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安田純平さんに対する自己責任論から考える、恣意的な解釈と無責任な言説


 シリアで武装勢力に拘束されたジャーナリス・安田純平さんが3年4か月ぶりに解放され、昨夜帰国を果たした。相変わらず一部の日本人は自己責任論を声高に主張し、中には拘束中に公開された動画の中で「韓国人のウマルです」と言わされていたことなどを理由に、「日本人じゃない」とか「反日朝鮮人」なんて安田さんに対しても韓国人・朝鮮人に対しても、あまりにも失礼な事を、ネットで名前や顔が見えないのをいいことに平然と言ってのける者までいる。
 自分のツイッターのタイムラインに、


というツイートが回ってきた。本当にその通りだと思った。自己責任論を唱えている人、安田さんに罵声を浴びせている人達の多くは愛国者を自称していたり、同胞を大切にするという教育勅語を持ち上げていたりする。 結局のところ、彼らが愛しているのは国ではなく現政権で、彼らの言う同胞も現政権の支持者ということなのだろう。そう捉えれば彼らの言説に関する矛盾の説明がつく。




 という別のツイートも回ってきたが、本当にその通りで彼らの言い分には概ね整合性がない。ネット以外の実生活の中でこの手の自己責任論を振りかざす者に殆ど出会わない事を考えると、恐らくこの手の自己責任論者は少数派、若しくは自己責任論を唱えるのは恥ずべき行為だと薄々認識しているから、主張と個人の特定に一定の距離があるウェブ・SNSでしか主張しないのだろう。しかしテレビでは、一部のコメンテーター等がこの手の自己責任論を容認するような姿勢を見せているのを見かける。全否定しろとまでは言わないが、わざわざ不適切な言説を助長するような姿勢は控えるべきなのではないか。

 昨日・一昨日はこの事案が多くのニュース番組でトップだった。他にも一昨日は臨時国会開会、昨日は首相の訪中などが報じられていたが、自分が見たいくつかのニュース番組では、安田さんの件の次に、場合によっては安田さん件以上に、プロ野球のドラフト会議を大きく扱っていたように見えた。自分はプロ野球は勿論、ドラフトにも殆ど興味がなく、それらの話題が番組で扱われているのを「ドラフトなんてスポーツコーナーだけで扱えばいいだろう、他に時間を割くべき事案はいくつもある」と思って見ていた。前述の通り自分はプロ野球にもドラフトにも興味は無く、スポーツ系のアカウントをフォローしていないので、SNSのタイムラインにはプロ野球に関する話も、ドラフトに関する話も殆ど流れてこない。勿論ウェブでそれ系の記事をクリックすることもないので、自分がウェブで触れている昨日のニュースの傾向と、テレビのニュース番組がドラフトを大きく取り扱っていた傾向には大きな差が生まれる。それで「そんなのスポーツコーナーで…以下略」のような感覚に陥ったのだろう。

 そのように考えると、ウェブ、特に自分の好む・興味のある情報ばかり表示されやすいSNSで主に情報を収集しいていると、目に触れるのは自分が重要と思う・興味を持っている事案が多くなるので、いろいろな事案を扱うテレビや新聞、特に放送時間の関係上、扱う事案が新聞やウェブより少ない傾向のテレビ報道は偏っているように見え始めるのだろうと思えた。現代のメディア報道に全く偏りがないとは言わないし、時折自分も「なぜこの件に対するマスコミの扱いはこんなに小さいのか」と思う事もある。また、メディア報道の偏りについて妥当と思える根拠を示した主張が全くないわけでもないが、多くの場合、「マスコミは偏向している」と言っている人達は、自分の偏向には気付かない、若しくは分かった上で棚に上げているんだろうと強く感じる。

 結局、安田さんに自己責任論をぶつける人も、「マスコミは偏向している」と主張する人も、その多くは自分に都合の良い情報だけを、しかも恣意的に解釈し、言いたい事を無責任に言い放っているだけに思える。例えば、「戦場カメラマン「渡部陽一さん、戦場取材の掟」はフェイク。本人が否定」(ハフポスト)という件も、渡辺さんが言ってもいない事を勝手に解釈し、歪曲して恣意的に用いた典型的な例だ。自分はこの記事に次の様なコメントをした。

 本当に恣意的で勝手な解釈がまかり通る世の中になった。

 「消費増税の再延期はない」からの「新しい判断」、日報隠蔽を防げなかった(意図的に隠した)防衛大臣や、公文書改ざんした官僚を「適材適所だった」と言い張ったり、FTAをTAGと言い換えるなど、首相が率先して様々な恣意的な解釈をしているような国だ。一部の国民が「それでいい」と勘違いするのも無理はない。

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