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「スクリーンショット全面的に違法」という表現の妥当性


 ネット上の情報をスクリーンショットすることが「全面的に違法」になりかねない、という話がネットを中心に大きな話題になっている。しかし個人的には、この認識には誤りも含まれているようにも思える。
 事の発端は文化庁の著作権分科会の法制・基本問題小委員会が、被害の深刻な漫画の海賊版サイト対策に関して、不正なコンテンツだと知りながらダウンロードする行為が既に違法化されている音楽・映像と同様に、雑誌、写真、論文、小説、プログラムなど全てのネット上のコンテンツに拡大、メモ代わりに行われる事もあるスクリーンショットもダウンロードに含まれることとする方針を決定した事による。
 自分はこの件をハフポスト/朝日新聞の記事「マンガや写真などのダウンロード、「全面的に違法」の方針決定 スクショも対象」で知った。他にも同様の見出しを掲げて報じている記事を多く見受ける。しかし、現在ダウンロードが違法化されている音楽や映像に関しても、「不正なコンテンツと知りながら」という前提があり、「全面的に違法化」は拡大解釈が過ぎるのではないだろうか。


 現在「不正なコンテンツと知りながら」のダウンロードが違法化されている音楽や映像に関しても、合理性が認められる引用目的ならば、直ちに罪に問われることはない筈だ。しかし一体何が不正に当たり、何が合理性の認められるケースなのかの判断には明確な線引きがあるわけではなく、よく言えばケースバイケース、悪く言えば特定の者に都合のよい解釈がされる恐れもある。これまでは音楽や映像以外はダウンロードが直ちに違法とされていなかったので、合理性がないと言い切れない範囲が広すぎた状況なのだろうが、スクリーンショットすらも違法ダウンロードに該当すると言われたら、今度は逆に偏りが出るのではないかという懸念が起こるのも理解できる。
 自分はこの委員会を傍聴した訳でも議事録を精査したわけでもないので、実際にどんなニュアンスで議論がなされたのか、方針が決定されたのかについては分からない。自分の感覚ではハフポスト/朝日新聞の記事や、同様の論調の記事は少し過剰な懸念を示しているようにも見える。しかし一方で、記者らが実際に委員会の参加者らに取材をした上で記事化しているのだろうから、記事の論調が確実に間違っているとも言えず、そのような懸念をする必要も少なからずあるとも思う。

 記事には当該の委員会に一体どんな面子が参加していたのかの記述もなければ、具体的な発言内容、参加者のコメントなどもない為、前段で示したように詳しい判断がつかない。誰が委員会に参加していたのかだけでも分かれば、少しは内容を推測するのに役立つだろうと考え、記事中にある「文化審議会著作権分科会」で検索してみた。最初にヒットしたのは文化庁のサイトで、その名も「文化審議会著作権分科会 | 文化庁」なのだが、相変わらず役所のサイトはユーザビリティを一切無視しており、一体誰が著作権分科会の法制・基本問題小委員会に参加したのかは確認できなかった。
 朝日新聞(だけでなく他のメディア)にも、誰が参加していたのか、具体的にどのような議論があったのかに関する情報を調べた上で報道をして欲しいと感じたが、そもそも市民が閲覧する際の利便性を全く考慮しないサイトを作って、書類をダウンロードできるようにしただけで情報公開したつもりになっている役所が一番の問題だ。政治や行政の透明性の確保はもう何十年も前からの懸案の一つだ。これでは情報公開に努めているとか、風通しのよい行政を目指しているなんて全然思えない。
 この傾向は文化庁に限った話ではなく、中央・地方を問わず全ての行政機関、行政だけでなく司法機関にも立法機関にも、つまり役所と言われる全ての機関・組織に関して同様の事が言える。「お役所仕事」「役所の常識は世間の非常識」とはまさにこの事だろう。ただ人間とは悲しいもので「朱に交われば赤くなる」の人も多く、だからこのような状況が改善しないのだろう。つまりこれは役所だけの問題ではなく、市民一人ひとりの問題でもあると考える。問題提起や改善に努める義務は、参政権を確実に行使したり、改善の要望を面倒がらずに出すなど、役人や職員・政治家だけでなく市民一人ひとりにもある。

 話をスクリーンショット違法化の問題に戻せば、どこの誰が議論しているかも分かり難いブラックボックスのような委員会で、
 ダウンロード「全面的に違法」の方針決定、スクショも対象
という方針が決定された、などと報じられれば、種々の懸念を抱く人が出てくるのは当然だ。ただ、漠然と不安がるだけでは何も変わらないし、果たして決定された方針が妥当かどうかの吟味すらできない。短文SNSという性質の所為もあるだろうが、ツイッターでこの件に関するツイートを見ていると、記事の内容すら読まずに不安がっているだけのように見える人の多さが目に付く。SNSでそのタイプの人が多く目に付くのは、決してこの件に限った話ではないが、内容をよく理解しないから生じる不安というのもしばしばある。勿論内容をよく理解すると更に不安が強まるという事も少なくないが、内容を理解しなければ対策を立てることもままならないし、つまりどうやっても不安を解消することは出来ない。内容をよく理解した上で感じる不安は、内容に応じた対処によって解消する可能性がある。
 SNS上の得体の知れない誰かやマスコミの一部が用いる過激な表現・見出しに飛びつくのではなく、一旦深呼吸をした上で、何がどう問題なのかを自分なりに考えてみる事が何よりも大事なのではないか。2018年11/13の投稿で触れた、下村 健一さんの提言「スマホ情報に踊らされないための ”4つのハテナ”」をもっと多くの人に考えて欲しい。下村さんは便宜上”スマホ情報”としているが、これはSNS情報でもあるし、政治家の主張・マスコミ情報・噂話でも当てはまる。つまり全ての”情報”について同じ事を考慮して判断をする必要があると言えるだろう。

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