SNSには、攻撃的な投稿や誹謗中傷に晒される事のストレス軽減・自己防衛の為に、特定の人物の投稿を遮断する機能が大抵備わっている。ツイッターで言えばブロックやミュートがそれに該当する。この機能の必要性は確実にあるだろうが、一方で趣旨とは異なる用いられ方もされていると思う。
どんな場合にそう感じるのかというと、攻撃的な投稿、誹謗中傷の懸念が強い投稿に対して反論した際に、そのアカウントからブロックされた場合だ。このような場合に自分には、攻撃的な人が他人を誹謗中傷する機会を、SNSの運営者が用意した反論をブロックできる機能によって、余計に増やしているように見えてしまう。誹謗中傷の対象が有名人などの場合、本人のアカウントをブロックすることで反論できない状態にして、誹謗中傷し放題な状況になってしまう(勿論やり過ぎれば他のアカウントからの報告によって最悪BANされるので、厳密には「し放題」ではない)。
サブアカウントを利用すれば、ブロックされてもその後も当該アカウントの投稿を閲覧することは出来るし、そちらでそのような投稿を悪意のあるツイートとして運営に報告もできるが、それでもブロック機能には悪用の懸念があることに変わりはない。
SNSのブロック機能に関して、2018年5月に「トランプ米大統領はツイッターでブロック禁止=ニューヨーク連邦地裁」(BBCの記事)という事があった。ツイッターで頻繁に情報発信するトランプ氏をはじめアメリカの政府高官らが、批判的な人をブロックし、自分たちの投稿が見られないようにしていることが、言論の自由を侵害する行為にあたるかが争われた裁判で、
大統領が自分のツイッターアカウント「@realDonaldTrump」について、特定の人の政治信条を理由に見られないようにすることは、相手の言論の自由を侵害する行為
に当たるのでブロックを禁止する。という判決が下されたと言う記事だ。選挙によって選ばれた政治家への批判をする事は有権者の権利であって、批判的・不支持などの理由だけで政治家の主張を見る機会が遮断されれば、批判の機会が失われるのだから当然の判断と言えそうだ。勿論、誹謗中傷をしてくるアカウントをブロックする権利は政治家であっても有しているだろうが、例えばツイッターなら、相手がこちらのツイートを閲覧する機会まで遮断するブロックではなく、相手は閲覧は出来るが相手のツイートがこちらに見えづらくなるミュート機能を活用するべきだろう。日本の政治家の中にも、ブロック機能の気軽に用いる者がそれなりにいるようだが、自分の立場をもう少しよく考えて貰いたい。
同じようなことは政治家だけでなく、各種コメンテーターや有識者、評論家にも言えると個人的には考えている。彼らはテレビや新聞・出版物などの大手メディアで自分の主張を大きく拡散することが出来る立場にある。自分はそのような主張に対して異論があると、ツイッターやブログで見解を表明し反論する。恐らくその反論が理由で、これまでにそのうちの何人かからかツイッター上でブロックされている。こちらの主張に失礼な部分が全くなかったと言い切ることはできないが、ブロックされる程あからさまに攻撃的な主張をした覚えはない。こんな状況から、
彼らは自分の言いたい事を公共の電波や印刷物にのせて広く知らしめるくせに、他の主張に対しては聞く耳を持たない人なんだと思え、それ以後彼らがどんな話をしていても説得力に欠けるように思えてしまう。場合によってはそんな人を起用している番組・出版物・サイトの説得力にも疑問を感じてしまう事もある。前述のようにサブアカウントを利用すれば、彼らがツイッターで何を主張しているのかを見る事が出来るので、それ程大きな問題でもないのだが、批判されたくないなら主張を止めればいいのにとか、批判は見たくないけど主張はしたいのなら、せめてミュートで対応すればいいのに、などと思ってしまう。
ブロック機能を使うことで「ブロックしてやったぜ」という優越感に浸ることが出来るという面も少なからずあるのだろう、と個人的に思っている。何故なら、言い合い・議論をしていたが「話にならないからブロックしてやった」と誇らしげに主張する人をしばしば見かけるからだ。その手の者は一般的な利用者だけでなく有名人・評論家などでも見かける。百歩譲ってブロック機能を使うのは構わないとしても、一体誰に何を誇示しているのだろうと思ってしまう。ブロックしても相手が誹謗中傷や攻撃的な主張・合理性に欠ける主張を止めるわけではない。そのような人は他の場所で攻撃相手を変えて同様の主張・行為を続けるだろうから、ブロックしたところで十中八九根本的な解決にはならない。むしろブロックせずに不適切な投稿を運営に報告したり、批判し続けることの方が重要なのではないか?と自分は考える。ブロックしてしまったら相手の主張は一切見えなくなるので、不適切な投稿を運営に報告することも、不適切さを指摘することも出来なくなる。
冒頭でも書いたが、攻撃的な主張に晒されたり、誹謗中傷を受けた人がストレスを軽減する為の緊急避難を行う為の機能として、ブロック機能には確実に必要性があるだろう。しかしその一方で、自分とは異なる主張を片っ端からブロックし、見たいものしか見えない状況をつくる人も確実にいる。ネットやSNSの仕組み自体がフィルターバブル、個人的な嗜好・指向によって接する情報に偏りが生まれやすい構造だが、SNSのブロック機能にはそれに拍車を掛ける副作用があると言えるのではないだろうか。