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ネットトロール・渋谷ハロウィーン暴徒化の共通点・群衆心理と匿名性


 インターネットテレビ放送局・アベマTVのブログ・AbemaTIMESは、同局の昼のニュース番組・けやきヒルズで取り上げた話題を文字化した、「「緊急地震速報」謳う詐欺メールに注意、見極める3つのポイント」という記事を10/26に掲載した。自分はこの記事を、ハフポストが転載した10/28の記事で知ったが、以前から緊急地震速報を装った詐欺的なメールがあるという話は、SNS上での個人的な注意喚起等で知っていた。
 それらの記事で当該案件を知ったというわけではないが、記事を見て、次のように思った。
 小学生の頃「北斗の拳」を見ていて、「199X年になっても、北斗の拳の世界のような弱肉強食の無法地帯、正直者が馬鹿を見る世界にはならない」と思っていた(北斗の拳の舞台設定は199X年)。そして実際に2000年になってもそんな世界は到来しなかったが、昨今のネット社会の一部には、確実に日本の実社会に比べれば無法地帯が広がりつつある。
と。ネット黎明期から根強く残る架空請求、近年酷くなりつつあるヘイトスピーチの横行、権力者等立場の強い者へ媚び、社会的に立場の弱い者を蔑ろにする風潮など、流石に北斗の拳の世界程酷くはないが、ネット界隈の一部では無法者が大腕を振って歩く無法地帯が広がっている。


 ネット以前から架空請求的な詐欺案件はあっただろうし、差別的な主張を繰り広げる者もネット以前からいたので、前述のようなことを全てネット普及の所為にするのは少し乱暴かもしれないとも思いつつそう書いた。しかし、ネットが普及することで架空請求が社会問題化し、更に現在も続く特殊詐欺へと発展したり、ネットの匿名性をいいことにヘイトスピーチ・差別的な発言を恥ずかしげもなくする者が増え、ヘイトデモ等その傾向が実社会にも進出し始めているという側面は、決して全否定できるとは思えない。卵か鶏かのような側面もあるにはあるが、Windows95の発売からインターネットの普及が始まったことから、北斗の拳の199X年が思い出され、北斗の拳では核戦争後の無法な世界という設定だったが、現在の社会(ネット・実社会共に)の一部に広がる無法地帯は、インターネット普及後の無法な世界のように思えた。

 先週末は近年盛り上がりを見せているハロウィーン直前の週末ということもあり、例年通り多くの仮装した者が繁華街へ繰り出していたようだ。しかし渋谷では一部の不届き者が、軽トラックを横転させるという悪ふざけ(では済まない)行為をしたり、盗撮・暴行による逮捕者も出たようだ。週明けの昨日はそれを多くのメディアが取り上げていた(ハフポストの記事)。インターネットの外側の日本社会にも、ある程度の無法地帯は存在するのだろう。
 この件を今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでも取り上げており、コメンテーターの中には規制するべきという見解を示す者もいた。不適切な行為を行う者は当然許されるべきではなく、相応の対応が必要な事は分かる。しかしネット上には、
等と、「渋谷にハロウィーンを名目に集まる連中は、全員不届き者だから無条件に逮捕して然るべき」かのような主張をする者もいる。これは番組中に画面で紹介された視聴者ツイートの1つだが、流石に出演していたコメンテーターらが、ここまで極端で危険な規制を求めていたとまでは思わない。しかし、公の場で個々に集まる一般市民をどうやって規制するつもりなのかには疑問を感じた。ハロウィーンを目的に集まる者とそれ以外の者をどうやって区別するつもりなのだろう。メイクにしろ仮装にしろ、それで明確な線引きが可能だとは到底思えない。個人の経営する店やテーマパークのような場所ならまだしも、一般公道上の立ち入りをファッション等で規制することには無理があるし、ハロウィーン参加者についてそれ以外にどんな区別方法があるのか自分は全く想像できない。もしそのような規制の仕方を行って前例を作れば、今後別の場面で不当な規制が行われかねないという懸念を感じてしまう。

 この日のコメンテーターの一人だった室伏 謙一さんは、この件について次のようにコメントした。
 そもそもハロウィーンてね、日本と縁もゆかりもない、日本の伝統文化・歴史と全く関係ないものですから、こんなもの止めちまえと思うんですよね。元々海外のケルトのお盆ですよ?これ、何も関係ないじゃないですか。日本でお祭りも参加しないで商店街でね、経産省ってバカな役所が、ハロウィーン消費で消費が伸びると言って、煽る訳ですよ。商店街も買ってくれるからいいかな?と思うわけだが、そういう問題じゃないでしょ?という話。元々神社のお祭りの時にやればいいのに、その時は何もやらずに「ハロウィーン」とかって。(室伏さんは、意味が分からない、何言ってんの?と言いたげな表情を浮かべる)
自分には「日本の伝統文化でないから止めろ」「ハロウィーンなんてやらずに日本の伝統的な祭りに参加しろ」と言っているようにしか見えなかった。日本の伝統文化を重んじろ、日本由来ではない西欧かぶれは止めろと彼は言うが、明治以降の日本が欧米の文化を積極的に取り入れて現在に至っている事をどのように思っているのだろう。また、彼が想定しているであろう日本の伝統文化の多くも、大陸文化の影響は決して少なくないし、江戸時代以降はオランダやポルトガル文化の影響を確実に受けている。彼が言っているのは単に「新しいものが気に入らない」と言っているに過ぎず、話があまりにも乱暴だ。
 彼がそんなことを言うのなら、とりあえずスーツにネクタイ姿でなく紋付き袴に草履か足袋でも履いて番組に出演して見せて欲しい。こんなことを言われたら彼は「馬鹿げている」と言いそうだが、彼の主張はそのレベルであると言わざるを得ない。経産省をバカ呼ばわりする前に、自分の馬鹿さ加減を認識して欲しい。とても彼が滑稽に見えた。
 更に言えば、日本伝統の祭りであろうと、参加者が羽目を外して犯罪行為に及べば「止めちまえ」という話も出るだろう。またメディアは何故か今回の渋谷の件を大きく取り扱っているが、多くの人が集まる日本の伝統的な祭りに関しても、盗撮や痴漢、喧嘩、器物損壊事案は確実に起こっている。勿論渋谷の件を問題視するのは当然だが、室伏さんの言う日本伝統の祭りだとかハロウィーンだからとかは、規制・対処を論じる上では全く関係がないことだ。

