自分が小学生だった頃は、節分と言えば専ら豆まきで、恵方巻の「え」の字すら聞いたことがなかった。Wikipediaの恵方巻のページによると、その発祥は大阪なのだそうだが、絶対的に有力な説もないようで、現在の流行?ブーム?の起源はセブンイレブンだという話すらある。バレンタインデーを女性が男性にチョコレートを贈るイベント化したのは菓子会社だという話や、正月に初詣をするようになったのも、鉄道会社が鉄道の利用目的としてキャンペーンを行った為という話もあり、節分の恵方巻も同じなのかもしれない。土用の丑の日にウナギを食べるという風習も、江戸時代に商売の為に行われたキャンペーンが定着したものという話もあり、始まりが商業的な理由だから風習としての価値が低いとも言い難い。ただ恵方巻については、全国的な風習としてはまだまだ歴史が浅く、主に商売の為に、あたかも歴史ある風習であるかのように装っているようで違和感を覚える人もいるのだろう。そういう自分もその一人で、これまでに一度も恵方巻なるものを買ったり食べたりしたことはない。
節分に恵方巻を売る店を見かけるようになったのは10年くらい前からだろうか。特にコンビニやスーパーなどでは節分の数日前からポスターやポップを設置して、雰囲気を盛り上げようとしている様子をよく見かける。それは年々過熱しているようで、ここ数年は売れ残りの廃棄処分、つまり食品ロス化してしまうことが注目され、毎年のようにそれについて報道される。その報道は主に節分後に「今年もまた…」的なニュアンスで報じられる事が多かったが、今年の朝日新聞は先回りして、既に「恵方巻き大量廃棄の悲劇防げるか 国が呼びかける事態に」という記事を掲載している。こう何年も同じ様な「今年もまた…」的な事後取材記事を掲載していれば、先に牽制する記事を掲載することを検討するのはとても有意義だろうし、実際に掲載したことも同様だと感じる。
しかしその一方で、毎年恵方巻をきっかけに食品ロスについて考えるの機会を設けるという意味ならいいが、実際は恵方巻でだけ食品ロスが起きているわけではなく、常日頃から同様の問題があるにも関わらず、この時期だけその手の報道をすることで、あたかも恵方巻が食品ロス問題のほぼ全てであるかのような印象を与えかねない報道になってしまっているようにも思え、報道のあり方を再考して欲しいとも感じる。
例えば、バレンタインデーのチョコレートは相応に保存がきくので売れ残りが発生してもロスに直結するわけではないが、クリスマスケーキやお節料理などは、過大な見込みをもとに発注を行えば、恵方巻同様に食品ロスは発生する。また、それらのイベントに限らず日常的に食品ロスの問題は存在している。特に日本人は食品衛生に敏感で、消費期限と賞味期限を同列に捉えて過敏な反応を示し、まだ食べられるものを処分してしまったり、食品ロスを減らす為には期限間近のものから消費するべきなのに、新しいものを求めがちだったりする。
朝日新聞だけに限ったことではないが、今回取り上げたのは朝日新聞の記事なのでそれを例にすると、取り上げた記事では前段のような話に殆ど触れられていない。朝日新聞が食品ロスに関する記事を常日頃から定期的に掲載しているようであれば、恵方巻の記事で前段のような話に触れていなくてもそんなに違和感はないが、食品ロス全般に関する問題提起や、他のイベントの際に食品ロスに関する記事が日頃から掲載されているという印象は薄く、それでは食品ロス=恵方巻かのように考えて報じているのではないか?という懸念が出てくるし、読者にそのような印象を与えかねないと言えるのではないか。
少し前から海洋プラスチック汚染が注目を浴びている。この件についてコンビニやスーパーのポリ袋、ストローなどが主に槍玉に挙げられている。ポリ袋に関しては、海や川に浮いているのをしばしば見かけるし、街中でも風の強い日に舞っているのを見かけたりもする。そんな事を考えればポイ捨てされやすいものの代表格として槍玉に挙げられても仕方ない気もする。ただストローは、確かに使い捨てプラ製品であることには変わりないが、他にも使い捨てプラ製品は多く存在している。ポリ袋と同列に扱うべきかと言えば、そんな事はないようにも思える。
ストローが槍玉に挙げられた背景には、2015年にYoutubeへ投稿された鼻にストローが刺さったウミガメの動画が、昨年・2018年前後に大きな注目を浴びた事がありそうだ。
確かにこの映像のインパクトは強く、「ストロー止めよう」という気持ちになるのも理解はできるが、ストローだけを止めても海洋プラスチック問題は全く解決には至らない。恵方巻同様にストローが海洋プラスチック問題を考えるきっかけになるのはいいことだろうが、ストローに注目し過ぎた報道や、企業の廃止表明などによって、海洋プラスチック問題=ストローの問題というようなイメージなるのは確実に好ましくない、というか大きな間違いと言えそうだ。一部の企業は、企業イメージの向上の好機と捉え、ポーズをとるかのようにストロー廃止を表明しているようにも見える。スターバックスなどはストローを止めて新たなカップに移行すると表明したようだが(ハフポストの記事)、結局ストローの代わりに用いられるプラ製の蓋も結局使い捨てで、スターバックスは問題の本質を理解しているとは思えない。ハフポストがそれを好意的に受け止めて報じているのも滑稽に見えた。
日本で使い捨てプラスチックの問題を考えるなら、プラ製ストローやカップ、スプーン等よりも更に必要性の低い、弁当の仕切りに使用されるプラ製のばらんやカップなどの廃止の方が先ではないだろうか。どの番組だったかは失念したが、所謂外国人バラエティ番組で、フランスで日本式駅弁を売っている女性を取り上げていた際に、「日本式駅弁はフランスでも好評だが、プラ製のばらんやカップは必要ないと嫌悪される」と言っていて、本当にその通りだと思った。
食品ロスと恵方巻にせよ、海洋プラスチック問題のストローにせよ、一部にだけに過剰に注目する手法の報道は好ましいと思えない。再確認だが、それらをきっかけに問題の全体に注目を向けるような報道でなくてはならない、そうでなければ間違った認識を誘発しかねないと強く感じる。