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2019年の正月三賀日を終えて


 正月三賀日も終わり、今日から仕事始めというところも少なくない。ただ、2019年の1月は今日・4日を挟んで再び土日となる為、仕事始めは週明けの7日というところも割合多そうだ。しかし、相変わらず小売店やサービス業等元旦から営業している業種も少なくない。「90年代以前の大晦日・三賀日は、コンビニ含めてどんな店も休むから、その前に買い溜めしておくのが当然だった」という話をこれまでにも書いてきた気がする。年末には、一部の大手小売店などが元旦は休業の方針を示したと伝えられていたし、確かにそのような風潮が広がりつつあるようにも思うが、それでもまだまだ元旦のみでしかない。みんなで一遍に休むことが必ず正しいとは言えないし、休日出勤扱いの手当があったり、その分の代休が適切に配分されるならそれはそれでよいのだが、日本社会の傾向を見ていると、そのような手当が充分にされているとはまだまだ思えない。


 90年代頃までの正月には、正月飾りをフロントグリルなどにつけた自動車が多く見られた。今でも稀につけているクルマを見かけることはあるが、正月飾りをつけたクルマは90年代頃に比べれば極端に少ない。また、以前はクルマだけでなく家の玄関扉に正月飾り・しめ縄を飾る家が多かったが、少なくとも自分の住んでいる地域ではそれも殆どなくなっている。正月飾りやしめ縄、もしくは門松、鏡餅などは、クリスマスで言うところのクリスマスツリーやリースと似たような、正月感を演出する為のものでもあるだろう。自分はクリスマスツリーも正月飾りも鏡餅も飾ったりしないので無責任な話ではあるが、それらが徐々に消えゆく傾向であることに寂しさを感じたりする。
 自分にとってお節料理も大して重要ではないのだが、まだまだ「正月にはお節料理を食べないと」と思っている人も決して少なくないだろう。お節料理は、普段毎日食事を作る人(概ね母親・妻)などが、正月くらいはそれを休むもうという為の保存食だ、という話をしばしば耳にする。インスタント食品や冷凍食品などが発達・充実している昨今、その存在意義は、クリスマスツリーと同じ様に正月の雰囲気を盛り上げる事、なのかもしれない。ただお節料理に関しては小売業界がビジネスチャンスと捉えているし、相応の需要もまだまだありそうで、以前の「自宅で正月用に年末に仕込む」という傾向から「買ってきたものを食べる」傾向への変化はあるだろうが、正月飾りとは異なりこれからも当分風習が残りそうではある。

 年末年始はどのテレビ局も毎年通常時とは異なる特別編成になる。駅伝などのスポーツ中継や、東西寄席から中継を行うお笑いネタ番組などの生中継番組などもあるが、正月特番の多くは事前、つまり年明け前に事前収録された番組なので、自分は
 正月番組=お節料理
だと感じる。 テレビで事前収録された番組が放送されるのは、なにも正月・年末年始に限ったことではなく、昨今はワイドショー・ニュース番組以外では生放送番組の方が少ない。だから正月特番が事前収録されていても、それは特別なことではないようにも思うが、テレビ業界の人達が正月に休む為に、若しくは正月特番の収録を行う為に、12月頃からレギュラー放送番組では、これまでの総集編的な回の放送が増える。総集編は新たにロケ・スタジオ収録をする必要がなく、編集作業も一からするのに比べたら手間は減る。そうやって正月特番用の余裕を作ったり、正月休みの為の時間確保をしているのだろう。そういう観点でみれば「正月のテレビはお節料理」と言えるのではないだろうか。
 個人的にお節料理をおいしいとは思わないし、正月特番は軒並み面白いと思えずあまり見ない。お節料理の定番品目の数の子や昆布巻きは嫌いでなく寧ろ好きだし、今年の正月番組の中にも、録画しただけでまだ見てはいないが、放送時間中にSNSで話題になっていたNHK・Eテレの平成ネット史(前編/後編)など、興味を惹かれるものはいくつかある。しかし所謂バラエティ正月特別番組は時間も飽きる程長く、見たいとすら思えない。

 ただ、正月特番がつまらない、というか正月のテレビがつまらないのはある意味健全だとも思う。番組名は失念したが、以前ある外国人・外国バラエティ番組で、ヨーロッパのある国ではテレビ局も夏に約1か月の休みをとるので、その間は殆ど再放送番組しか放送されないと紹介されていた。「その期間はテレビがつまらない」という視聴者の声も紹介していた。正月特番は再放送番組ではないし(正月の主に日中に放送される番組には再放送番組・再編集番組もあるが、ゴールデン・プライム帯の番組は概ね再放送ではない)、面白い番組を作ろうとして面白くないものが出来ているなら、それはある意味で問題なのだろうが、正月のテレビをお節料理だと思えば、大して面白くなくても、正月の雰囲気を味わえればそれでいい程度のものとも思え、もしかしたら作る側も面白さではなく、最小限の労力で最大限の正月らしさを演出すること重視で作っているのかもしれないとも思えてくる。

 テレビの報道が「働き方改革」の必要性、ブラック企業の問題性、労働環境改善の重要さを説くような傾向にあるなら、極端に言えば、テレビ局はもっと年末年始・正月のテレビ番組をつまらなくしてもいいのではないか、と思えた。

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