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スマホ情報に踊らされないための ”4つのハテナ”


 今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでは、この日のコメンテーターだった情報スタビライザー/ジャーナリストの下村 健一さんが「スマホ解禁とセットでやるべき事」と題して、学校に生徒がスマートフォンを持ってくることの是非等について書かれた読売新聞の記事「大阪の公立小中、スマホ解禁へ… 19年度にも」を取り上げ、教育現場でスマートフォン等の情報端末を扱う上で、と言うか、子どもだけでなく大人も含めて誰もが、スマートフォンや情報端末を利用して、Web上・SNS上での情報収集・発進をする上で認識しておくべき事を提示していた。
 読売新聞の記事の内容は、文科省が学校への携帯電話などの持ち込みを「原則禁止」としている事と、見出しの通り大阪市の方針が相反しており、今後教育現場で情報端末をどう扱うか、どう扱っていくべきかという視点の記事だが、下村さんの提案は、今後は情報端末を「原則禁止」とするのは現実的でないという前提に立って、そこで生じかねない問題を抑制するには何が必要なのかという話だった。だから下村さんは「セットでやるべき事」という見出しを立てて、「スマホ情報に踊らされないための ”4つのハテナ”」を提案したのだろう。


 下村さんの提案の話の前に、この件に寄せられた視聴者ツイートには「携帯電話・スマートフォンを学校に持ち込むべきでない」という見解も相変わらず多かったことについて一言言いたい。まず、現在スマートフォンを持っていない大人がどれだけいるだろうか。電車に乗った際にスマートフォンをいじっていない人を探す方が大変なくらい、猫も杓子もスマートフォンを持っている。しかも知り合いと一緒にいる時でさえスマートフォンをいじっている人も決して少なくない。自分はそういうタイプの人はあまり好きではないがそれが現実だし、子どもと一緒にいるのにスマートフォンに夢中になっている親もしばしば見かける。そんな状況にも関わらず、子どものスマートフォン利用を極端に制限するのは、子どもの目線で見れば「スマートフォン禁止なんて、大人の言っている事は矛盾いている」ようにしか見えないのではないだろうか。
 また、スマートフォンを小学生が適切に使用できるとは言えない、うまく使いこなせるとは思えない、といった視点の見解も散見されたが、大人でも適切に利用していない人は大勢いるし、うまく使いこなせていないのは寧ろ年長者の方ではないだろうか。スマートフォンやSNSをうまく使いこなしたり、適切に接する為には、その方法や必要な事を教える事が重要なので、スマートフォンを排除するのは合理的とは言えない。スマートフォンを排除せず使用・利用させた上でそれを教える必要があるだろう。
 自分には、スマートフォンは学校に必要ないと言っている大人の大半は、スマーフォンを主にゲームや動画鑑賞用などの娯楽端末として認識している、もしくは悪影響ばかりに注目してしまっているのだと思える。しかし、スマートフォンは娯楽の為だけの端末ではなく、今やノートと鉛筆に匹敵する文房具でもあり、調べものの際に役立つ百科事典でもあり、学習にも確実に役立つツールである。言い換えれば、筆箱・ノート・教科書という学校や学習での主役ツールの代わりになる、若しくはそれらを強力にサポートする道具でもある。たとえば包丁やカッターは人を傷つける事も出来てしまう。つまり道具は使い方を誤れば悪影響を及ぼす物にもなる。しかしそれでも学校で包丁やカッターを使わせないなんて事にはならないし、寧ろ正しい使い方を教えるのが適切な教育の筈だ。
 つまり、スマートフォンと学習の関係について、というよりスマートフォンやSNS等の利用に関して、子どもに正しい使用法を教えるだけでなく、親・教員世代が持つ偏見を正す為の、大人向けの教育も必要なのだろう。


 この一部の大人が持つスマートフォン=悪影響というような偏見や、子どもはスマートフォンを適切に使えないという偏見の話は、実は下村さんの提案とも関連していると自分は思う。下村さんの提案した4つのハテナとは、


