「お茶の水女子大、トランスジェンダーの学生を受け入れへ。2020年度から」、ハフポストの記事によると、見出しの通り、お茶の水女子大は、戸籍上の性別が男性であっても、自分の性を女性と認識する人の入学を、2020年度から受け入れることを発表したそうだ。お茶の水大以外の女子大でも、同じような方針を検討している大学もあるようだ。
率直に言って、お茶の水女子大が発表し、他の女子大検討しているという、トランスジェンダーの受け入れ方針は、理念としてはとても先進的且つ素晴らしいと思う。しかし「副作用的な弊害が起きなければいいな」とも思う。将来的に万が一副作用的な弊害が起きてしまえば、性的少数者に対しての偏見が広がりかねない恐れもあると自分は想像してしまう。
ハフポストは6/28に「女子トイレを利用しようとしたトランスジェンダーの女性、飲食店が追い出す」という記事も掲載している。アメリカでの話だが、男性から女性に性転換したトランスジェンダーの女性(アメリカでは性別の訂正が法的に認められている)が、レストランで女性トイレを使用しようとした際に、男性店員から身分証明書の提示を迫られたが、彼女は他の女性が身分証明書の提示を求められないことを根拠に提示を拒否して、女子トイレを使用したらしい。すると警備員が現れて彼女を店から追い出したという案件を紹介している。最終的には店側は対応の落ち度を認め、ツイッター上で当事者に謝罪する旨の声明を発表することになったそうだ。
記事で紹介されているこの件の評価は「店の対応は差別的である」というものばかりだ。確かに、性転換したトランスジェンダーの女性、しかも法的にも認められている女性に対して、彼女にのみトイレの利用に際して身分証明書の提示を求めるという行為は差別的なようにも思える。この店では生来の女性であっても見た目が男性的だったら身分証提示を求めるのだろう。他の女性が身分証提示を求められないのに、自分だけにそれが求められたなら、当事者にとってかなり屈辱的だろう。容姿による差別であると感じられるかもしれない。
あまり大きな声では言えないが、自分は18歳からタバコを吸っていた。19歳の頃、バイト先の先輩とファミリーレストランで昼食をとる際にタバコを吸っていると、未成年だが老け顔の自分は全くスルーなのに、ベビーフェイスの23歳の先輩だけが店員に身分証の提示を迫られた。身分証の提示を拒み、当然先輩の機嫌はたちまち悪くなった。その時は流石に店から追い出されたり警備員が駆け付けるようなことはなかったが、その先輩がとても不憫に思えた。
前段の件では老け顔はある意味メリットだったが、デメリットになった経験もある。自分は成長が早く、小学校6年生で既に168cm身長があった。バスや電車、映画、遊園地などを、背の高い小学生だった自分が子ども料金で利用しようとすると、年齢確認を迫られるようなこともしばしばあった。中には「学生証を見せろ!」なんて中学生であること前提で言ってくる人もいたが小学校に学生証なんてないので、自分はいつも名札を持ち歩いていた。しかし名札には顔写真はないので食い下がる大人もいた。中学校に入ると、自分よりも背の高い同級生がおり、この経験を話したら、彼も同じように疑われ、面倒なので親に中学生・又は大人料金を貰って、子ども料金での利用は諦めていたと言っていた。
確かにどの場合も事実でない不正を疑われた側は憤慨するだろうし、自分が当事者の際は当然同じ様な感覚だったが、ある意味ではある程度外見で判断されることは仕方のないことのように思う。全ての人を厳密に平等に扱うのならば、性善説に基づいて利用者の申告を全面的に信用するか、性悪説に拠って全ての人に例外なく身分証提示を求める必要がある。しかし前者では嘘の申告をした人だけが過剰に利益を得るようなことにもなりかねないので、平等という観点で考えれば、後者以外に道はない。しかし、些細なことで身分証提示が必要な社会はあまり好ましいとは思えない。社会全体で疑いあうような状況は個人間の溝を深めかねないし、また、いちいち身分証を確認する手間やコストも余計にかかるだろう。ということは、やはりある程度見た目によって判断され、場合によっては身分証の提示を求められても仕方がない、と自分には思える。
男性から女性に転換したトランスジェンダーの女子トイレ利用について、例えば、当該レストランが身分証上の性別が女性だったにもかかわらず、確認の上で店から追い出したのなら、確実に差別に該当すると自分も思う。しかし身分証の提示を求めただけで差別に当たるとなれば、万が一ストレートの男性が性的な目的で女装して女子トイレに入る懸念をどうやって排除すればいいだろう。現に日本では女装した男性が女子更衣室や女子風呂に侵入するという案件がしばしば報じられている。そんな事態も勘案すれば、外見によって身分証の提示を求められることはある程度仕方ないのではないだろうか。
話を冒頭で触れた女子大のトランスジェンダー受け入れに戻せば、女性しかいないことを理由に女子大に進学した人、又は今後したい人もいると思う。個人的には全ての学校を共学にしてしまえばいい、と思うが、男性、若しくは女性に何かしらのトラウマ、苦手意識を持つ人も決していない訳でなく、男子校・女子校にもある程度の存在意義はあるだろう。
自分が副作用の懸念を感じているのは、「自認している性が女性であれば入学を受け入れる」の”自認”についてだ。性的な欲求を満たす理由で「自分は女性である」と言い張る男性をどう排除するのだろう。また、万が一そのような者が現れた後、どうやってそうではない者をそうでないと認定するのだろう。要するに、場合によっては実際にトランスジェンダーであるのに、認められず入学を拒まれるケースも起きかねないのではないか?と懸念してしまう。
前述したように、女子大がトランスジェンダーを受け入れるという理念はとても素晴らしいが、判断基準をどうするのか、不当に制度を悪用しようとする者をどう排除するのか、正当な者を排除しないようするにはどうしたらよいか、など、一筋縄ではいかない話なのではないだろうか。