週末、ツイッターのタイムラインに、
というツイートが流れてきた。10月から放送されている、即席麺を生み出したことで知られる日清食品の創業者・安藤 百福さんをモチーフに、その妻をヒロインとして描くNHKの朝の連続テレビ小説・まんぷくで、安藤 百福さんが実際戦中に、憲兵に濡れ衣を着せられて拷問を受けた事を反映したシーンが先週放送されたことについての感想のようだ。朝ドラ「まんぷく」乱暴な憲兵の拷問シーンでもう見る気が失せた。昭和30年代40年代の戦争ドラマの見過ぎだよ。いつも悪者に描かれて、憲兵が気の毒だ。— 神立尚紀 (@koudachinaoki) 2018年10月20日
端的に言えば、誰がどのような感想を持つかまでは自由だろう。しかし、ならばこのツイートに対して、「いつも悪者に描かれて、憲兵が気の毒だ」と言うのであれば、実際に憲兵によって濡れ衣を着せられて拷問を受けた安藤 百福さんの方がよっぽど気の毒だ。という感想を持つことも自由だろう。
彼はこのツイートから派生する他のツイートとのやり取りの中で次のようなツイートもしている。
まず、本物の憲兵に会ったこと云々という話についてだが、彼は1963年生まれだそうで、彼も当時の実際の憲兵には会ったことはないだろう。彼はカメラマン・ライターだそうで、元憲兵に取材を行った事があるのかもしれないが、元憲兵に対して取材をしたとしても、当事者は自分に都合の悪い事は言わないかもしれない。また「憲兵の中にもまともな人もいた」というニュアンスの主張についてだが、万が一現在の価値観に照らし合わせてもまともな憲兵の方が多かったとしても、憲兵も特高警察と同様の不当な拘束・拷問を行っていた事は事実で、そのような件がもし多くなかったのだとしても、そんな案件が起きているだけで組織全体の信頼性に大きな疑問が示されるのは決して不自然なことではない。しかも、ドラマの中では 安藤 百福さんがモチーフになっている役・立花 萬平に濡れ衣を着せ拷問した憲兵の上官を、拷問による自白強要は好ましくないと考えている人物として描いており、彼の言う「まともな憲兵もいた」ことも一応反映されているように見えた。憲兵を出すのはいいんですよ。描き方が毎度酷いんですね。たぶん、本物の憲兵出身者に会ったこともなく憲兵と特高警察の区別もつかない人が多いんでしょう。二・二六事件で身を挺して岡田総理を救った憲兵がいなければ終戦はもっと悲惨だったでしょうし、外地で命懸けで在留邦人を救ったのも憲兵です。— 神立尚紀 (@koudachinaoki) 2018年10月20日
彼の言っていることは、
ナチス党員やヒトラーにも子供を可愛がったりする側面はあったし、一部の政策はドイツ国民によって評価されていたのに、戦後の映画・ドキュメンタリーはナチスに批判的なものばかりで、ナチス党員やヒトラーが気の毒だような話だと自分は感じる。
社会一般的に、信頼を得るのには努力の積み重ねが必要だが、信頼を失うのは一瞬、のような話がある。たとえどんなにいい事をしていても、どんなに慈愛に満ちた一面があっても、決定的に不適切な行為をすればそんな高評価は一気に吹き飛ぶ。組織の一部の不適切な行為だけを見て、組織全体がそのような行為に及んでいたと短絡的に判断してしまうのは、確かに好ましくない場合もある。しかし不適切な行為があるにもかかわらず、責任者がそれを見て見ぬふりをしていれば組織全体の問題とされても仕方がないし、ましてや責任者、それに準ずる者が関与、率先してそのような行為に及んでいれば組織全体の問題とされて当然だ。
そんな観点から、この神立 尚紀という人物のツイートは、戦前の体制に関する歴史修正を目的とし、誤った認識に基づいて主張している、と言えると自分は思う。恐らく彼は、まともな憲兵もいたのに、一部の不適切な者・行為だけを見て憲兵全体を否定的に描くのは「木を見て森を見ず」だ、と思っているのだろうが、自分は、まともな憲兵も中にはいたという事を必要以上に強調し、当時の憲兵の、日本軍の、軍事政権の体質から目を背けた主張をすることこそ「木を見て森を見ず」であると考える。