スマホ情報に踊らされないための ”4つのハテナ

  1. まだわからないよね? … 結論をク(即)断するな
  2. 事実かな?意見・印象かな? … 分けずに(鵜)呑みするな
  3. 他の見え方もないかな? … 1つの見方にタよ(偏)るな
  4. 隠れているものはないかな? … スポットライトのカ(中)だけ見るな

だった。下村さんは赤字部分の頭を抽出して「ソウカナ」と覚えて欲しいとしていた。「スマホ情報に」としているが、厳密にはWeb・SNS上の情報、というかWeb・SNSに限らず他のメディアに触れる場合も同じことが言えるだろう。ただ、他メディアよりも一層有象無象の情報が渦巻くWeb・SNS上の情報に触れる際には、特にこれに注意する必要・これを心掛ける必要があるという観点や、現在情報端末の主流はスマートフォンであることから、下村さんは「スマホ情報」としたのだろう。
 1-4はそれぞれ違う事を言っているようで、実は全て「物事を一面的に捉えず、多方面から吟味する必要がある」という事を言っている。その為に必要な4重の確認・保険というように認識すればよいと自分は思う。

 ただ個人的には、下村さんがこれを提案するのならば、モーニングCROSSの問題点にも触れて欲しかった。情報を受け取る側が冷静に情報を評価しなければならないという事は、逆に言えば、
  • 根拠もなく断定した情報の発信
  • 真贋が定かでない情報を鵜呑みにした主張
  • 1つの視点に過剰に偏った見解を示すこと
  • 物事の一側面だけを都合よく強調した主張
は控えるべきであるという事でもある。しかし、モーニングCROSSの番組中に画面に表示される視聴者ツイートの中にもしばしばこの手の主張が見受けられる。




直近自分が気付いて指摘しただけでも、これらの根拠が定かでない、偏見を誘発しかねないツイート、正確とは言えないツイートを番組は取り上げて画面に表示している。しかもこれらについて、番組内で懸念が示されることはなかった。このような状況を勘案すると、自分には、番組も下村さんが提案した4つのハテナを実践できていないように見える。だから下村さんが番組でその提案をするなら、番組の問題点にも触れて欲しいと感じた。

 自分はかねがね、SNS上で極端な情報が発信され、しかもそれを鵜呑みにする人が出てしまう理由の一つには、有力なSNSの一つ・ツイッターの文字数制限の影響があるのではないかと思っている。文字数制限があれば文字数を削る為に断言してしまいがち話が極端になりがちになるし、ツイッター以外でも短文コミュニケーションに慣れていれば、「言わなくてもわかる」という勝手な感覚に陥るケースが多くなるだろうし、しばしばそういう人を見かける。
 ツイッターの140文字制限ですらそのような傾向がありそうなのに、モーニングCROSSは画面に表示する視聴者ツイートに、更に厳しい60文字という制限を設けている。これでは偏った・不正確な主張を番組が煽っていると言えるとも自分は思うし、現に画面に表示された不正確な視聴者ツイートに対してそれを指摘したところ、「60文字制限があるからツイートが不正確になっても仕方ない」という、 画面に表示される事をツイートの正確性よりも優先して何が悪いか、という旨の反論をされたことがある。
 これも何度もこのブログで書いている事だが、不正確な視聴者ツイート・偏見・差別に基づいたツイートを画面に一切表示するなとは言わないが、せめて下村さんの提案した4つの視点で見た際に適切とは言えないツイートであることを、番組内のどこかで触れて欲しい。逆に言えばそれをしないなら表示するべきではない。なぜなら、番組が画面にツイートを表示するということは、ある意味では番組が「いいね」をしたり「肯定的にリツイート」したりしているように見えるからだ。独立局のニュース番組とは言え、モーニングCROSSはMキャスでどこでも誰でも見られる番組だし、その影響力は一個人のツイートとは比較にならないだろうし、公共の電波を使用して放送している以上、その責任は決して軽くない。

 何度も繰り返すようだが、だから下村さんが番組で前述の”4つのハテナ”を提案するのなら、番組もそれに関する懸念を持ち合わせている事に触れて欲しかった。

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