「本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか?」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。
記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、」という条件付きながら、「オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない」としている。
「わずかな違いしかない」ということは、逆に言えば少なからず違いがあるということでもある。また、その違いが「わずか」の範疇なのか否か、も視点によっては異論があるかもしれないと自分は思う。と言うか個人的にはわずかとは言い難いと感じる。
記事で紹介されている研究は、
- 音声と文字での内容の理解度に差があるのか
- 音声と文字のユーティリティ性の違い
- 音声と文字で発揮できる集中力に差が出るか
記事で紹介されている研究はどちらもアメリカでの研究なので、英語・もしくはアルファベットを使用する言語が前提の研究なのだろう。しかし自分は日本語話者なので、日本語での読書と朗読を聞くことを前提に考えている。だからその違いが「わずか」とは思えないのかもしれない。自分がこの記事に欠けていると感じる視点は、「読書を文字表現を学ぶ機会と捉えること」だと考える。
日本語の文字表現では、口語ではあまり用いられない表現、読みが難しい漢字表現などが多く用いられる。語彙力を広げる為にはそのような表現に関する知識が必要であることは絶対否定できない。文章を目で追いながら朗読を聞くのであれば、ある程度そのような表現の使用法等を習得する助けになるかもしれないが、単に耳だけで朗読を聞くだけでは、よく分からないまま聞き流してしまうことになるだろう。簡単に言えば、読書(というか文字表現に触れる事)は日本語の文章表現力を高めるのにも役立つが、朗読を聞くだけではそのような要素は期待できないということだ。
自分は、文章表現力を高めるということは、物事を順序立てて考える事に繋がると考える。勿論文章表現力が低くても物事を順序立てて考える事が出来る人はいるだろうが、頭の中で思考するにしろ、文字表現にまとめて考えを整理するにしろ、文章表現力がその大きな助けになることには違いない。
このように書くと、日本語での読書と朗読に限った話かのように聞こえるかもしれない。確かにある意味ではそうかもしれないが、英語にだって口語ではあまり用いない慣用表現はあるし、読み方が難しい単語も存在する。勿論漢字を使った日本語表現程ではないかもしれないが、同じ様な側面は少なからずある筈だ。自分は英語を日常生活レベルで使えるわけではないので感覚がよく分からず、もしかしたら英語話者らにとっては、それは「わずかな違い」の範疇なのかもしれない。
しかし、慣用表現や難読漢字等が多く存在する日本語に関しては、その差は決してわずかとは言えないだろう。2017年4/25の投稿でも同じ事を書いたが、
読書(文字表現を読むこと)=文章表現(日本語表現)の習得機会だと考えれば、オーディオブックによって音声データを聴くことは、読書の代わりになるとは言えないのではないだろうか。