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制服としての迷彩服


 今朝、MXテレビ・モーニングCROSSは「「子供の迷彩服試着は不安」自衛隊のイベント中止」というニュースを取り上げていた。埼玉県鴻巣市のショッピングモールで8/20-21に開催予定だった「夏休み特別企画!自衛隊と警察ふれあいフェスタ 2018」という、自衛隊や県警の合同採用説明会や軽装甲機動車の展示する企画のイベントに、自衛隊の子供用迷彩服の試着体験も行われる予定だったことに注目した日本共産党鴻巣市委員会らが中止をショッピングモールへ要請したことで、イベントが中止になったという内容の産経新聞の記事「「子供の迷彩服試着は不安」共産党要請で自衛隊イベント中止 埼玉・鴻巣」を、Web上で注目が集まった案件として紹介していた。この件については、共産党の機関紙・赤旗でも「ショッピングモール 埼玉・鴻巣 自衛隊参加の催し 中止に 市民の声が力を発揮」という見出しの記事で取り上げている。両者に大きな表現の差はないことから、事の経緯に大きな間違いはないのだろう。


 この件について今朝のモーニングCROSSのコメンテーターらが示したのは、
 個人的には市民に不安を与えるという意味が分からないなあと思っていて、警察官の制服だったり消防隊の制服だったりを子供が着るのは別に問題ないじゃないですか。迷彩服って最早世の中にもかなりファッションとして取り入れられてますし、迷彩服見たからって「わ、戦争だ、危険だ」と思う人がどれぐらいいるのか。自衛隊の地方協力本部があるんですが、ここが自衛官のリクルート、地域住民との交流に如何に苦心しているか。自衛隊は災害時やいざという時に皆さんを守ってくれるけども、普段から国民からの理解というか、出会いが必要で、国民と隔絶したところに置いてはいけないと思う。そういう貴重な場を「市民に不安を与えるから中止」というのは理解出来ないので、個人的には憤りを覚える。(弁護士/予備自衛官・田上 嘉一) 
 日本に比べてアメリカの社会の中で、軍に対する憧れが強くて迷彩服を普段着にしている人も多いし、銃に対する愛・憧れも強くて、そんな風になって欲しくないというのが僕の正直な気持ちなんですけど、共産党の「不安を与える」というのは理解し難い。(臨時番組MC・パトリック ハーラン(パックン))
 神経質になり過ぎだと思うし、迷彩服とは緑の多いところだと緑色だし砂漠だと茶色くなる、要は動物のトラの縞などと同じようなもの。いろんなことが考えられるが、そう言う事も勉強したほうがいいと思う。そんなに神経質になる話ではないと僕は思う。(作家・江上 剛)
 クレームでイベントが中止になったということだが、(この件だけでなく)クレームへの対応が行き過ぎていないかもう一度考えていかないと、クレームがあるからこれが出来ないという制約が大きくなり過ぎていて、いろんなところで不安を感じる。(公認会計士/税理士・森井 じゅん)
 今安倍総理が(違憲という見解もあるということで)自衛隊の方々に申し訳ないから、加憲して認めようと言っている。こういう声があると、より「ほらみたことか、自衛隊の方々がこんなに狭苦しい思いをしている。可哀そうじゃないか」という声を、逆に後押しすることになるとも思う。(弁護士/予備自衛官・田上 嘉一)
 こういう事があるから、共産党から国民(の支持)が離れて行ってしまうような気がする(臨時番組MC・パトリック ハーラン(パックン))
と、一部に「不安」という話に理解を示す話もあったものの、軒並み共産党らが示した懸念に違和感を感じるという方向性のコメントだった。

 自分はこの話の焦点は2つあると考える。それは
  • 自衛隊に対して戦争に関する懸念を呈することの是非
  • クレームへの過剰対応
の2つだ。まずは前者について考えたい。田上さんは警察官・消防隊の制服を子供が着るのに懸念を感じないのに、自衛隊の迷彩服を懸念するのはおかしい、という旨の主張をしている。 自分はこの話には全然賛同出来ない。何故なら、自衛隊は他国と交戦、言い換えれば戦争を行う可能性ある組織で、警察や消防隊にはその可能性はほぼない。制服とはその組織の象徴だ。戦前の軍国教育がどれだけの軍国少年を生み、積極的・或いは消極的に戦争に向かわせたかを考えると、自衛隊の迷彩服試着、しかも分別があるとは言えない子どもの試着に懸念を感じるのは、それ程おかしなことではないのではないだろうか。
 また、田上さんや江上さんは、迷彩服は最早ファッションの一部だとか、動物の保護色・擬態のようなものだから、共産党らの指摘は過剰反応であると指摘している。確かに、単なる迷彩柄は彼らの言うような存在だろうが、そのような一面的な解釈で懸念を一蹴できるのなら、例えば、欧州などで根強いナチスSS風の制服やハーケンクロイツへの懸念も過剰反応だと一蹴できそうだ。確かに迷彩柄はファッションにも取り入れられているし、保護色・擬態のようなものでもある。しかしそれと同時に自衛隊に限らず、世界中の軍隊で制服や車両等の塗装に取り入れられており、軍隊の象徴でもあることには違いない。日本では軍が統帥権を根拠に暴走して軍国化し、太平洋戦争に至って多くの犠牲者を出した。しかも無理な作戦や特攻などの、軍の馬鹿げた方針によって死んでいった者も少なくない。 他の国の国民より日本人が軍隊(に準ずる組織)に過敏に反応するのには相応の理由がある。
 しかしその一方で、田上さんの主張には理解出来る部分も多くある。自衛隊は軍隊に準ずる組織で、場合によっては戦争の主体になり得る組織でもあるのと同時に、田上さんが言うように、災害時などにも国民を助けてくれる組織でもある。また、当然人材確保の為の施策は不可欠で、その為には組織や活動を知ってもらう為のイベント開催は欠かせないだろう。共産党らが懸念を示した結果、イベントが中止になるようでは「自衛官に肩身の狭い思いをさせている」という見解に繋がりかねない、という主張も一理あると感じる。

