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「赤信号、みんなで渡れば怖くない」では状況は悪化するだけ


 新聞に掲載された、音楽イベントへの在日朝鮮人中学生のコメントを基に、彼の本名や当該新聞記事共に「日本国内に『生息』している在日」「おまエラ不逞朝鮮人」「チョーセン・ヒトモドキ」などの差別的な主張を、「在日という悪性外来寄生生物種」という見出しを掲げてブログへ投稿していた66歳の男性が侮辱罪で略式命令を受けた。
 自分はこれをBuzzFeed Japanの記事「中学生を匿名ブログで中傷 66歳男性に侮辱罪で略式命令」で知ったが、その他多くのメディアでも同じ件を扱っている。しかし、昨日横綱・稀勢の里の引退会見があった事などもあり、テレビなど大手メディアではこの件の扱いは決して大きくない。稀勢の里の引退は重要ではないなどと言うつもりはないが、東名高速のあおり運転事件はあれ程大きく扱っていたのに、この誹謗中傷事件の扱いが小さいのはとても残念だ。東名の事件は2人も死亡者が出ているのに対して、この件は物理的な損害はなく処分も科料9000円で、目に見える被害は少ないかもしれないが、差別や偏見に基づいて成人男性が未成年に精神的な暴力を不当に行使したことを考えれば、こういう事こそメディアによる問題提起・喚起が必要なのではないだろうか。


 BuzzFeed Japanの記事によると、当該男性は「侮辱する意図で作成したものでもございません」という見解を示していたようだが、「-する意図はない」「認識はなかった」などは、差別・誹謗中傷・侮辱を行う人の言い逃れの常套句だ。というか、まともな大人ならば、差別・誹謗中傷・侮辱の意図があれば、そのような表現を行えないだろうから、「-する意図はない」「認識はなかった」のはある意味当然と言えば当然で、意図があったかどうか、不適切と認識していたかどうかは大して重要でない。殺人事件の犯人が、刃物で刺したり、車で体当たりしたりしておいて「死ぬとは思わなかった」「殺すつもりはなかった」と言っているのと同じ様なものだ。なぜなら、彼は自身のブログを「写楽・・・支那・韓国朝鮮の真実『写楽』ブログ 日本が大好きでアンチ&排除支那韓国朝鮮ブログ」と題していたそうで、このブログのタイトルだけでも既に、憲法14条の
 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
という条文に反し、他者の基本的人権を侵害しても構わないという発想を持っている恐れが強いからだ。 因みにこの条文の「すべて国民は」に注目し、これは日本国籍者に適応されるものであり、日本人以外はこの限りでないと言い始める人がいるが、日本人以外には基本的人権を認めないなんて話が、現在国際的に許される発想かどうかを考え直した方がいい。そんな事を主張するということは「私は差別主義者である」と公言しているのと同じだ。この条文は便宜上「すべて国民は」が主語になっているが、事実上「すべての人」が主語になっていることは明らかで、そう解釈しなければ日本では差別が許されることにもなりかねない。それは明らかに日本国憲法の基本的な理念に反するし、国際的な日本の評価も落としかねない。

 ネット内外での、一部の日本人による外国人などを対象にしたヘイトスピーチや差別・偏見が社会問題化して久しく(対象は必ずしも外国人に限らず、女性や性的少数者や特定の個人が対象にされることもしばしばあるが)、このような行為が馬鹿げているという認識は、彼らを除く多くの日本人の間で既に共有されていると自分は感じている。しかし、まだまだ大きな声で恥ずかし気もなくそのような主張をする者がいる事も確かだ。
 冒頭で紹介したBuzzFeed Japanの記事にはこんなコメントが投稿されている。


ヘイトスピーチに刑事責任を問うことになるとヘイトスピーチの定義を詰めなければならない。リベラルによる恣意的な定義ではだめだ。
例えば、百済系日本人の竹田恒泰氏が韓国人の悪口を言ったらヘイトスピーチになるのか?百済は韓国人に滅ぼされた。韓国大統領が「1000年経っても日本を恨む」というのだから百済系日本人が千数百年の間は韓国を恨んでもいいはずだ。
宗教的マイノリティも保護されるのであろうか?宗教的マイノリティの定義は?靖国神社は?日本会議は?日本相撲協会は?

守谷 知
究極的には、この記事のどこに注目してコメントするのかは人それぞれの自由だろうが、66歳の男性が、成人に対してなら侮辱・中傷が許されるというわけではないが、成人よりも確実に弱い立場である中学生・未成年者を名指しして、「日本国内に『生息』している在日」「おまエラ不逞朝鮮人」「チョーセン・ヒトモドキ」などの差別的な主張をしたことには一切触れもせずに、このコメントをこの記事へ投稿できる感覚がまず信じられない。これでは誹謗中傷・侮辱する行為を擁護している、肯定していると思われても仕方がないと自分は考える。
 百歩譲って「ヘイトスピーチの定義を明確化しなくてはならない」はいいとしても、誹謗中傷・侮辱を「恨み」と言い換えて正当化しようとしているのも変だし、マイノリティの保護云々という話も、たとえマイノリティだろうが合理性を欠いた主張をすれば否定されて当然なのに、あたかもマイノリティは無条件に保護しなければならないという話が主流であるかのような前提に立って話を進めているのもおかしい。
 そんな理由から、彼は問題の本質を捉えきれていない、というか、都合が悪いので目を背けたいという意図が、彼のコメントには滲み出ているように思う。

 この66歳の男性や前段で触れたコメントをした者に、子供や孫がいるかは分からないが、こんな大人がいる限り、いじめを行う子供がいなくなるはずがない。いじめは決して子供社会の問題ではない。パワハラや少数派への差別・偏見等社会全体の問題だ。大人がいじめ続ける限り、子どもはその影響を受けるし、まともな大人が注意したところで「いじめをしている大人がいるのに、なぜ自分だけ怒られるの?」と思う子もいるだろう。逆に言えば、66歳の男性や前段で触れたコメントをした者も、そんな子供と同じように「他にやってる人がいるのに、なぜ自分だけ批判されなければならないの?」と思っているのかもしれない。
 彼らにはよくよく考えなおして欲しい。もしそう考えているのだとしたら、万引き犯が捕まった際に「世の中には捕まらない万引き犯もいるのに、自分だけ捕まって罰せられるのはおかしい」と言っているようなものだと。そして、そんな主張をしたところで万引き犯が無罪放免になることもないし、寧ろ反省の姿勢がみられないと思われるだけだという事を。

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