日本人の父とカメルーン人の母を持つ、カメルーン生まれ日本育ちのタレント・星野 ルネさんは今朝、こんなマンガをツイートした。彼は定期的にマンガをツイートしており、最近は毎日小学生新聞に連載を持つなど、漫画家としても活動している。
人間には予測変換の機能があり、色々な処理を円滑に行います、しかし予想が外れる事はありそれが連続すると新パターンが誕生する。フォローで応援、口笛でファンファーレやります♫リツイートで羊が寝る時に人間の数を数えます。いいねでイナゴの大群がダイエットをします。#漫画 #ランチ #予想外 pic.twitter.com/pST0Q90UtC— 星野ルネ (@RENEhosino) May 17, 2019
読んでもらえれば一目瞭然だが、日本語ネイティブで見た目はカメルーン人のルネさんと、アメリカ育ち英語ネイティブの日本人の友人がレストランに行くと、その見た目からルネさんに英語のメニュー、友達に日本語メニューが渡され、2人がメニューを交換するというエピソードだ。
このマンガでは日本人と黒人という民族性や人種についての先入観がテーマになっているが、先入観は決して民族性や人種に関してだけの話ではない。例えば、男性と女性がファミリーレストランでビールとジュースを注文すると、大概男性の前にビール、女性の前にジュースが置かれる。これも性別による先入観だ。特に日本では男女に関してステレオタイプ的認識がまだまだ残っているし、男だから○○、女だから○○という話もよく耳にする。男より酒を飲む女性なんてザラにいるし、酒の飲めない男性なんてのもザラだ。なのに何故か男にはビール、女にはジュースという認識が根強い。
男にビール・女にジュース程度の先入観なら、概ね誰も傷つくような事はないだろうが、それでも酒を飲む妻と酒が飲めない夫の夫婦なら、ルネさんのマンガのように「まぁ仕方ないよね、そう見えるもんね」と思いつつも、「またか…」と感じることも少なからずあるだろう。
その他に見た目による先入観というのもある。自分はルネさんの漫画が異なる人種間での例だったので、「同じ人種でも先入観で見られることはある」「ルネさんのマンガのようには丸く収まらない事もある」という事を言いたくて、自分の経験をリプライした。
その童顔24歳ドライバーは、それまでにも似たような経験があったようだが、流石に免許証を見せたのに納得しない店員には腹が立ったようだ。それもそうだろう、免許証という公的にも認められる写真付き身分証明書を提示しているのに、店員が自分の非を認めなかったらそりゃ腹も立つ。免許証提示後の店員の対応が「失礼しました」だったら、ルネさんのマンガと同じ様な話だったろうが、そうではなかったので、注文した後だったが店を出ることになり、彼は「ガ〇トには2度と行かねえ」と憤っていた。19歳の頃引越しバイト、24歳童顔のドライバーとファミレスで昼食。2人でタバコを吸ってると童顔24歳ドライバーが咎められ、免許を見せても納得しない店員。老け顔19歳はスルー。2度と来ないと席を立つドライバー。どうしても見た目に引っ張られる部分はあるが、先入観は出来る限り取払わねばならない。— Tulsa Birbhum (@74120_731241) 2019年5月17日
このリプライを書いていて更に別の話が頭に浮かんだ。そのドライバーとはその後も何度か同じ現場になる事があり、結局「ガ〇トには2度と行かねえ」と言っていた彼と、別の店ではあるが食事の為にガストにも何度か行った。ただ流石に問題の店舗に行く事はなかった。それが最寄の店でも彼は確実にスルーしていた。
自分には他にも似たような経験がある。小学生のある日、家族でハングリー〇イガーというハンバーグとステーキのレストランチェーン店に夕食を食べに行った。自分達は4人家族なのだが、何故か後から来た4人家族の方が先に案内された。店員がどういうわけか自分達家族を5人連れと勘違いしていた。
その時点で父親は???という感じになっていたのだが、更に悪いことが重なる。注文を終えた後、待てど暮らせど料理が出てこない。正確な時間は覚えていないが、明らかに後から来た数人の客の注文が先に出ていた。中には似たような注文もあった。というかハンバーグとステーキの店なので、他に比べて時間がかかるようなメニューもそうないし、自分達の家族が頼んだのもハンバーグとステーキだった。つまりオーダーが通っていないとしか思えなかった。しばらく経って流石に父親はキレだした。自分と兄が「腹がへったー、腹がすいたー」と文句を言っていたこともあり、食べずに店を出ることはなかったが、店員を呼びつけ、子どもの前だからか怒鳴りつけることはなかったが嫌味を一通り並べ、「さっさと注文した料理をもってこい」という旨の事を言った。父親は良くも悪くも裏表のない人間で、言いたい事は言うタイプだ。
紆余曲折の末食事を終えたが会計でまた一悶着起きる。店側は良かれと思って所謂「お代は結構です」的な対応を提案したのだろうが、しかし父親は「それじゃまるで代金目当てでクレームをつけたみたいじゃないか」と再び怒りだしてしまった。確かに待ちに待たされて嫌な空気の中食事をすることになったら、何があっても腹の虫が収まらないのはそんなに不自然なことでない。結局通常通りに代金を払い、その時の父親も「2度と来るか!」という捨て台詞を吐き捨てて店を出た。帰りのクルマの中は誰も何も喋らなかった。というか喋れる雰囲気ではなかった。それから家族でハングリー〇イガーに行く事は2度となかった。