 次にクレームへの過剰反応という話についてだが、共産党らのイベント中止要請が過剰だったかどうかという点について、自分はコメンテーターらが言うように過剰だったと考える。しかし前述したように、自衛隊から戦争を連想するという発想はおかしいとは思わないし、子どもに迷彩服を試着させることへの懸念については過剰だとは思わない。
 では何が過剰だったと考えるかと言えば、「子どもに迷彩服を試着させる企画があることを理由に、イベント全体が中止になったこと」だ。イベントの中止決定に関しては、ショッピングモールが自衛隊に要請して決定したようだが、自分はイベント自体は中止せずに、子どもへの試着企画だけを中止すればよかったのではないかと考える。
 産経の記事やモーニングCROSSは「「子供の迷彩服試着は不安」共産党要請で自衛隊イベント中止」という見出しを掲げ、それだけが要因かのように報じているが、赤旗の記事には、
 迷彩服や装甲車が戦争を想起させると指摘
という表現があり、試着企画のみならず、装甲車の展示にも懸念を示していたことが分かる。確かに装甲車も迷彩服と同様、軍隊(に準ずる組織)の象徴の一つで、戦争を想起させるものだ。しかし、戦争を想起させたら不適切なのであれば、テレビや新聞で自衛隊関連の話題はタブーになってしまうだろうし、想起させたら不適切なんて考えは過剰であると思う。
 自分は誰に教わったわけで、倣ったわけでもなく、子どもの頃に戦車や戦艦、戦闘機に純粋的な魅力を感じていた。戦争とは関係なく恐らく本能的にある種のかっこよさを感じていたのだと思う。それは男の子が大抵電車や自動車にかっこよさを感じるのと似たような感覚だと思う。若しくは、防衛本能のようなものが背景にあり、身を守る為に必要な武器等に本能的に魅力を感じていたのかもしれない。そんな意味で言えば、子どもに装甲車を見せても不適切だとは思わないし、子どもが装甲車を見てカッコいいと思っても不適切だとは思わない。そんな観点でイベント自体が中止に至ったのは過剰反応だと思う。

 しかしその一方で、前述のように日本には軍国教育への反省もあるわけだし、概ね子供は戦車や戦艦に無条件で魅力を感じるものだし、どこかで歯止めをかける必要があるのではないかとも思う。勿論ある程度分別のある年齢になってから戦争の悲惨さや、どれほどの犠牲が生じるのかなどを教えればいいのかもしれない。しかし、分別がつく前に戦車や戦艦などの兵器、軍隊(に準ずる組織)の魅力を煽れば、そのような後の教育の効果が半減する恐れもある。だから個人的には、子どもにわざわざ自衛隊が迷彩服を試着させるような事は行うべきではないと考える。
 例えば、災害に関する活動の魅力を伝えたいのであれば、迷彩服である必要性はない。何故なら、迷彩服は江上さんの言うように保護色・擬態である。言い換えれば敵に発見され難くする為に服装だ。災害に関する活動で敵の目はないし、寧ろ被害者から隊員を見えやすくするためには迷彩柄は逆効果でもある。そんな意味では自衛隊の迷彩服は(勿論他の軍隊の迷彩服でも)やはり戦争の象徴と言えるのではないか。そんな迷彩服を自衛隊がわざわざ子供に着せる必要があるのかには疑問を感じる。

 今朝のモーニングCROSSを見て、自分は以上のように感じたわけだが、要するにコメンテーターらの主張には理解できる部分と、そうではない部分の両方が混在していた。個人的には3人が3人とも、共産党らの見解は不適当という立場のように見えたので、MCだったパックンには、バランスをとるという意味でも、もう少し中立的なスタンス、というか共産党らが示した懸念にも妥当な点はあるという立場でいて欲しかった。

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