スキップしてメイン コンテンツに移動
 

天皇・皇族の権威の政治利用


 「【おしらせ】2019年、天皇誕生日はありません」。BuzzFeed Japanが2018年の大晦日に掲載した記事の見出しだ。自分が子供の頃、つまり昭和年間の天皇誕生日は4/29だった。平成以降の天皇誕生日は誰もが知るように12/23である。記事は、昭和の天皇誕生日は平成以降も当初はみどりの日、2007年以降は昭和の日として祝日のまま残っているが、平成が終わる来年以降、平成の天皇誕生日は祝日ではなくなるという事を伝える内容だ。
 因みに戦前は天皇誕生日を天長節と呼んでいたようで、明治天皇の誕生日・天長節(大正以降は明治節)だった11/3は、今も文化の日として祝日になっている(一応文化の日の由来は明治天皇の誕生日でなく、1946年に日本国憲法が公布されたことによる)。大正天皇の誕生日・天長節、8/31は現在平日である。


 中小零細企業、特に小売り・流通等で働いている人にとっては、祝日をカレンダー通り休めるでもなく、代休がとれるわけでもなく、天皇誕生日に限らず祝日全般が「何それ?おいしいの?」状態で、「だからどーした?」なのでは?
というのが、 これまでそのような環境で働いてきた自分の率直な感覚だ。政府は天皇退位に伴い新天皇が即位する2019年5/1を2019年1回限りの祝日とし、国民の祝日に関する法律で祝日と祝日に挟まれた平日を休日にする規定があることから、4/29(昭和の日)と5/3(憲法記念日)に挟まれた4/30と5/2も国民の休日となり、2019年のゴールデンウイークを10連休とすることを発表したが、これについても同様だ。
 あくまで個人的な見解ではあるが、日本では戦前、天皇の権威が軍部出身の政治から等によって恣意的に利用されたことに鑑み、天皇・皇族を政治から遠ざける為、戦後は象徴天皇制とし、原則的に天皇・皇族は政治とは距離を置く、極力政治的な発言を避ける事になっているが、今の政権は、支持者に天皇制を支持する者が多いからか、即位日や前後を祝日とする事による人気取りの為に、天皇の権威を利用しているように思えてならない。

 2018年12/23は最後の天皇誕生日だった。今後は新天皇即位と共に現在の皇太子の誕生日・2/23が天皇誕生日になるようだ。なのでこの日の現天皇の記者会見は例年以上に注目を浴びた。2019年4月の退位を踏まえ、彼は2018年だけでなく皇太子・天皇としてのこれまでの歩みを振り返って所感を表明した。会見の中に
 平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています
 という言葉があり(BuzzFeed Japanの記事)、 多くのメディアがこの部分を見出しなどで取り上げていた。皇太子として経験した日中戦争・太平洋戦争を前提に、「平成の間、日本が戦争に巻き込まれなかった、加担しなかった」という思いでそう述べたのだろう。
 しかし、1/6のBuzzFeed Japanの記事「飢えた赤ちゃん 銃を突きつける子ども 日本人が見たイエメン危機」からも分かるように、平成の間も世界中で複数の戦争・紛争が展開されてきた。確かに平成の間、日本が戦争・紛争に巻き込まれ重大な被害を被ることはなかったかもしれないが、実際には見つからなかった大量破壊兵器をイラクが保持しているとして、アメリカが主体となって始めたイラク戦争に日本政府は支援を表明し、戦闘行為に関わってはいないが自衛隊を派遣した。また自衛隊イラク派遣による戦死者はゼロと発表されているが、イラクを含む自衛隊の海外派遣任務によって35人が死亡しているそうだ(Wikipedia)。この死者数には任務を終えて帰国した後の死亡も含まれており、海外派遣現場での自衛官の死者数は定かではないが、戦争に関連して被害を被った日本人が全くいないとは言えないだろうし、「平成が戦争のない時代」だったと言い切ることには違和感を感じる。

 現在の第2皇子・秋篠宮が、2018年11/30の会見で天皇即位に関する儀式・大嘗祭への公費支出に違和感を示した際に(時事通信の記事)、政治的な発言に当たるのではないかという懸念があちらこちらで示された。宮内庁はすぐさま「政治的発言ではない」という見解を示していたが(時事通信の記事)、宮内庁が「政治的発言ではない」とわざわざ言う必要があったのは、そんな懸念が示されたのが事実だからだ。この秋篠宮の発言が政治的であるならば、天皇が誕生日に述べた「平成が戦争のない時代として終わろうとしている」という言葉も、実際には日本も間接的にではあるが平成の間に戦争に関わってきたのに、それを天皇が隠すような事を述べたという、政治的な発言とも言えるのではないか。

 同様に、新天皇が即位する5/1やその前後を国民の休日にすることも、勿論、新天皇の即位をお祝いするという意味では政治的ではないが、 視点によっては天皇の権威を政治的に利用する行為と言えるではないだろうか。前述のように現在の日本では天皇・皇族の権威が恣意的に・政治的に悪用されることのないように、天皇・皇族が政治から距離を置く、政治的な発言を極力避けるようにという事が常識化している。しかし結局、天皇や皇族が政治から距離を置いていても、政治的な発言をしなくても、その権威を政治的に利用することは可能だし、現政権は実際にそんな環境を最大限活かした天皇・皇族の権威の政治利用をしているように思う。秋篠宮の発言は、政治的な発言というよりも、天皇・皇族の権威を政治的に利用する現政権への抵抗の為の発言だろう。宮内庁が「政治的発言ではない」と発表したのは、「現政府は天皇・皇族の権威を政治的に利用していません」という宣言だったのかもしれない。つまりその抵抗へのけん制だったのだろう。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。