タレントのりゅうちぇるさんが子供の誕生を機に、両肩に家族の名前の刺青を入れたことを公表した。公表したと言うのは実体とはややかけ離れている。実際は声高らかに公表した訳でなく、それが見える写真をSNSに投稿しファンから「ちぇるちぇるタトゥー本物じゃないよね?!?」と問われて「REAL TATOO!! TETSUKOとLINKだよん」と答えただけだ。刺青を自慢しようとしたわけでもないし、自ら「刺青入れました」と発表した訳でもない。
彼が刺青を入れたことについて、SNS上で彼に対して批判的なコメントが殺到している。このことは多くのメディアが報じている(BuzzFeed Japan「「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」りゅうちぇる、タトゥー批判の声に「僕は変えていきたい」」、ハフポスト「りゅうちぇる、タトゥー批判に反論「この体で、僕は大切な家族の笑顔を守る」」など)。
BuzzFeed Japanが紹介した批判の声の中に
子供の名前入れた?芸能人だから何でもやって許されるの?日本に住んでるんだから、今の日本を理解した方が良い。ただのエゴイストという批判があった。日本に住んでいるんだから、今の日本を理解しろと言うのは「郷に入れば郷に従え」のような話で、一見すると一理あるようにも見えるかもしれない。しかし「郷に入れば郷に従え」は合理性のない不適当な同調圧力でしかない場合も往々にしてある。これは言い換えれば「しきたりだから尊重しろ」のような話だ。尊重しなければならない理由の合理性が「しきたりだから」だけで確保できるのだとしたら、どんな悪法が成立しても、一度決まったしきたり(ルール)だから厳守しなければならないし、改正などせず維持しなくてはならないということにもなりかねない。そんな感覚では社会の進歩など望めないし、どんなに現状に苦しんでいる人がいたとしても「それがしきたりなんだから仕方ない」と斬り捨てるようなことにも繋がるだろう。
更に、今の日本を理解しないのがただのエゴイストならば、りゅうちぇるさんの決意や、刺青を入れる人の考えに理解を示さない人もただのエゴイストだろう。要するにエゴイスト認定出来るのは、その本人がエゴイストだからに他ならないのではないだろうか。
また、
子供ができたのにタトゥー入ってたらプールとか温泉とか連れていってあげれないよね…子供が可哀想という批判も紹介されている。批判というよりは感想と言える程度の表現かもしれないが、個人的には子供のことを憂うという体裁ではあるものの、その裏側には刺青に対する偏見を容認・黙認するという、いじめで言えば傍観者、もしくはイジメられる側にも問題があると言わんばかりの主張をするのと似たようなものだと感じる。確かに日本ではまだまだ刺青お断りのプールや入浴施設も多い。しかし、BuzzFeed Japanの記事「お風呂で「タトゥー禁止」は変わるか? 試行錯誤する温浴施設」が紹介しているように、刺青があっても利用できる施設もある。また、これまでの刺青お断りの風潮も、徐々にではあるが変わりつつあるようだ。
この手のコメントの問題は、まずコメントした者に正しい現状認識がない点と、現実に沿っているとは言えない主張によって、それが現実であるという誤った認識を助長しかねないという点だ。刺青お断りルールによって、子供と行きたいプール・温泉に行けないとしても、子供を可哀想にしているのは刺青を入れた親ではなく、合理性のない排除ルールでお断りしている施設側、そんなルールを容認・黙認する社会の方ではないのか。
前述の、BuzzFeed Japanのプール・入浴施設の刺青禁止ルールに関する記事では、いくつかの施設・組織にそのルールの有無や、そのようなルールを何故設けるのか、又は設けないのかに関する所感を問う取材を行って紹介している。これに対して、スーパー銭湯や日帰り温泉など、銭湯以外の公衆浴場約130店でつくる「温浴振興協会」の諸星敏博代表理事は次のようにコメントしている。
ただ、営利企業である以上、利用者の方の『怖い』といった声も判断基準にせざるを得ない。海外の方は『なぜ日本ではタトゥーがあると温泉に入れないのか』と言いますが、『郷に入っては郷に従え』という言葉もありますから利用者の(刺青が)怖いという声に耳を傾ける必要はあるのか。例えば、暴力団関係者や性犯罪歴のある人を怖がるのには、ある程度の合理性があるかもしれない。しかし、刺青を入れているだけで怖いという声に果たして合理性があると言えるのだろうか。確かに、江戸時代には罪人に刺青を入れていたとか、1970年代に流行った仁侠映画の影響とか、日本では刺青にアウトローのイメージが根強く残っていることは分かる。しかしそれは単なるイメージでしかない。イメージだけで怖がり、その感覚による排除が合理的であるのなら、外国人=犯罪者が多い、イスラム教徒=テロリストが多い、中国人・韓国人=反日、などのような一部の者の勝手なイメージで、それらの人々を排除しても構わないということになってしまいそうだ。結局ここでも「郷に入れば郷に従え」が、その意味もよく考えずお題目のように唱えられている。しかも、130もの施設が加盟する組織の代表者が、恥ずかしげもなくこんなことを言っていることに「日本の民度はその程度」ということを再確認させられる。