この「ガ〇トには2度と行かねえ」「ハングリー〇イガーには2度と来るか!」も先入観に基づく判断かもしれない。問題があったのは24歳童顔ドライバーに対応した店員や、自分達家族についた店員であって、ガ〇ト全体に問題があるわけでもないだろうし、ハングリー〇イガー全体も同様だ。しかし、その店員たちがガ〇トやハングリー〇イガーの看板を背負って仕事をしている以上、彼らの振舞いは、彼らが対応した客にとってガ〇トやハングリー〇イガー全体の印象になってしまうのはある意味当然かもしれない。
しばしば「日本人は○○」「韓国人は○○」など、雑で大きすぎる括りで論じられる極論を目にすることがある。前述の「男は○○」「女は○○」なども似たような話だろう。そんな風に雑に括られて論じられると、「日本人は○○」に当てはまらない日本人は心外だと感じるだろうし、それは他国の人でも男でも女でも同じだろう。「男/女は○○」は流石に雑過ぎると思うが、しかし「何人は○○」に関しては、基本的には雑な括りは好ましくないと思うものの、そのような極論に行きついてしまう人を一方的に攻められないと思える側面もある。例えば、日本人が外国に行く場合、前述のガ〇トやハングリー〇イガーの店員と同様に「日本人」という看板を背負っているような状態とも言えるだろう。つまり一人ひとりがそれぞれの場面における日本人代表ということにもなる。日本人代表が印象の悪い振舞いをすれば、日本全体に対する印象が悪くなるのはある意味仕方ない。勿論それは日本人が海外に行った場合に限らず、初めて日本に来た外国人が、最初に接した日本人たちの振舞いを見て、それを根拠に「日本人とはどんな人達か」として認識するのも決して不自然ではない。
勿論、ステレオタイプの日本人像から大きくかけ離れた者を日本人のステレオタイプと認識することは、概ね「偏見」と言えるだろうが、その偏見のきっかけを与えたのも日本人という場合は多いだろう。そんな風に考えると、もしかしたら24歳童顔ドライバーの喫煙を咎め、免許証を提示しても非を認めなかった店員も、もしかしたらそう対応せざるを得ない経験をそれ以前にしていたのかもしれない。勿論だから店員の対応は間違っていなかったという話ではなく、そんなことも考えられるという程度の話だ。
自分は前述のリプライに続けてもう一つツイートをした。
今振り返れば小5で165cmあれば中学生と間違われても仕方ないと思う。当時も少なからずそれは理解していた。ではどんな嫌な思いをしたのか。小学生なので顔写真付きの学生証などなく、証明できるのは学校の名札くらいで、中学生と疑われるのが嫌でバスに乗る際には学校でもないのに名札をつけ、運転手に声をかけられた際にそれをアピールしていたが、それでも「そんなの卒業しても持ってるよね?」的な事を言う運転手もおり、つまり24歳童顔ドライバーが免許証を提示しても疑われたのと同様のケースがしばしばあった。その老け顔19歳は小学校5年で既に165cmだったので、バスの運転手に「中学生じゃないの」と毎回疑われるのにウンザリし、説明するのが面倒で5年の秋からバスに大人料金を払って乗ってた経験が。今考えるとバス運転手の判断も仕方ないと思うが、当時の自分は結構嫌な思いをさせられた。— Tulsa Birbhum (@74120_731241) 2019年5月17日
人間が何事もまず見た目で推し量り判断するのはごく自然なことだ。自分だって何かを判断するときはまずそうする。自分も前述のような経験があるので、見た目で判断されて頻繁に同じ疑いをかけられたり、先入観で見られるのもある程度は仕方ないとも思う。しかし、度を越した先入観で自分の認識こそが正しいと言わんばかりの主張をすることは、それは時に人を傷つける。
つい先日あるテレビ番組で元警察官が「何かやっている奴は目を見れば分かる」的な事を言っていた。しかし、自分はこれまで3度、拒否しようとしていた職務質問・持ち物検査を、応援の警察官を含めた複数人で囲まれ、実質的に応じるまでその場から移動できないような状態にされて強制された経験がある。勿論それで違法な物を押さえられて逮捕された経験は一度もない。
なぜ3度もそんな経験があるのか。確かに老け顔19歳の頃から既に人相がよいと言えず、しばしば警察官に声を掛けられるタイプではあったが、初めて持ち物検査を要請された際、友達を待たせている状況だったので拒否しようとしたのだが、前述のような状況になった。そんな経験から警察官に対する不信感が生まれ、その後は時間的に余裕があろうが協力する気が一切なくなったからだ。
これも自分の警察に対する先入観かもしれないが、警察だって「コイツは何かやっているかもしれない」という先入観に基づいて職務質問・持ち物検査をしているはずだ。令状がなければ強制力のない単なる要請の筈にもかかわらず、応じなければ周りを複数人で囲んで移動出来なくする。そんな様子を是非想像して欲しい。道端で複数の警察官に囲まれた様子は第3者の目にはどう映るだろうか。多くの者は「アイツなにやらかしたんだ?」と思うだろう。つまりそれだけでもう犯罪者扱いされているようなものだ。
何度も繰り返しになってしまうが、見た目である程度先入観を持って他人に接するのは仕方ないことだろう。しかし、それが度を越してしまうと明らかに他者に不利益を与えてしまう。自分の見える範囲だけが世界の全てではない。寧ろ自分の知らない世界の方が確実に広いはずだ。固定観念にとらわれ過ぎるのは弊害が大きいし、他人のことをあまりにも強く決めつけて判断してしまうのは確実に不適切な行為である。