を用いる場合、もう少しその影響を考慮して欲しいと、今月の災害報道を見ていて感じる。

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