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部活動指導員


 学校の部活動については昨今様々な問題が取り沙汰されている。昨今と言っても大きく取り沙汰され始めたのがここ数年というだけで、実際には、任意参加である筈の部活動への参加が生徒に強制されていたり、生徒だけでなく教員にも顧問を担うことが強制されたり、行き過ぎた指導・指導者のパワハラ・セクハラ行為等の問題は何十年も前から存在していたし、散発的にならこれまでも取り上げられてきた。要するに、単に昨今おかしいことをおかしいと言える空気が、SNSの台頭などの影響によって生まれ、正そうという機運がやっと盛り上がってきただけ、と個人的には思っている。
 一方で、部活動の諸所の問題が取り沙汰される度に「部活動自体を廃止すればよい」などの極端な主張も見かけるが、それでは積極的に自ら活動に参加している生徒の可能性を奪うことにもなりかねず、決して建設的な話とは思えない。


 近年、働き方改革や教員の人材不足などを背景に、部活指導を外部の者へ委託する動きが起きている、としばしば報じられる。スポーツクラブへ指導を委託したり、地域に住む当該競技に明るい者がボランティアでその役割を担っていることもあるようだ。このようなことが報道され始めたのは、自分の知る限りここ数年のことだが、このような取り組みはここ数年で始まったことなのかと言えば、そうではないのではないだろうか。自分が高校生の時に参加していた部活は、顧問の先生はいたがほぼ名前だけの顧問で、一応公式戦と合宿だけには居たような気もするが、日頃の練習には殆どノータッチだった。では誰が指導していたのかと言えば、部のOB(大学生)が土日休日の練習、毎日ではないが週に数日平日の練習も見ていた。周辺校にも同じ様にOBが部を指導している学校は数校あった。自分が住んでいた地域では、一応部活動に学外の者が携わることを認め、僅かながら交通費を支払う制度もあったようだ。部活を見てくれていたOBに聞いた話によれば、交通費は月1万円強程度で、交通費だけを考えても赤字だったようだ。

 そんな部活指導員について、文科省は全国の公立中学校に1万2000人を配置する経費として、来年度予算の概算要求で13億円を盛り込む方針を決めた、と日経新聞(部活動指導に1万2千人 外部人材で働き方改革推進)やNHK(公立中に部活動指導員1万2000人配置へ 教員の負担軽減)などが報じている。どちらの記事も、自分の目には「文科省が過労死ラインを超えることが少なくない教員の働く環境改善に本腰を入れ始めた、若しくは本腰を入れる姿勢を示している」という論調のように見える。
 日経の記事によると、2018年度も部活動指導員4500人の配置を目指して5億円の予算が組まれているそうだ。人数だけ見れば「およそ3倍弱への増員を目指す」ということだから、文科省が前向きに取り組んでいるように思える。しかし、日本全国に公立中学が何校あるのかと言えば、文科省の2015年の調査結果によると、その数はおよそ9500校あるようだ。1万2000人の指導員を配置すると1校あたり1-2人ということになる。要するに指導員を配置するとしても、1万2000人では充分な人数とは到底思えない。学校に部活動が1つないし2つなんてことは到底あり得ない。少なくとも10前後はあるのが一般的な中学校だろう。9500校×10前後の部活数に対して、各校1-2人程度の指導員を導入したとしても、本当に教員の負担軽減になるのか疑問だ。勿論、部活動の顧問を率先して引き受ける、というか部活動の顧問をやりたくて教員になった人もいるだろうから、部活全てに指導員が必要か?と言えばそうではないかもしれないが、それでも1校あたり1-2人では焼け石に水ではないのだろうか。
 また、予算に関しても、1万2000人に対してかなり少ないように思う。1万2000人に対して13億円ということは、指導員1人あたりで単純計算すると、1人当たりの指導員に約10万8300円/年が割り当てられることになる。これは単純計算で予算の全てが人件費ではないだろうから、1人当たりに割り当てられる予算は、実際には更に減ることになるだろう。年10万8300円ということは月あたりに換算すれば約9000円だ。前述したOBが貰っていた交通費よりも更に少ない額である。この予算で一体誰を部活動指導員に動員しようというのだろうか。ボランティアを募るのは悪いことではないが、それでも交通費をしっかり賄えるくらいの予算は必要なのではないだろうか。これでは結局のところ、教員の負担軽減の為に発生するツケを、善意に乗じて別の誰かに回すだけになりかねない。

 ここまで、人員数・予算の2点で文科省の方針に対する懸念を示したが、一応補足しておくと、この話は文科省の方針で、実際には各地方自治体でも部活動指導員への取り組みがあり、それぞれの自治体でも予算が組まれるだろうから、そちらも考慮した上で判断しなければ適切な評価にはならないかもしれない。
 しかし、日経の記事にはこんな一節がある。
 スポーツ庁は3月に示した中学の運動部活動のガイドラインで、教員の負担軽減や子供のけが防止のため、週2日以上の休養日を設けると明記。文科省はガイドラインを順守していることなどを条件に指導員確保の経費の3分の1を補助する。
年額10万8300円(恐らく実質的にはそれ以下)が1/3程度で、地方自治体の予算等と合わせて賄うという目論みであるなら、文科省は、部活動指導員確保にかかる経費を年30万円前後程度と想定している、ということだろう。月額換算すれば2万5000円程度だ。これでは、指導内容の向上の為にピンポイントで月に何度か職業としてスポーツ指導している人を招くことは出来るかもしれないが、主体的に部活動を指導する者として雇うことは難しそうだ。勿論教員と二人三脚でもよいが、公式戦や練習試合で休日に同行して貰えば、そんな額ではそれだけで終わってしまう。平日の日常的な指導もして貰おうとしたら確実に額が少ない。結局はOBなどのボランティアに頼らざるを得ないということになり、現状と大差ない状況が続くだけのように感じる。

 このような観点で文科省の予算検討方針を見ていると、教育に金は掛けない、というのが文科省や政府の方針なのだろう、というように思えてしまう。

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