オレオレ詐欺、架空請求詐欺、還付金等詐欺等の所謂振り込め詐欺が社会問題化して既に15年以上が過ぎている。被害額はピークだった2014年に比べれば減ってはいるが、2017年もおよそ400億円程度の被害がある(警察庁のデータ)。振り込め詐欺以外にも、特殊詐欺に分類される金融商品等取引名目の詐欺、ギャンブル必勝法情報提供名目の詐欺など、儲け話に関する詐欺も横行しており、積水ハウスが63億円をだまし取られた事件(毎日新聞の記事)が記憶に新しい、不動産・土地取引等に関する詐欺などについては今も昔も一定数の事案があるようだ。
詐欺に騙されないようにする為には、安易に人を信用しないという心構えや、何かしらの契約を結ぶ場合には契約書・内容を精査する事を習慣化するなどが必要だ。振り込め詐欺に関しても特殊詐欺についても、その種の注意喚起が行われているのに被害が減らない背景には、勿論圧倒的に悪いのは騙す側なのだが、お人好しな日本人の気質も関係しているように思える。
自民党・公明党・日本維新の会所属の衆議院議員たちはとてもいい人達だ。正確に言えばとてもお人好しな人達だ。何故なら、彼らは契約書を精査もせず、内容を詳しく確認もせずに契約書を提示した者を信用して判を押すタイプの人達だからだ。言い換えれば、彼らは特殊詐欺に引っかかってしまうタイプの人達とも言えそうだ。
何を根拠にそんなことを言っているのかというと、昨日、外国人労働者の受け入れ拡大を実現する為に政府が成立を目指す入管難民法改正案が、衆院法務委員会、衆院本会議で可決されたからだ。この法案は、法案の根幹をなすような大事な部分を、成立後に省令で詳細を定めるとしている。更に改正案検討の前提となっていたデータにも不備があったにも関わらず、それを勘案した修正も殆どないまま採決が行われた。
- 入管法改正案 技能実習制度との関係明確に(読売新聞)
- 入管法の審議 共生の思想に欠ける(東京新聞)
- (社説)入管法案採決 暴挙に強く抗議する(朝日新聞)
- 就労外国人 法案が衆院通過 緒に就いたばかりなのに(毎日新聞)
- 「入管法」衆院通過 論点置き去りは許されぬ (産経新聞)
こうした場において、個別、具体的に例を示すのは、控えた方がいいと述べている(TBSニュースの記事)。審議の終盤(とされる場面)になってもまだ首相が個別の具体例すら示せないのに、何をどうやったら改正案の是非を判断するに足る適切且つ充分な審議が行われたと言えるのだろうか。それでは、改正案の内容を国会・法務委員会で精査出来たとは言えないのではないか。そんな状態で採決を行い可決するようでは、賛成票を投じた自公維の議員たちは、特殊詐欺に騙されるタイプと言わざるを得ない。
自民党の法務委理事である平沢議員は、11/26に「この問題は議論したらきりがないんです。いくらでも問題点が出てくるんです」と述べている(テレ朝ニュースの記事)。いくらでも問題が出てくるような欠陥法案ならば、審議も尽くさぬまま採決を行うなど言語道断だし、それを分かった上で採決を行い法案を可決したということであればそれは、自公維の議員たちは、チェックされたら問題点が次々に見つかる物件(法案)を客(国民)に勧め、問題点に気付かれる前に内見を切り上げて物件を契約(法案を成立)させるという詐欺まがいの行為を実行した、とも言えるのではないか。というか、伝えるべきを伝えずに契約(法案を成立)させるのは、詐欺”まがい”ではなく単純に詐欺だ。
現政権の強行な国会運営は特定秘密保護法を成立させたころから毎国会続いているが、特定秘密保護法、安全保障関連法制の頃までは、説明は強引、もしくはのらりくらりながらも、一応充分な審議を尽くしたという前提に立つために時間だけは費やしていた。しかし、今年の通常国会以降は丁寧な説明・答弁だけでなく、時間をかける事さえも怠るようになった。審議入りから数日で丁寧な説明も一切なく即採決という、あまりにも強引な国会運営が目立つようになった。これまでで最も顕著にその傾向が滲んでいたのが、昨日の入管難民法改正案の衆院通過だったように思う。
この国では一応行政・立法・司法の三権分立を謳っているが、司法は現政権以前から行政に忖度する傾向にある。さらに立法機関が単なる行政の追認を行うだけの機関に成り下がれば、実質的に三権分立は機能していないことになる。それでは個人による独裁でなかったとしても、中国のような一党独裁状態になりかねない。現在の政権は民主的なプロセスで選ばれて成立してはいるが、例えばナチス党だって民主的なプロセスを経て成立している。民主的なプロセスで成立した政権であっても国民がそれへの監視を怠れば、中国共産党やナチスのような一党独裁状態に変質する恐れは充分にある。独裁政権が成立してしまえば国民への口封じが始まるだろうから、独裁政権が成立してから気付いても遅い。そうならないように常に権力を監視することが、国を愛する者、国の行く末を憂慮する者の努めではないだろうか。