複数の中央省庁で障害者雇用に水増しの疑いがあると、8/17頃この件の第1報が報じられた(時事通信社の関連記事まとめ)。その後、中央だけでなく地方自治体等でも同様の水増しが行われていたなどと報じられ、関係する役所の数は更に増えそうな状況だ。昨日・8/28に担当省庁である厚生労働省が、国の機関に関して行った調査結果を公表した。毎日新聞の記事「障害者雇用 省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言」によれば、調査をおこなった33の機関のうちの8割で水増しが行われ、中には過去に死亡した職員を障害者雇用として数えるという悪質なケースもあったそうだ。
- 従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。
- 民間企業の法定雇用率は2.2%です。従業員を45.5人以上雇用している企業は、障害者を1人以上雇用しなければなりません。
障害者雇用促進法がなぜ必要なのかを、この問題を考える際にはまず把握しておく必要がある。厚労省・障害者雇用促進法の概要 を参照するべきかもしれないが、お役所のサイトは相変わらず閲覧性が低く使いづらいので、Wikipedia・障害者の雇用の促進等に関する法律の目的・理念 の項目を紹介する。
この法律は、障害者の雇用義務等に基づく雇用の促進等のための措置、雇用の分野における障害者と障害者でない者との均等な機会及び待遇の確保並びに障害者がその有する能力を有効に発揮することができるようにするための措置、職業リハビリテーションの措置その他障害者がその能力に適合する職業に就くこと等を通じてその職業生活において自立することを促進するための措置を総合的に講じ、もって障害者の職業の安定を図ることを目的とする。と第1条にこの法律の目的・理念が記されている。注目すべきは「雇用の分野における障害者と障害者でない者との均等な機会及び待遇の確保」という部分だ。雇用の均等な機会や待遇の確保が必要であるということは、現状その状況が確保できていない、若しくは雇用人数の義務規定などの対策をしなければその状況が確保できないということだろう。もっと簡単に言えば、障害者が冷遇されているのが現状、ということだ。
この条文は1960年に身体障害者雇用促進法として定められたようだ。1987年に知的障害へも範囲をげ広げ、現在の、障害者の雇用の促進等に関する法律へと改称、その後も何度か改正・改定があったようだが、この条文はそのまま残っている。要するに、障害者が冷遇されている状況は今日も続いているということだろう。
ツイッターを眺めていると、かなり残念な主張も目に付く。
— ゴケモンPO@ジェンダー評論家です (@TMN_CAR) 2018年8月28日
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という自民・杉田議員の馬鹿げた主張同様、「障害者には生産性がない」と堂々と言っている。これは障害者への偏見・差別的な意思以外の何ものでもない。耳が聞こえないと生産性がないのか、しゃべれないと生産性がないのか。もし万が一生産性がないという話が正しかったとしても、生産性をフルに発揮できない弱者ならば、斬り捨てるのでなく支援しなければならないのではないか。水増しが因果応報なんて思考は、優生保護法や優生思想と何も違わない。同じ日本語話者がこのような差別的な主張をしていることをとても残念に思う、そしてとても恥ずかしい。知的障害や精神障害者が生産性あるの?— ゴケモンPO@ジェンダー評論家です (@TMN_CAR) 2018年8月28日
コミュニケーションがとれなかったり、奇声あげられたりして仕事になるの?
身体障害者はあるよ。
耳が聞こえなくてもしゃべれなくてもさ
前述したように障害者が冷遇されている状況を全く無視した話だし、全ての障害者が「雇われて当然という意識を持っている」と言っているようにも見え、悪意に満ちたレッテル貼りとしか思えない。朝日新聞は「「障害者採用うっとうしいのか」国の担当者に怒りの抗議」という記事を掲載している。正直に言うと障がい者って雇われて当然と言う意識があってうっとうしいんですよね…#ひるおび— 弾けるミッキー (@fumie0605) 2018年8月29日
これらのようなツイートを目にすれば、その偏見に満ちた差別的な内容に対して多くの人が強い不快感を抱くだろう。「何を愚かな事を言っているんだ」と思う事だろう。しかし、役所が障害者雇用に関して水増しを行っていたのは、彼らと同様の意識が役所全体にあったからだろうと自分は強く感じる。そのような認識がなければ、確実に不適切だと分かるはずだろうが、誰も正さず、と言うかここまで蔓延していたということは、多かれ少なかれ官僚・職員らの多くに、これらのツイートをした者と似たような感覚があったという事ではないだろうか。
時事通信の記事によると、野田総務大臣はこの件に関して、
悪意ではなく慣行に従って、それでいいという認識だったと思う。どうしたらスムーズに(障害者)雇用が霞が関で生まれるかを考えていかなければいけないという所感を示したそうだ。勿論野田氏も悪意でないから大事ではない、とは思ってはいないだろうが、無意識の悪意程タチが悪いものはない。野田氏は障害者が冷遇されている状況は今日も続いている、という認識が役人になかったと言っているも同様だ。優生保護法のような悪法もあるだろうから、法律が万能だとは全く思わないが、概ね多くの法律は正常に機能しているし、必要性のあることが記述されている筈だ。法律に定められたことにもかかわらず、弱者を弱者と認識しない役人は、一体どこを向いて行政を動かしているのだろう。
障害者雇用水増しに関しては何十年も前から続いていたという話もあり、現政権の責任は限定的かもしれない。しかし、昨年来次々と発覚する公文書の隠蔽・改ざん・不適切な廃棄、官僚の虚偽答弁、そして誰も責任をとろうとしない内閣によって、明らかに政治・行政への不信は高まっている、と言わざるを得ない状況だ。この件はそれに更に拍車を掛けるような事案で、この件に対して政府が積極性を見せなければ、更に不信は高まるだろう。
しかしそれは逆に言えば、積極的で適切な対応を然るべきタイミングで見せれば、信頼の回復に繋がる。これだけ多数の中央・地方の行政機関で不正が発覚したのだから、総理大臣が先頭に立って対応するべきだと思うが、総裁選でそれどころでないのか、そのような姿勢は全く見えない。このような状況も、この件の残念さを上塗りする要因だと自分は感じている。