スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ノートルダム聖堂の火災、沖縄の「女は政治は無理 女は台所に帰れ」


 2019年4/15にパリのノートルダム聖堂で火災が起きた。石造りのファサード(建物の正面部)は残ったが、木造だった屋根や19世紀に加えられた尖塔は焼け落ちた(パリ・ノートルダム聖堂本体は1163年に着工し、1225年に完成したそう)。因みに、Wikipediaによると「ノートルダム」はフランス語で聖母マリアを指す表現で、ノートルダムと名のつく教会はフランス語圏に複数存在しているらしい。日本でも弁天様・弁財天を祭る有名な寺に上野・寛永寺や奈良・興福寺などがあるが、それ以外にも弁天様を祭る寺は複数存在し、更に、本来弁財天は仏教の女神なのだが、弁天様を祭る弁天神社というのも各地に存在するのと似たようなことなのかもしれない。
 フランス人にとってのパリ・ノートルダム聖堂がどのような存在だったか、フランス人でもなくキリスト教徒でもない自分が上手く想像できているのかよく分からないが、宗教的なシンボルで歴史もあり、観光名所にもなるような建造物という風に捉えれば、東京で言えば浅草寺、関西で言えば清水寺などが相当するような建物なのだろうと想像する。それらで火災が発生し大部分が焼けたとしたら、多くの日本人が悲しみ、そしてパリ・ノートルダム聖堂同様に再建を望むだろう。


 フランス・マクロン大統領は火災発生の翌日に、即座にノートルダム聖堂の再建を宣言した。ロイターの記事「ノートルダム「5年以内に再建」 マクロン仏大統領」にもあるように、その時点で既に8億ユーロ(約1000億円)以上の寄付の申し出が企業などからあったそうだ。この資本家や企業からの寄付については、日本では概ね、富める者の社会奉仕のような文脈で肯定的に報じられたが、現地ではこれに対する反感もあるようで、抗議運動まで起きたようだ。
 時事通信の記事「ノートルダム高額寄付に怒り=反政府デモ激化も-フランス」によると、
  • 社会的な惨状には何もしないのに、わずか一晩で膨大な金を拠出できることを見せつけた
  • 人間より石が優先されるのか
などの批判の声が上がっているそうだ。フランス・パリでは昨年来、黄色いベスト運動「ジレ ジョンヌ」と呼ばれている反政府デモが断続的に行われてきた。発端はフランスでの燃料価格の高騰と燃料に関連する増税への不満で、それに抗議する為のデモだったが、次第に資本家層と労働者層、都市部と郊外などの格差、とりわけ経済格差が生じている社会への不満がデモの概ねの趣旨に変わってきている。
 つまり、政府や企業・資本家たちは、格差社会への手当の必要性を労働者や農民らがこれまで訴えても抜本的な対応をしてこなかったのに、1000億円もの資金を一夜にして集める事が出来ることがノートルダム聖堂の火災で証明された。出来る筈の社会への対応を政府や企業がこれまで怠ってきたことが明らかになった、そんな金があったのなら何故燃料にまつわる税金を企業らに負担させてこなかったのか。それは金持ち優遇だったからではないのか、という不満が再び示されているということなのだろう。

 不謹慎という評価を受けるのかもしれないが、自分はパリ・ノートルダム聖堂火災の一報を聞いて、第二次世界大戦下での自由フランス軍によるパリの解放を描いた映画「パリは燃えているか」と、1933年に発生し、ナチスが政権掌握の為に政治利用したとされる「ドイツ国会議事堂放火事件」を連想した。前者はただ単に字面からの連想で、映画の内容等と今回の火災に関連性があるとは思っていない。つまり単純な連想である。今回の火災等の事件の恐ろしさ、そして同じ様な状況にならなくてよかったと安堵したのは後者の「ドイツ国会議事堂放火事件」の方だ。
 「ドイツ国会議事堂放火事件」とは、1933年2/27の夜に、その名の通りドイツの国会議事堂で火災が発生した事件で、出火原因はオランダの共産党員による放火とされている。当時の内務省が単独犯としたにも関わらず、ヒトラーやナチス幹部らはこれを共産主義者による反乱計画と主張し、共産主義者・社会民主主義者・無政府主義者への弾圧の口実に利用した。当時は3/5に選挙を控えた時期だった。この間に共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党や民主主義政党の集会がナチス突撃隊に襲われる事態も発生し、共産党指導者を含む逮捕者や死者が出た。ナチス党員18人、他の政党で51人の死者と数百人単位の負傷者が出ている。
 そんな状況で選挙が行われ、共産党は議席を100から81に減らし、ナチスは199から288議席へと躍進した。選挙後初の議会では共産党81人、社会民主党26人、その他5人の議員が病気・逮捕などの理由で欠席し、ナチスは他の政党の協力も取り付けることで悪名高い「全権委任法」を成立させた。
 つまり、ドイツ国会議事堂放火事件とは、ナチス・ヒトラーが独裁を確立させるのに利用した事件である。国会議事堂の火災を「共産主義者による反乱計画」とし、「共産主義暴動の発生に対応するため」として、憲法の範囲を超える全権委任法制定の必要性を主張してそれを実現、つまり独裁体制を確立させたという話だ。

