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原発の安全性


 読売新聞の記事「大飯原発差し止め取り消し 原告側「極めて無責任」」などが報じているように、7/4、名古屋高裁金沢支部が、大飯原発の運転を差し止める福井地裁の判決を覆した。簡単に言えば、高裁が運転差し止めの訴えを退けるような判断をしたということだ。また、「首都圏唯一の原発「東海第二」新規制基準で合格(読売新聞)」などが伝えたように、同じく7/4に原子力規制委員会は、茨城県東海村の東海第二原発について、新規制基準適合と判断したようだ。
 これらの件に限らず、政権の意向もあるのだろうが、現在は概ね原発再稼働が進められる状況にある。確かに東日本大震災・福島第一原発事故後、新規制基準が検討・規定され、それ以前よりは厳しい規制・基準が設けられたことには違いない。しかし、東海第二原発については、2018年11月に運転開始から40年を迎えるが、40年という規制を超えて稼働の期限が延長される見通しだ。原則40年廃炉という規制は一体なんだったのか?ということにもなりかねない。そう考えると、新規制基準とやらもその程度の安易な基準である恐れもあると思えてしまう


 原発事故が起こる前は、東日本大震災で起こった津波被害は想定されていなかった。東電の責任をめぐる裁判の中では、予測されていたという指摘もあるが、東電側は想定できなかったと主張している。これを前提に考えれば「人間が設定した想定を自然が上回った」 ことで起きた事故だったと言えるだろう。事故後に作られた新基準も結局のところ、人間が設定した想定を基に作られた基準でしかない。人間の想定を自然が再び上回れば、また事故は起きる。
 勿論、人間の想定を自然が上回ることは原発案件以外でも、比較的よく起こることだ。そうでなければ自然災害なんて起こる訳がない。自然の驚異に晒され人間が不利益を被るのはある意味仕方がないことだ。人間は自然を完全にコントロールすることが出来ない。しかし逆に言えば、コントロールすることが出来ないのだから、どんな基準を作ろうが原発事故の恐れはどうやってもゼロにならない。本来事故は起きてはならないと言わなければならないが、原発で事故が起こっても1年かそこらで影響がゼロになるなら、人間の想定を自然が超えることで起きる事故は仕方がないと言えるかもしれない。1年でなくとも5年以内にゼロになるなら、しぶしぶではあるが容認できる範囲かもしれない。だが、原発事故が一度起これば、少なくとも5年では影響がゼロにならない。というか、チェルノブイリの事故なども勘案すれば、どれぐらい影響が続くかも定かでない。だから、想定外の事故も絶対にあってはならないという事が言えるだろう。
 そんな観点で考えると、新規制基準なんて全然有効な基準とは言えないと自分は思う。福島の事故を経験した上での規制という点で考えたら、原発を動かすことを前提に作られた規制基準で、寧ろザルとすら思える。

 NHKの記事「グリーンピース 仏で原発にドローン激突させる「攻撃に弱い」」によると、環境保護団体が原発に向かってドローンを飛ばし、建屋に激突させたそうだ。環境保護団体側は「外部からの攻撃に弱い」と訴えたが、電力会社は「安全性に影響はなかった」という見解を示したそうだ。
 万が一グリーンピースがもっと過激な団体だったら、ドローンを飛ばしたのがグリーンピースでなく過激派テロ組織に影響された者だったなら、爆発物を搭載したドローンによって深刻なダメージが原発に与えられていたかもしれない。また、今回はドローン1機だけだったようだが、複数で攻撃が行われたら更に深刻な事件になっていたかもしれない。一体何を根拠に「安全性に影響はなかった」なんて軽はずみに言えるのか不可解だ。
 以前日本で、到着口から逆流する形で機内に刃物などを持ち込める恐れがあると、空港会社などに警告したが受け入れられなかった人物が、ハイジャック事件を起こした後にやっと対応がなされるということがあった。結局原発に関しても、誰かがハイジャック事件を起こすなどして実際に飛行機で原発にツッコミでもしない限り、「安全性に影響はない」などの見解が示され続けるのだろう。というか、想定外の津波による事故が起きて尚、新基準は自然が想定を上回らない基準、というような認識によって再稼働が進められている日本では、飛行機が突っ込んだところでほとぼりが冷めれば、原発を稼働させようとするのだろう

 政府は昨年来北朝鮮のミサイル攻撃の危険性、対策の必要性を声高に主張し、北朝鮮が非核化しようがイージスアショアなるミサイルを配備する必要があると言っている。ならば原発など稼働させられるはずがない。ミサイルで狙われる恐れをどのように考えているのだろう。対処が万全ならば是非どのような対策を講じているのか明らかにして、国民を安心させて欲しい。
 また、共謀罪の成立に関しても、オリンピックなどを口実にテロの危険性、対応策強化の必要性を声高に叫んでいた。今回のフランスの事件に鑑みれば、同様の事件は日本でも起きかねない。オリンピックなどがテロ対策の主な口実にされているので、テロ=外国人が起こすことかのような認識を持つ人も多いかもしれないが、この手の事件は日本人が起こす恐れも確実にある。グリーンピース同様の過激な手段を辞さない環境保護活動家らが、同様の手段に出る恐れはゼロではない。既に対策が充分なようであれば是非どのような対策がとられているのかを明らかにし、国民を安心させて欲しい。

 原発への他国からのミサイル攻撃・飛行機による自爆攻撃・ドローンを使用するなどの攻撃にどれほど万全な対策が練られているのか、少なくとも自分はその手の議論を聞いたことがない。それ以外にも核廃棄物の処分に関する問題も解決していない。数日前のMXテレビ・モーニングCROSSで、コメンテーターが「中間貯蔵施設で当分賄える」という旨の見解を示していたが、そんなのは単なる問題の先送りでしかない。昨日今日原発政策がスタートしたばかりなら、今後の課題であるというような見解も理解できるが、既に何十年も経っているのに、未だに問題を先送りしなければならないようなら、将来状況が進展するという期待も薄い。
 それでも原発推進に向けて動いている日本の状況は、自分には全く理解出来ない。一部の人間の金儲け・若しくは名誉欲の為に進められているだけではないのだろうか。

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