「ベビー用歩行器に潜む思わぬ危険 アメリカでは禁止にすべきという声も上がる 毎年、多くの子どもが歩行器で頭と首を怪我して救急病院に運び込まれる。大抵は、階段から落ちる怪我だ」、BuzzFeed Japanが10/8に掲載した記事の見出しと、その記事の見出しに付けられた注釈だ。この記事は英語版からの翻訳記事で、主に北米でのことについて書かれているようだ。記事では、歩行器の事故が頻発しており重症を負う子供も少なくないとして、歩行器の販売禁止を訴える団体や有識者がいること、実際にカナダでは2004年に販売禁止になったことを紹介している。一応記事はそれらを主張・考えの一つという体裁で紹介してはいるものの、個人的には、記者がそのような主張を肯定的に捉え、記事化することで後押ししたいという意図を感じる。
あくまで自分がこの記事を読んでそう感じただけであって、実際には記者は単に「歩行器の使用は気付きにくい危険性を孕んでいる」ということを提起したかっただけなのかもしれない。ただ、自分はこの英語版記事をチョイスして翻訳した日本版の編集部・若しくは選者にも同じ様な印象を感じている。要するに、BuzzFeed Japan全体なのか、この記事の掲載を決めた者になのかは分からないが、「歩行器の販売を禁止するべき」という認識が背景にあるように思う。
歩行器の使用によって起こる、子供が重大な怪我をする事故の要因を歩行器に求めるのはどうなの?、と自分は思う。記事によれば、1990年代から安全基準が見直されており、事故を出来るだけ防ぐ為の努力をメーカー側はしているそうだ。それでも事故が起こるということは、歩行器の機能的な対策が不十分なのかもしれないし、もしくはパッケージや説明書に拠る注意喚起が不十分である恐れもある。しかし、記事で紹介されている事故件数にも注目したい。記事では、1973年から1998年の25年間で歩行器による死亡事故は34件、2004年から2008年の4年間で8件の死亡事故という数字が紹介されている。死亡に至らない事故はこの数倍から数十倍はあるだろうが、果たしてこの数字が示しているのは、歩行器自体の重大な欠陥なのだろうか。
自分には、単に親の不注意の結果であるようにしか思えない。例えば、歩行器の使用によって障害を負うような重大な事故に巻き込まれる子供が年間数千人単位でいるのなら、歩行器自体に事故の要因が求められても仕方がないようにも思うが、それでも親の不注意だってその大きな要因の1つであることに変わりはないだろう。どんな器具であっても適切に使用しなければあらぬ危険性を伴うことになる。歩行器に乗った子供が階段から転げ落ちるのは歩行器が原因なのか? 自分には階段前に柵を設けるとか、階段に通じる場所では使用しないとか、何らかの事故防止策を講じない親の責任としか思えない。このような事故の要因を器具に責任転嫁するような論調は、いかにも欧米的な発想、特に訴訟大国ならではの感覚のように思えてしまう。
日本でも20年ぐらい前から子供に関する諸問題について、兎に角学校や教員にその責任を求める風潮が強くなったように思う。確かに、近年のいじめに対する、一部の冷たい学校側・教員らの姿勢・主張、それに関する報道を目の当たりにすると、学校や教員に全く責任はないとまでは言えないが、いじめをした側の子の保護者、また、何かしら事故が発生した際に、子供が学校や教員の指導に反して事故が起きたようなケースでは、事故にあった子供の保護者にも責任の一旦があるように思う。要するに、日本でも保護者が自分の不行き届きを棚に上げ、学校や教員など他の何かへ責任転嫁するケースがしばしばあるように思う。「あの子がうちの子を唆した」のような事を言う親は最近に限らずかなり昔から存在してはいたが、近年しばしば話題に上る所謂モンスターペアレンツ等はそのいい(悪い?)例ではないだろうか。
歩行器使用による事故の原因を歩行器に求める事を全否定するつもりはない。しかし、この記事の論調のように、器具へ過剰にその要因を求め、親の不注意という点への注意喚起が蔑ろにされれば、結局別の器具でも親の不注意による事故がおこり、今度はそちらの器具が断罪されるという不毛な事態が待っているだけのように感じる。歩行器使用による事故の主な原因は親の不注意であるという事を、何よりもまず大前提にして論じるべきではないだろうか。