 フランスでは昨今、マリーヌ ルペン氏率いる国民戦線(現 国民連合)が徐々に勢力を拡大している。国民戦線は反移民を主要なスローガンとし、フランス人至上主義を掲げ黒人やイスラム系の移民排斥を唱えている。現在は党籍をはく奪されているが、マリーヌ ルペンの父で国民戦線の創始者・前党首でもある ジャンマリ― ルペン氏は、反ユダヤ発言を繰り返してきた。
 国民戦線の現在フランス議会での議席は1%程度と取るに足らない数字ではある。しかしナチスも1928年の選挙までは弱小政党に過ぎなかったが、1929年の世界恐慌を境に徐々に勢力を拡大し、1933年のドイツ国会議事堂放火事件直後の選挙では得票率49.3%・過半数には届かなかったが288/647議席を獲得し、更に全権委任法を成立させた後の同年11月の選挙での得票率は92.2%に及んだ。
 日本ではそこまでナチスへの懸念・教訓を教えないが、ヨーロッパ、特にフランスはナチスに占領され国内で虐殺を起こされた経験もあり、ドイツ同様にナチスへの懸念や教訓は日本などとは比較にならない程教育の中に織り込まれているのだろうし、ナチスや同様の方針を掲げる組織等への警戒感も同様に高いだろうから、国民戦線がナチス化するのを、フランス国民が簡単に許すとも思えないが、国民戦線は欧州議会ではフランスの割り当て分74議席に対して22議席を有しているようだし、今回のノートルダム聖堂火災がもう少し違うタイミングで起きていたら、政治的に利用されていたかもしれない。また、逆に国民戦線弾圧を目的として、反対する他の勢力によって利用されていたかもしれない。


 パリ・ノートルダム聖堂の事件が政治的に利用されなくて本当に良かったと思っているのだが、現在日本では統一地方選の後半戦・衆院補選の選挙戦が繰り広げられており、男女格差の問題を政治的に利用しようという動きが見える。
 明日・4/21が各選挙の投票日で、つまり今日は選挙戦の最終日だ。衆院補選は大阪と沖縄で行われており、沖縄では、昨年県知事に当選した、それ以前衆院議員だった玉城デニー氏の後釜を選ぶ選挙が行われている。立候補しているのはオール沖縄推薦で無所属のフリージャーナリストの屋良 朝博氏と、自民党公認、公明・維新推薦で元沖縄北方担当大臣の島尻 安伊子氏だ。その沖縄補選の只中で「女は政治は無理 女は台所に帰れ」というポスターが一斉に張り出されたそうだ。


 BuzzFeed Japanの記事「いったい誰が「女は政治は無理 女は台所に帰れ」と。誹謗中傷ポスターで憶測の嵐」によると、このポスターは沖縄3区補欠選挙の選挙区内に、一夜にして大量に貼り出されそうで、両陣営が非難の声を上げているそうだ。昨今どんな事件でもすぐに監視カメラの映像が公にされることを勘案すれば、警察や選管が動けば誰の仕業かなど簡単に分かりそうだが、そのような証拠が示されたとして背後関係の調査が数日で済む筈もなく、つまり事件の全貌を選挙期間内に確定させることは難しく、そんな事と選挙への影響を勘案して選挙期間中は監視カメラの映像が公表されるようなこともないのだろう。しかし、こんな事案が発生したこと事態が既に選挙に影響を与えているだろうし、そんな状況下での選挙が果たして適切な投票と言えるのかは疑問だ。
 フランス・パリではノートルダム聖堂の火災を政治的に利用しようという露骨な動きは見られなかったようだが(視点を変えれば、大統領の修復宣言、企業や資本家らの寄付、そしてそれへの反発も政治的な利用と言えるかもしれない)、日本では宗教的・歴史的に重要な建造物が焼けなくても、男女格差・伝統的な家族観・男尊女卑傾向の肯定又は否定を政治的に利用しようという動きが確実にある。
 個人的には「女に政治は無理、女は台所に帰れ」という発想は、伝統的家族観について肯定的な一部の自民支持者や維新の支持者らにありがちな発想のように思えるが、反対勢力がそれを装う事もできるし、またこれを貼り出した者と両陣営のどちらかに直接的な関係があるかどうかも定かでなく、あまり憶測でものを言ってもいけないと感じる。
 しかし誰かが恣意的で不適切に、政策などの本質とは別の事を政治利用をしようとしたこと、というか実際にしたことは間違いない。果たしてこれが今の法律で厳密に選挙妨害と認定できるか定かでないが、有権者の適切な判断に影響を及ぼす行為であることには違いないだろう。もしこの行為を何かしらの方法で咎めることが出来ないのだとしたら、それは選挙に関する法の不備と言わざるを得ない。

 こんなことが起きる状況である事を勘案すれば、もし今の日本で、浅草寺や清水寺で火災が発生し半焼・全焼するようなことになったら、外国人排斥なのか対立する政治勢力への対抗の為なのか、若しくは他の何かなのかは分からないが、恣意的・政治的に利用する者が少なからず出てくるように思えてならない。
 フランスの黄色いベスト運動が暴動になっている事を前提に「フランスは民度が低い」のような見解を示す者がいるが、日本では物理的な暴力とは異なる方法の暴動が起きる恐れがあり、というか既に起きており、そんな風に考えると民度が低いのは寧ろ日本ではないのか。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。