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全米オープン決勝に絡むいくつかの差別案件について


 9/9、大坂 なおみ選手が、彼女自身の憧れの選手だったという、セリーナ ウィリアムズ選手を破り全米オープンで優勝を果たした。この件については「快挙」として伝えられ、一部の報道では「日本人初のグランドスラム優勝」という見出し・フレーズが使われていた。しかし日本のテニス界には、グランドスラム車いす部門で、シングルス・ダブルスを合わせて42回の優勝を誇る国枝 慎吾選手がいる。自分はこの見出し・フレーズに無意識の障害者差別を感じてしまった
 日本人の一部に、ダルビッシュ選手やオコエ選手、ケンブリッジ 飛鳥選手など、純粋なネイティブジャパニーズではないスポーツ選手が活躍すると「日本人ではない」などと言いだす人がいる。彼らは確かに所謂純粋なネイティブジャパニーズではないかもしれないが、日本国籍を持つ日本人であることには何の疑いもない。彼らに対して「日本人ではない」と言うのは、見た目や出自(転校生等)でいじめを行う小学生レベルの行為ではないのか。
 大坂選手に対しても同様の心無い指摘があったようだが、一方で彼女の全米オープン優勝に対して「日本人初のグランドスラム優勝」という表現を、テレビや新聞など大手メディアが懸念もなく用いたのを目の当たりにすると、見た目や出自に関してだけでなく、障害者・性別・その他もろもろ、差別や偏見に関する日本人の認識はまだまだ高いとは言えず、前段のような事を言い出す人が一定数いることは、容認など到底できないものの、ある意味では必然なのかもしれないと感じる。


 ハフポストは、9/12に「セリーナ・ウィリアムズの風刺画に「人種差別」と批判殺到 大坂なおみは金髪に?」という記事を掲載した。全米オープンの決勝で、セリーナ ウィリアムズ選手は、禁止されている試合の途中でコーチの助言を受けたとして反則を取られ、そのことについて審判に猛抗議し、審判に罵声を浴びせた。また、その怒りだけではないかもしれないが、怒りをラケットにぶつけ破壊もしている。テニスの公式選でラケットを破壊する選手をしばしば見かけるが、ラケットの破壊行為も反則行為に該当し、罰金が科される。
 このウィリアムズ選手の態度に関する以下の風刺画を、オーストラリアの新聞が掲載した。
ハフポストが記事化したのは、この風刺画について「黒人を揶揄した差別的な行為」という批判の声が上がっているという事についてだ。

 この風刺画を描いたマーク ナイトさんは批判が多く寄せられ、その中にはナイトさんの家族らを罵倒するコメントも多く、家族や友人の安全を守るためにTwitterアカウントを一時的に休止状態にしたそうだが、彼は懸案の風刺画について、
 あの風刺画は人種差別やジェンダーに関するものではなく、むしろスポーツのスーパースターによる望ましくない行動を描写した
と説明しているそうだ。
 自分は見た瞬間にそう見えたが、世の中にはそうは見えない、受け止めない人もいるという事は理解する。もし、ウィリアムズ選手の抗議が冷静でラケットの破壊なども伴わないようなものだったならば、あの風刺画の表現は強すぎると言われても仕方がないかもしれない。グランドスラム23勝を誇る選手であり、母国大会での決勝という状況で彼女に掛かるファンの期待・その重圧等を考慮すれば、ナーバスになるのも仕方がない気もするが、試合を見ていれば、ウィリアムズ選手の態度はスポーツマンシップに満ちた態度とは到底言えないことが分かるだろう。それ表現した風刺画を人種差別に結びつけるという見解が適切かと問われたら、自分はそうとは到底思えない。

 欧米社会、特にアメリカでは人種間の対立、得に白人と非白人間の溝は根深く、日本に民族・人種差別がないなどとは口が裂けても言えないが、差別や偏見が殺人にまで発展してしまうような事案は日本ではほぼ無いし、欧米と日本では、民族・人種間の問題に関する感覚・感じ方が根本的に違うのかもしれない。例えば、欧米で起きるアジア人差別が報じられた際に、自分は目くじら立てすぎだと思い、そう主張すると「現場を知らないからそんな悠長なことが言えるんだろう」という旨の反論を受けることもある。しかし自分は、勿論、基本的には差別・偏見は無くすべきだと思っているが、あまりにも差別認定の感度を鋭敏にし過ぎると、冗談一つ許されない息苦しい社会になりかねず、その結果ストレスが募り、所謂ポリティカルコレクトネス疲れのような状況に陥り、事態を余計に悪化させかねないとも思っている。
 また、風刺画とは何か? を考えれば、ナイトさんが書いた程度の表現であれば許容されるべきだと思っている。ナイトさんが書いた程度の風刺も自重するべきだなんてことになれば、もっと強い権力を持つ政治的な指導者への、ささいな風刺も規制されかねないように思う。そんな社会が望ましいとは到底思えない。

 結局何事も重要なのはバランス感覚であり、バランス感覚を欠くと、日本のように「正直、公正」というスローガンを掲げることは現首相への個人攻撃である、なんて馬鹿げたことを政治家が言い出すような社会になりかねない。

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