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国旗国歌 ≠ 国そのもの


 ナイキがNFL・サンフランシスコ 49ersの元クォーターバックだった選手・コリン キャパニックさんを広告に起用したことが注目されている。その理由は、彼が2016年8月に、警察官が抵抗していない黒人に不必要に暴力を加え死に至らしめる事件や、安易に射殺するような事件が頻発したことを踏まえて、「黒人・有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」とし、試合前の国歌斉唱時に跪いて規律を拒否し、政府の対応への不満や社会情勢への抗議の意を示したからだ。この行為は他の選手や他のプロスポーツや選手にも波及し、黒人選手を中心に同じ行動をする選手が現れ、決して小さくないムーブメントとなった。要するに彼はこのムーブメントの象徴的な存在だから注目が集まっているのだろう。


 このような抗議行為は、2017年8月に起きた白人至上主義者と反対派の衝突で、白人至上主義者の一人がクルマで人垣に突っ込んで反対派の1人が死亡した事件や、それに対するトランプ大統領の態度に対しても行われ、ハフポストは2017年9/25の記事「 「NFL v.s. トランプ大統領」が勃発。人種差別問題めぐり MLBやNBAにも飛び火」で伝えている。記事ではトランプ氏のこの件に対する、



もしNFLやその他のプロリーグで高額の報酬を得る特権が欲しいなら、選手たちは我々の偉大なアメリカ国旗を侮辱することは許されないし、国歌斉唱の時は起立すべきだ。そうしないならクビだ。何かほかに仕事を探せ!

というツイートが紹介されている。こんな態度を示す大統領だからか、NBAの2016-17年の年間王者になったゴールデンステート ウォリアーズの選手らは、恒例になっていたホワイトハウスへの訪問を辞退している。これに対してもトランプ氏は、ウォリアーズの選手・ステファン カリー選手を名指しして、


チャンピオンチームにとってホワイトハウス訪問はこの上ない名誉と考えられている。ステファン・カリーはためらっている。それゆえ、招待は取り消す!

とツイートしている。キャパニックさんらは、理不尽な社会状況に適切に正しく対処しない政府や、差別的な行為を容認・黙認する人へ抗議しているのであって、国旗や国歌を侮辱したのではない。トランプ氏は話を国旗国歌への冒涜にすり替えることによって自身や理不尽な行為から話をそらそうとしている。視点によっては不当な行為を正当化しようとしているようにすら見えるだろう。

 ハフポストの9/5の記事「ナイキの広告で大論争、スニーカー燃やす人も... 人種差別に抗議した選手を起用」によると、ナイキがキャパニックさんを起用したことを、「国旗国歌を侮辱した者」を広告に起用したと受け止め、ナイキのスニーカーを燃やしたり切り裂いたりする画像・動画をSNSなどに投稿する者もいるようだ。

 ツイッターを眺めていると、日本でもこの件について触れ、


などと主張している者がいる。どうも彼らは
  • 国旗国歌の尊重=国を思うこと・愛国心 
  • 国旗国歌への違和感の表明=国を蔑ろにすること
と考えているようだ。まず大前提として、国旗国歌は確かに国の象徴ではあるが、国そのものではない。
 国旗国歌が好きな人の多さが、その国の教育が異常でないことの証拠ならば、ハーケンクロイツをヒトラーと同様に崇拝させたナチスの方針や、北朝鮮のような国の教育方針も異常ではないということになりそうだ。勿論ナチスや北朝鮮の教育方針が1から10まで間違っていたわけではないだろうが、異常か否かを問われたら多くの人は異常だと評価するのではないだろうか。
 国を思って行動する人=国旗が好きというのも適切な認識とは言い難い。国旗や国歌は国の象徴である場合もあるし、場合によってはナチスや北朝鮮のように、その国自体ではなく実質的には政府の象徴、要するに国家権力の象徴の場合もある。国家とは政府のことではなくその国主体、要するに国民に主権がある場合は国家=国民である。民主的な国家でも政府が国旗国歌など国の象徴を政治的に利用することはある。ナチス政権の成立などはその典型的な例だ。だから民主的な国家では、政府への抗議として国旗国歌をボイコットする行為を否定するべきではないのではないか。
 言い換えれば、国旗国歌へ違和感を示すこと=国への思い・愛国心がない、とレッテルを貼る行為は、好ましくない政府への加担になることもあるから、そのようなレッテル貼りこそが国を思っていない・愛国心を欠いた言動になる場合もある。

 要するに、大前提として示した「国旗国歌は確かに国の象徴ではあるが、国そのものではない」ことを理解していないと、国を思っていたつもりだったのに、実は国ではなく政府に肩入れしていただけで、国を蔑ろにしていたなんてことにもなりかねないのではないか。

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