レストランチェーン「フーターズ」のアメリカ・テキサス州の店舗に勤務していた日本出身の従業員が、客から人種差別を受けたと訴え、注目を集めている。ハフポストの8/18の記事「 東京育ちのフーターズ・ガール、米店舗で客から人種差別 ショックで退職、客は出禁に」の書き出し部分だ。この記事の内容はこの書き出しと見出しでほぼ90%が分かる。この後に書かれているのは、どんな差別的な行為があったのか、店がどのような対応を示したかについて書かれている。黒人やアジア人、イスラム教徒、ユダヤ人などへの差別に無頓着な一部の日本人でも、同じ日本人が差別の対象になっているこの記事に対しては、流石に無頓着ではいられないのではないだろうか。
この件の客の言動に不適切さを感じるならば、この件を海の向こうで起きた事案と捉えずに、自分の身の回りでも似たような事がしばしば起こっていることの、反面教師として捉えるべきだ。
ここ10年ぐらいで、コンビニやファーストフード店(特に牛丼チェーンや立ち食いソバ等)の従業員の外国人の割合が飛躍的に増えた。留学生なのか移民なのかはよく分からないが、特にアジア諸国の人と思われる人が多い。そのような外国人であろう従業員に対して差別的な態度をとる日本人にしばしば遭遇する。程度はそれぞれ差があるが、目に余るケースについて、自分はこれまで客側に苦言を呈したことがある。
一例を紹介すると、カタカナの名前の名札を付けたレジ要因の店員に対して、自分の前にいた客が「マルボロ」とだけ発した。一応説明するとマルボロはタバコの銘柄で、マルボロ、マルボロライト、マルボロメンソール、マルボロメンソールライトなどのバリエーションがあり、しかもそれぞれにソフトケース/箱、種類によっては長さの長短などが存在する。要するに、単にマルボロと言っただけでは欲している商品を厳密に特定できない。ただ、単にマルボロと言った場合は概ねオーソドックスなマルボロを指している場合が多く、店員は箱とソフトを持ってきて「どちらですか?」と客に尋ねた。店員の対応としては、恐らく100点に近い対応だろう。しかし、この客はぶすっとした顔で「メンソール・ライトの箱、そんなこともわかんねーのかよ、日本語分からないなら日本にくんなよ」と言い放った。
理不尽だと思った自分は「”マルボロ”だけで メンソールライト箱 まで伝わると思っている方が日本語分かってないでしょ?」と店員をすぐさま擁護した。その客は「なんなんだよコイツ」と言いたげだったが、他の客の視線もあったからか、はっきりそうは言わずに店を出て行った。
「日本に来るな」とか「日本から出ていけ」という言葉を差別だと思っていない人間が余りにも多い。例えば、東京都民が他府県人に対して標準語やそのイントネーションを上手く使えないことを理由に「東京から出ていけ、東京にくるな」と述べたら差別的だという話は、多くの日本人にとって共感できる話だろう。更に、前段で紹介した件については、その店員もカタカナの名前で、所謂日本民族的な外見でないというだけで、日本国籍を持つ日本人かもしれない。もし彼が日本国籍を有する日本人だとしたら、日本から出ていく先などない。
自分は、このような件で外国人に見える店員を擁護する第3者に出くわしたことがない。多くの人は見て見ぬふりをする。勿論自分が出くわさないだけで、全くいないわけではないだろうが、要するにそのような対応をとる人が少ないのだろうと想像する。小中学校では、いじめ問題を解消しようと「いじめを見て見ぬふりをするのはいじめに加担するのも同じ」と教えているのに、それを実践できる大人が如何に少ないかを再認識させられる。これでは、大人が子供にいじめの不適切さをいくら説こうが、全く説得力がないのではないだろうか。
例えば、店の中にいるのが、差別的な客・外国人らしき店員・自分の3人で、差別的な客がそれなりにたくましい男性、自分が非力な女性だった、そんな状況なら「あなたの言っていることはおかしい」とは確かに言いにくいかもしれない。しかし、差別的な客がそれなりにたくましい男性であっても、他に数人の客がいればおかしいことを「おかしい」と言える場合もある。しかしそのような場合であっても、おかしいことを「おかしい」と言わずに傍観者を決め込む人の方が多い。このような状況はとても残念だ。消極的にかもしれないが、概ね日本全体で外国人に対して差別しているとも言えるような、とても恥ずべき状況だと自分は感じる。
ここまで外国人らしき店員に対する差別的な客について書いてきたが、 「”マルボロ”だけで メンソールライト箱 まで伝わると思っている日本語が分かってない客」は、外国人らしき店員にだけでなく、明らかに日本人である客にも同じような態度を示す。外国人らしき店員に対する差別に対して「おかしい」と周りの人間が言うべきであるのと同様に、横柄な態度の対象が日本人だろうが、周りの人間は「おかしい」と言うべきだ。
このようなことを友人に話した際に、「おかしい」と言って反撃され怪我でもしたら危険だ、と言われたことがある。しかし自分は、差別的な言動や、明らかに理不尽な横柄な態度を野放しにし、そのような風潮が社会に蔓延する方がよっぽど危険だと思う。自分の身を案じることについて、おかしいとか悪いと言うつもりはないが、明日は我が身ということをもっとよく考えた方がよいと思う。