スキップしてメイン コンテンツに移動
 

短絡的なレッテル貼りの応酬は非建設的


 9月に自民党の総裁選がある。事実上日本の総理大臣を決める選挙である。しかし一般的な国民には投票する権利はない。個人的には変だと思うが、日本では国会議員を国民が選び、その国会議員が首長・総理大臣を決める制度になっているので、ある意味では仕方ない。ただ、間接選挙と直接選挙という制度の違いはあるが、アメリカ大統領選でも各党の大統領候補を選ぶ予備選挙が党内で行われ、登録してさえいれば誰でも投票できる。州などによって違いもあるようだが、登録は比較的容易で、場合によっては直前でも可能なようだ。しかし、自民党総裁選で投票を行えるのは党所属の国会議員・党員・自由国民会議会員・国民政治協会会員だけで、しかも一般党員・党友が投票に参加するには、直近の2年間に党費の滞納がないこと、という条件がつく。自民党の公式サイトによると、党費は一般党員4000円/年、家族党員2000円/年、特別党員20000円以上/年だそうで、とても高額とは言い難いが、それでも総裁、与党時であれば内閣総理大臣を選ぶ権利を取得するには、金が必要であることには違いない。「実質的には」という条件がつく話とは言え、あまり関心できるような話ではない。勿論自民党に限らず、他の政党も同様の制度なのであれば、同じ違和感を感じるだろう。
 また自民党の入党の案内には、「お申込みには、紹介党員が必要です。お知り合いに党員がいない場合、ご地元の支部にご相談ください。」という注釈もある。知り合いの党員なんてのは、政治家のパーティーに出向いておべっかを使っていれば簡単に出来るだろうが、党費を払える財力があっても入党を断られることもあるということだ。要するに、我が国の総理大臣を実質的に決める選挙は、かなり閉鎖的な環境で行われるということになるのではないだろうか。


  そんな総裁選に、兼ねてからその可能性を報じられていた石破 茂氏が、8/10に立候補することを正式に表明した(読売新聞の記事)。自分が見る限り、現自民政権と距離を置く有識者やメディアは、軒並み石破氏に、「比較的」という条件付きではあるが、好意的なように思う。自分は、石破氏の憲法感や、先月国会会期末に滑り込むように可決された、参議院定数6増案に彼が賛成していたことなどを考えると、彼を積極的に支持する気にはなれない。しかしそれでも、自分の目にも「現政権よりは、要するに安倍氏よりは石破氏の方がマシ」に見える。何故なら、石破氏が主張しているように、現政権の森友加計問題・公文書の隠蔽改ざん捏造(一部疑惑)に関するいい加減な説明、更には先日の杉田議員の差別発言への消極的な対応などを目の当たりにして、現政権への信頼感はないに等しいからだ。経済政策に関しても、株価は確かに上がったが、一体どれだけ国が買い支えているのかを考えれば、単純に好意的には受け止められない。また、物価上昇率2%という目標は達成時期について延期に次ぐ延期で、既に約6年も達成できていないし、遂には達成時期を標榜することすら止めた。深刻な人手不足だという割に実質賃金は寧ろ下がるという奇妙な状況で、一体彼らは何を誇っているのだろう。リーマンショック後のどん底と比べれば勿論経済状況は改善したが、どん底と比べれば良くなるのはある意味当然だ。

 このような事を書くと、確実に反安倍と言われる。彼らの積極支持者らに言わせると「安倍ノセイダー」と言うようである。また「現自民政権は」という主語で批判すると、反自民などと言われることもある。
 しかし、このような短絡的なレッテル貼りは心外だ。自分は反安倍でも反自民でもない。確かに”今の”安倍政権や自民党には反対の立場だが、安倍 晋三だから反対なのでも、自民党だから反対なのでもない。”今(だけでなく以前もの場合もある)”の安倍 晋三の政策、今の自民党に反対なだけだ。例えば、前段で自分は石破氏を積極的に支持は出来ないと書いたが、では反石破なのかと言えば、そうでもない。石破氏が安倍氏同様の支離滅裂な説明や姿勢に出れば「反・その時点での石破」にはなるかもしれないが、意見が違う部分があっただけではそうはならない。要するに、今の信頼性が著しく低い安倍 晋三がどんな政策を掲げようが、口だけにしか聞こえないし、それを支持するという大半の自民党議員、言い換えれば自民党には反対だということだ。例え自民党であっても安倍 晋三であっても、ある程度信頼さえ出来るようなら、意見が多少異なったとしても、短絡的に反安倍とか反自民とはならないだろう。

 同じことは野党や彼らの支持者にも言える。彼らが掲げるプラカードに
アベ政治を許さない

という表現がしばしば用いられる。これはスローガンで、スローガンとは主張を端的に表現したものであるから、ここでの「アベ政治」には、現在の安倍 晋三の政治姿勢・政策という意味が含まれており、絶対的におかしいとは言えない。しかし、政権の積極支持者らは「安倍 晋三を毛嫌いしているだけで、単なる感情論」とか、「個人攻撃で人権を無視している」というように、アベ政治を許さない、という表現は、安倍 晋三がやること全てを否定するのと同じことと受け止めるだろう。
 これはスローガンだから、ある程度は仕方のないことなのだろうが、それでも自分には、自民支持者もそうでない者の両方に単なるレッテル貼りに終始している者が少なくないように思う。しかも、そういう者に限って自分がレッテル貼り、簡単に言えば対立する者の主張を短絡的且つ飛躍させて解釈していることを棚にあげ、相手側のそういう側面を指摘し始める。棚にあげるから自分の解釈のおかしさを指摘されても合理性のある説明が出来ない。彼らはある程度は知識を持っており、それらしい主張は出来るのだが、よく吟味するととんでもないことを主張していることがしばしばある。何故なら、まず自分の主張ありきで話を組み立て根拠を後からくっつけるので、かなり強引、というか、かなり恣意的な解釈に基づく話になっていることがしばしばある

 これは何かによく似ている。自分は、森友・加計問題に関する政権側の説明、ないと言っていた文書が後から出てくるという不細工な対応、そしてそれに関する関係者の弁解などは、まさにその典型例だと思う。国会議員や政府は国民の手本となるべき存在なのに、政府関係者がこのような状況では、前述のような者が増えるのも無理もない。しかし一方で、国会議員を選んでいるのは国民で、間接的にではあるが政権も国民が選んでいるのも事実で、国会議員や政府は国民の映し鏡でもある。卵が先か鶏が先かのような話だが、このような悪循環は必ずどこかで断ち切らなくてはならない。おかしいことをおかしいと批判することはとても重要だが、「アベ政治を許さない」のようなレッテル貼りに終始することが適切な批判とは間違っても言えない

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。