スキップしてメイン コンテンツに移動
 

不寛容さの蔓延


 昨夜Googleニュースを見ていて気になる記事が3つあった。
の3つだ。因みに、ガジェット通信の記事は厳密にはBiglobeニュースの引用記事「福島みずほ議員「台風による被害にあわれたみなさん」ツイートを削除し「集中豪雨の被害が広がっています」」が、Googleニュースに取り上げらていた。
 結論から言うと、自分がこの3件に感じたのは日本社会の不寛容さだ。過去は日本にも寛容さがあったのに、近代化と共に昨今不寛容になったというようなことではない。自分は今も昔も日本社会には村社会・島国根性的な不寛容さがあり、多数派が少数派を必要以上に下に見る傾向が存在していると思っている。逆に言えば、経済的に豊かになっても、情報技術が発達しても、その社会に属する人の本質はなかなか変わらないと言えるかもしれない。

まず、一つ目のお尻ふきの「お母さんを応援」という文言についてだ。この件については、BuzzFeed Japanでも「アカチャンホンポが「お母さんを応援」という表記を消したわけ」という記事を7/5に掲載していた。自分はこの記事を読んで以下のようにコメントを書き込んだ。
> 全国のお母さんを応援します。
> なんで『お母さん』がおむつを替えることが前提なんだろう? 確かに現状は私がおむつを替えているけれど、それを押し付けられるのはおかしくない?
 

 誰もお母さんがおむつを替える事を押し付けてなどいない。母乳を与えられるのは母親だけだし、固定観念云々を抜きにしても母親の方が相対的に子供と接する時間が長い、母親がおむつを替えることが相対的に多いから、要するに、お尻ふきシートを手に取ることが多いのは、父親よりも母親だから、パッケージの記述が「全国のお母さんを応援します」になっているだけではないのか。
  このコピーを見て「押し付けられた」と感じるのは個人の自由だし、そう見えてしまう社会的な状況があることは理解できる。しかし自分には、このコピーを変更させることが男性の育児参加を促進し、社会の状況改善に直結するとは到底思えない。逆に言えば、父親の育児参加が進み、父親がおしめを替える頻度が上がれば、パッケージに「お父さんの育児を応援します」というコピーを用いるお尻ふきシートも出てくるだろう。
 確かに日本では男性の育児参加比率はまだまだ低いかもしれないが、これでは、人によっては単なる「クレーマー」に見えてしまうと思う。
このお尻ふきの文言を指摘した人は、ハフポストの7/4の記事「育児は「お母さん」だけの責任?⇒署名受け、アカチャンホンポがパッケージ変更」によると、育児本のタイトル「ママのための◯◯」、自治体の育児学級での「お母さんがしっかり気をつけてください」という説明にも違和感を感じているようだが、前者はターゲット層が母親なだけだろうし、後者だって父親に説明する場合は「お父さんがしっかり気をつけてください」と説明されるだろう。自分には最早難癖のようにすら思える。
 男性の育児参加率を向上させ、育児は女性だけの役割という社会に蔓延する認識を変えていきたいという話はとても素晴らしいし、自分もそうなるべきだと感じるが、その為とは言え重箱の隅をつつくような前述のような主張を声高に叫んでしまったら、趣旨がぼけるというか、逆に反感を買うこともあるのではないだろうか。場合によっては「これだから女は」という愚かな主張をする者に対して、つけ込む隙をわざわざ与えるだけのように思う。そして何より、育児に積極的に参加する、例えば育休を取得する男性に寛容な社会を目指さなければならないのに、それを推進しようという人が別の面で表現に不寛容なようでは本末転倒ですらある。

 福島議員のツイートにへの批判に関してだが、これも不寛容以外の何ものでもない。もし福島議員が災害を揶揄するようなツイートをしていたなら批判を受けて然るべきだ。しかし、彼女の台風による被害というのは誤認かもしれないが、台風から変化した温帯低気圧の影響が今回の豪雨をもたらしたのは紛れもない事実だし、彼女が被災者や被災地を揶揄するようなツイートをしたわけではないのに、「豪雨を台風と言い間違えたのだから謝罪しろ!」というのは単なる揚げ足取りでしかない。
 ガジェット通信の記事は一応、彼女のツイートや謝罪がなかったことに対して明確に批判をしてはいないが、その論調はどう見ても批判的なツイートの側に立っているようにしか見えない。個人的にはガジェット通信というメディアは、いわばゴシップ紙のような存在だと思っているので記事を真に受ける必要もないと思うが、この記事をBiglobeという、且つてはNECの傘下、現在はKDDIの傘下であるインターネットプロバイダの大手企業が運営するメディアがその記事を引用して掲載し、更にそれがGoogleニュースに取り上げられているようでは、真に受ける人も確実に出てくるだろう。
 確かに福島氏は国会議員なのだから、その言説には厳密さが求められる。しかし、台風から変化した温帯低気圧の影響も確実にある豪雨を、台風と表現しただけで「謝罪しろ!」なんて馬鹿げた一部の主張を、あたかも適切であるかのように報じた記事を影響力の強いメディアが批判もせず引用する状況は、自分にはまともとは思えない。結局、不寛容を不寛容と思わない状況の広がりがそこにあると自分は思う。

 最後のタイの洞窟遭難の件について、毎日新聞の記事では明示はされていないが、要するに、日本で同じような事件が起こったら、当事者の少年やその両親、引率者のコーチに対する自己責任論のような批判が殺到していただろうという話だ。記事によればタイでも一部にそのような自己責任論はあるようだし、他国と比べて日本は云々という話ではないし、例えば、震災などが起きても日本では大規模な略奪行為が起こらないことに、海外から称賛の声が寄せられるというような、逆に日本社会が他より優れている面も確実にある。
 しかし不寛容さの広がりは、確実に日本社会の悪い側面である。他に良い側面があるから仕方ないという話ではないし、他にも同じような国はあるからおかしくないという話でもない。私たち一人ひとりが今一度、寛容さ、多様性の尊重について、もう一度考え直す必要があるのではないだろうか。経済的な豊かさや情報技術だけ発展しても、社会が成熟していかなければ、その社会に属する人達の営みが豊かになるとは言えないと考える。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。