これでは「伝統だから」という理由だけで、医療行為にすら土俵上の女人禁制を適用しようとし、頑なにその態度を改めない相撲協会と大差ない。「郷に入れば郷に従え」を恣意的に解釈してはならない。
冒頭でも紹介したハフポストの記事「りゅうちぇる、タトゥー批判に反論「この体で、僕は大切な家族の笑顔を守る」」に「タトゥー・刺青に対する偏見が、誰かを不幸にしていると考えるべきだ」という旨のコメントを投稿したところ、
入れ墨怖いからだよ。気の問題の方が大半だろう。入れたい奴らが、周りへ理解を求める行動が、不十分だと言う事だ。そういうの無視して強行して入れるでしょ?そりゃ、嫌ってる人益々敬遠するよ。社会に認められなくていいなら、それこそアウトローのする事だ。という反論が返ってき。詳しくはハフポストの記事で確認してもらうとして、要するに「偏見を持たれたくないなら、もっと「怖い」と感じる人に理解されるようにしろ、それをしないで勝手に刺青入れて文句を言うな」のような話だ。かなり難癖染みていて、しかも自分が差別的な主張をしているという自認がないようでかなり残念だ。
彼は他にも、
私は偏見を持つ事を悪だと思った事無いよ。それを別の偏見に変える事も自然だ。 偏見が悪だと言う考えこそ、偏った見方ではないのかい?と、偏見を容認しない方ことこそ偏見だという、小学生が「馬鹿っていたっらお前も馬鹿」と言い返すレベルの矛盾した主張を悪びれる事もなく堂々と投稿している。このあたりでやり取りを続けたところで無駄骨だと感じたし、この低レベルなコメントに収束したということは、本人も自分の主張の合理性のなさには薄々感づいているが、ただ認めたくないだけなのだろう、と感じた。
彼のコメントの中で最も残念だったのは、
君の書いてる怖いから止めろを、思ってるからだよ。 それ自体は別に悪でもなんでもない、普通の反応だよ。だから現に多くの人がそう反応してる。 それを払しょくしたければ、相手の考えに沿って主張しないと、余計避けられるよ。親切に言ってると思うがね? 入れてる奴の子供と奥さんなど、他人は知らないし、そいつの内面がどうかなんて知らねーよ。 だから、まず身なりを整えて、不快にならないように、内面を知ってもらって言えば?リュウちゅえるみたいに、実力行使で入れてから、言っても余計避けられるだけ。である。自分が怖いと思ったものを排除して何が悪いと開き直っている時点で、これまで説明してきたように適切ではないのだが、更に恐ろしいのは「それ(刺青を怖いから排除したいという話)を払しょくしたければ、相手の考えに沿って主張しないと、余計避けられるよ。親切に言ってると思うがね?」という部分で、彼は、自分は刺青を入れている人に対して親切で「怖いからやめろ」と言ってやっているというのだ。
押し付けられる親切程たちの悪いものはない。暴力的な恋人やパートナーは、相手を散々罵倒し暴力をふるった後に、「お前のことを思って、親切でそうしている」と言いがちだし、パワハラ上司も理不尽に怒鳴りつけたり、不当な処分を加えた後に「親切で言って(やって)やっている、有難いと思え」のような事を言いがちだ。親切とは、受けた側がそう感じて初めて親切になるのであって、親切の自負は大抵押し付けがましい。そのような親切の押し付けを「余計なお世話」とか「お節介」なんて表現することもあるが、更に度を越せば「親切を騙った精神的暴力の不適切な正当化」にもなる。
前述のハフポストの記事「お風呂で「タトゥー禁止」は変わるか? 試行錯誤する温浴施設」では、刺青お断りルールのない千葉県成田市の日帰り温泉施設・大和の湯の代表、高根 英樹さんのコメントを紹介している。
『人を見た目で差別しない』という考えのもと、ホームページにもこう記載しています。暴力団関係者でも刺青を入れている人、いない人がいる。刺青の有無で区別することはできませんなぜ小学生で教わるような、こんな基本的なことを理解していない大人が、こんなにも大勢いるのか。それが甚だ疑問だし、とても嘆かわしい。この手の人の中には、人の親になっている者も少なくないだろうから、日本から子どものいじめがなくならないのもうなずける話だ。兎に角「郷に入れば郷に従え」というような話に合理性を感じる人間が大勢いるということなのだろう。これは日本式の協調性を重んじる教育の、負の側面なのかもしれない。(勿論協調性重視にはいい側面もあるだろうが)。確かに「郷(日本)に入れば郷(日本のしきたり)に従え」は、しきたりに合理性があれば間違った話ではない。しかし、しきたりに合理性が欠けているなら、しきたりを変えるべきだ。刺青お断りルールや刺青への偏見に合理性が欠けていることは、高根さんのコメントがとても端的に言い表している。
また、太陽系レベルで捉えれば「郷(地球)に入れば郷(世界の標準的な感覚)に従え」とも言えそうだ。「郷に入れば郷に従え」だけでは、決して馬鹿げたしきたり・ルールを肯定することは出来ない。