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「ルールを守っていたら潰れる企業運営」は「手を使わなければ勝てないサッカー」


 今年・2018年10月、世田谷区の保育所で保育士・職員が一斉に退職するという事態が起きた(日テレNEWS24の記事)。同じ会社が運営する2か所の保育所で、保育士ら計18人が一斉に辞めるという事態が起きた。うち1か所はそ影響で運営がままならくなり、翌日から休園したそうだ。辞めた保育士らは「給与の未払いがあった」としているそうだ。
 この件を受けて、保育士の待遇が他の職業に比べて著しく低い現実に対する指摘や、運営する企業への批判も挙がったが、SNS上など一部では「保育士らの行動は非常識」「子どもの事を考えていない」という批判もあった。個人的に後者の見解は短絡的で適切とは言い難いと感じた。


 昨日ツイッターのトレンドワードに「世田谷保育士」が挙がっていたので見てみると、労働相談・調査研究を行うNPO法人・POSSE代表の今野 晴貴さんが書いた、「世田谷保育士一斉退職 保育士は無責任だったのか?」というYahooニュース個人への投稿記事が話題になっていた。前段で自分が示した見解と同様、「辞めた保育士らは無責任」というのは短絡的で、実際に無責任なのは劣悪な労働環境を強いる運営企業ではないのか?という内容の記事だ。余談だが、個人的には保育現場の待遇の低さに対して充分な手当を講じない労働基準監督署や、保育現場に充分な支援を行わない行政にも責任の一端があると思っている。

 この記事を引用したツイートの中にとても興味深い見解があった。

 自分が秀逸だと感じたのは「ルールを守っていたら潰れる企業運営」を「手を使わなければ勝てないサッカー」に例えていることだ。確かに自分がこれまで働いてきた労働現場はサービス残業が横行していた現場ばかり、有給休暇をとろうとすると白い目で見られる現場ばかり、休日出勤の要請を断ると怒られる現場ばかり、休日出勤分の代休を要求すると怠け者扱いされるような現場ばかりだった。正社員として働いていた現場は勿論のこと、バイトとして働いていた現場でも同じ様な状況だった。どの現場でも上司や経営者がそんな風潮なのは勿論当然だが、おかしなことに同僚、しかもアルバイト労働者の中にもそんな認識でいる者が多くいた。多くいたというか、積極的か消極的かは別として十中八九労働者がそれを受け入れていた。それをこのツイートはとても端的にまとめている。サッカーで手を使わないと勝てないと言ったら笑われるのに、ルールを守っていたら会社が潰れると言っても笑われないのは明らかに変だ。

 簡単に言えば、世田谷の保育士が一斉に辞めたことの責任を保育士らに求める人たちは、経営者でもないのに謎の経営者目線で「ルールを守ってたら潰れるから仕方ない」と信じている、経営側に都合のいい奴隷に成り下がっている、又はいいように飼いならされている人たちだ。若しくは労働者を奴隷化したい経営者たちなのだろう。
 日本にも労働組合法、労働基準法、労働関係調整法、所謂労働三法と呼ばれる法律がある。さらにその基礎となっている憲法28条・労働基本権についての記述がある。しかし前段でも書いたように、この権利を行使することを嫌悪する風潮が何故か労働者の中にも蔓延している。自分は、この原因は目上の者は絶対的な存在・経験に基づいているから過ちを犯さないという儒教的な考え方の過信と、異論を唱えて波風を立てるのはよろしくないという同調圧力過多な社会の状況にあると考える。このような意識が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「朱に交われば赤くなる」のように労働基準法を形骸化させ、たとえ労働法規に違反していたとても「これがウチの会社のやり方だから従え」という話に疑問を抱けない状況を蔓延させていると思う。そのような意識がどこで醸成されているのかと言えば、校則・先生の言う事は絶対かのような風潮、顧問・先輩に異論を呈することを許さない部活動の傾向や、他の子と同じ様に振舞う事が過度に強制される、同調圧力が極端に強い学校教育を最短でも9年、概ね12年も受けることなどが主に醸成しているのではないかと考える。

 学校内や子ども社会でのいじめ問題の延長線上に、劣悪な労働環境の問題、それを労働者が率先して受け入れてしまう風潮があるのではないだろうか。つまり、学校教育の方針・環境が変われば、少なからず大人社会の問題も改善するのではないか?と推測する。

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