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「誤解だ」「-とは言っていない」「-のつもりはなかった」


 「誤解だ」「-とは言っていない」「-のつもりはなかった」。いじめやパワハラ行為の言い逃れ、または犯罪行為の責任から逃れる為にしばしば用いられる言い回しだ。また、政治家が失言(実質的には暴言、妄言)の釈明をする場合にも頻繁に用いられる。ツイッターなどの言葉足らずな主張に対して、配慮のなさや意図的な偏見・差別の疑いを指摘した場合にも、この手の反論が返ってくることがかなりある。
 犯罪やいじめ・パワハラのように行為が伴っている場合、この手の論法は概ね責任逃れの為の無理筋な主張と言い切れそうだが、コミュニケーション上の言った言わないや、示唆したしないのような場合に関しては、確かに拡大解釈・過剰反応の場合もあり、一概に責任逃れ・言い逃れとは言い切れない。しかし、著名な人物や有識者のような立場の者等はその影響力を勘案した言説を心掛けるべき立場だし、政治家や著述を生業とする者などは言葉・文字表現で主張することのプロであり、特に政治家は議論が出来なければ役割を果たせず、極力誤解を生まない表現をすることが出来ない者は政治家としての資質に欠けていると言わざるを得ない。誤解を生まない表現が出来ない者に建設的な議論が出来るとは到底思えない。


 昨今(実際は昨今に限った話ではなく近代化以降ずっとだが、便宜上「昨今」としておく)、政治家が差別や偏見を疑われるような発言、その他の不適切な言動に対する指摘・批判を受けた際に、
  • 誤解を招いたのは申し訳ない
  • 誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います
  • 誤解を招いたことや傷付いた方がいることについては重く受け止めている 
  • あらぬ誤解を招いてしまった
のような釈明をする場面にしばしば遭遇する。自分にはどうも「誤解した側が悪い、自分にその意図はないのだから悪くない」という意思表示をしているように見えてしまい、謝意を示しているようには思えない。このような表現は当事者たちの神経を逆撫でするだけのようにすら思える。そう指摘をしても、彼らは結局「逆撫でする意図はない、誤解を招いたのだとすれば心苦しく思う。そのことを重く受け止める」なんて言いそうだ。要するに心苦しくも思っていないのだろうし、軽く考えているからこそそんな発言が出来るのではないだろうか。

 このような事を言っているのは日本の政治家に限った話ではない。アメリカのトランプ大統領などがその典型例だ。AFPの記事「不法移民が投石すれば米兵の発砲もあり得る、トランプ大統領」によれば、彼は11/1にホワイトハウスでの記者会見で、メキシコ国境から米国への入国を試みる中米からの不法移民について、
 われわれはそのような行為に我慢することはない。もしわが軍に石を投げたなら、わが軍は反撃する
 私は兵士たちに石をライフルだと思えと言った。移民らがメキシコの軍や警察にしたのと同じように米軍に石を投げるなら、その石はライフルと同じだと思えと言った
と発言したそうだ。不法移民に然るべき措置を取ることについては当然だろうが、「石をライフルだと思え」「石を投げたら反撃する」という表現は、投石に対して実弾での対応も辞さないと強く示唆したと言っても拡大解釈とは言えないだろう。投石行為に対して然るべき対応をする事は当然の事だろうが、投石行為をライフル射撃とみなすとか、実弾で応戦するなんてのは過剰防衛以外の何ものでもない。相手を害獣か何か、言い換えれば、人間以下と認識していなければ出来ない主張なのではないだろうか。

 このトランプ氏の主張に対しては予想通り大きな反発が起きた、AFPの記事「「撃てとは言っていない」 トランプ大統領、不法移民対策で発言後退」によれば、彼は、批判を受けたからか、翌11/2の会見で報道陣に対して、
 私は撃てとは言っていない
 兵士たちは撃たなければならないということはない。私が望んでいるのは、こうした人々が投石をしないことだ
と述べたそうだ。
 彼の頭の中では「自分は、投石に対して実弾で対応しろとは明確に発言していない。前日の発言は、投石など強行な行為を抑制する為に行った発言だ」のような論理で合理性があることになっているのだろう。前日の発言は確かにそのような意味合いと解釈出来なくもない。しかし前段で示した解釈に致命的な無理があるかと言えば、そんなことはないだろう。だからその発言に対する反発が起き、彼はこのような釈明をせざるを得ない状況になったのは間違いない。前段で示した解釈に致命的な欠陥があるのならば、彼はそれを指摘すればよかったはずだ。
 その国で最も影響力を持つ人の一人である大統領がこのような発言をしたら、どんな影響を社会全体に与えるかは最早説明不要だろう。このような大統領の発言がなくとも、ただでさえアメリカには人種・民族間の対立がある。それに対して大統領が火に油を注いでいるのが今のアメリカだ。彼は昨年シャーロッツビルで白人至上主義者が、カウンター側に自動車で突っ込んだ際も、白人至上主義を明確に否定せず、両者悪いというような見解を示していた(それも結局指摘を受けて釈明する羽目になっている)。彼がそのような発言で何を示唆しているかは最早明白ではないだろうか。

 どこで聞いたか失念したが、イタリア人は皿を不意に割ってもすぐに謝らず「フランス製じゃなくてイタリア製なら割れなかったのに」のような事を言うし、大抵のヨーロッパ人も同様だ。しかし歴史的に殆ど外部からの侵略を受けなかった日本人やアラスカの人達は、皿を割れば素直に「すいません、ごめんなさい」と謝る傾向がある、という話を聞いた事がある。自分は日本以外での生活経験はないので、この話が的を射ているのか否かは分からない。しかし日本では間違いは潔く認めて謝るのが適切であるという認識が一般的であることだけは間違いない。
  何が言いたいのかと言えば、不適切な発言、行為をした際に、少なくとも日本人の政治家は「誤解を招いたのは申し訳ない」なんて、申し訳なく思っているのかどうかすら怪しい事を言うのではなく、素直に発言・行為は適切ではなかったと言うべきであることは明白だ。私設秘書用の通行証を4年間も交付していたにも関わらず、当該人物は秘書ではないと言い張っている片山氏(毎日新聞の記事)などは論外である。

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