 他のコメンテーターの一人・医学博士の白澤 卓二さんは次のようにコメントした。
 ハロウィーンていうのは、やっぱり仮装すると、仮装した集団というのは凄くこう、エスカレーションしやすいという心理学的な事(側面)がある。最近マラソンでも仮装してマラソンする(イベントがある)。楽しいんだけれども集団として暴走する傾向が実はあるんですよ。過剰になる。だから渋谷の交差点でこうした逸脱した行為が展開しているのかなという気がする。
白澤さんが言っているのは、大勢の人が集まった際に起る群集心理と、仮装による匿名性で規範意識が下がることで、悪い相乗効果が起きているということだろう。自分はこれを聞いて、渋谷のハロウィーンで暴徒化した人達と、ネット上・SNS上で不適切な行為に走る人達には共通性があると感じた。それはネット・SNSという空間に大勢の人が緩くではあるが共通の目的を持って集い、また自分で公開しない限りある程度顔・名前等の匿名性が維持されることが影響しているのであろう、と推測できる点だ。
 ネット上の群衆心理については、NHKが10/27に放送したドラマ・フェイクニュースの後編でも、
  •  ネットニュースを見る人は情報の信憑性など気にせずに、信じたい事だけを信じるのだからと、煽情的な記事・見出しも厭わないWebメディア編集長
  • ネットを見る人は盛り上がれればいいだけと、悪びれずに異物混入を捏造した記事を広告収入目当てでブログに投稿する主婦
  • 誰も情報の真偽なんて重要視していない、自分がヘイトスピーチをしているわけじゃないからと、PV・広告収入目当てで憎悪を煽る差別的な記事をせっせと投稿するまとめサイト管理人
  • SNS上の不正確な情報に煽られて、選挙演説会に集まって暴動のような事態を引き起こした人たち
などとして描かれていた。勿論ドラマなのでフィクションではあるが、どれもどこかで聞いたことのある話で、確実にモチーフがあるはずだ。

 ここで「渋谷のハロウィンは日本の恥!情けない!全員逮捕しろ!」という話の危険性に話を戻すと、そのような乱暴な規制が正しいという事になれば、ハロウィーンの渋谷で暴徒化した者と同様に、ネット上でも群集心理や匿名性を背景に不適切な主張をしたり、詐欺行為に及ぶ者が一部にいるのだから、○○というサイトにアクセスした者全員逮捕、○○というSNSの登録者全員逮捕、ネットにアクセスした事がある者、今後アクセスした者全員逮捕、なんて将来が到来しかねない。これでは確実にそのようなツイートをした者は自分の首を絞めることになるだろうし、日本の伝統ではないハロウィーンは規制しろなんて言っている人も同様だろう。

 最後に渋谷ハロウィーンへの対策についてどのように対処するべきかだが、自分は川崎のハロウィーンのように誰かが先導するイベントにすればよいと思う。先導するのは区や都ではなく、川崎同様有志であることが望ましい(川崎は元々チネチッタグループがイベントを始めて、ここまで育ててきたそうだ)。誰かが尽力して育てたイベントであれば、その尽力に対して迷惑をかけるのは忍びないという心理が生まれると思う。勿論それでも不届き者は出るだろうが、逆に自発的にそのような行為を抑制しようとする者も出てくるだろう。
 例えばフジロックフェスティバルは、ゴミに対してかなりシリアスなイベントに育っている。勿論ボランティアスタッフが頑張っている結果でもあるが、彼らが頑張っているのを見て、彼らの前でポイ捨てすることが出来る人は、少なくとも日本社会で暮らす人にはそうはいないだろう。それ程環境問題を意識していなくとも、みんながポイ捨てしなければ、ポイ捨てして軽蔑されることを懸念して自分もしなくなるという者が少なからずいるはずだ。
 それもある種の群集心理だと自分は思う。渋谷のハロウィーンで群集心理によって不適切な行為が発生するなら、逆に群集心理によってそれを改善することも出来るのではないだろうか。何かにつけて規制では息が詰まるし、最悪権力が抑圧的な施策を始める事を助ける事にもなりかねない。規制以外で問題解決が出来そうなら、そちらをまず検討するべきだ。これは所謂著作権関連のブロッキング論争についても同じだろう。

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