スキップしてメイン コンテンツに移動
 

「スタンプを押す」は相手を傷つけるに該当しない、は正しい認識?


 この数日「痴漢されたら「安全ピンで刺す」は正当防衛か傷害罪か?」(弁護士ドットコム)という話題がSNS上で盛り上がっている。肯定派・否定派の両方に極端な主張に走る者が多く、盛り上がっている人達は概ね話が噛み合っていないように思う。
 痴漢対策として安全ピンを携帯し、万が一被害にあったら刺す、というような話は、全面的に肯定できる話でもなければ、全面的に否定できるような話でもない。前述の弁護士ドットコムの記事でも指摘されているように、若干の出血を伴う程度の安全ピンの攻撃は正当防衛の可能性が高いのだろうが、『痴漢』という不正な行為から身を守るため、やむを得ずしたものと評価されれば、正当防衛となり、違法ではなくなるという話であって、そのような条件を外れてしまえば、他人を安全ピンで刺すことによって刺し傷ができれば、傷害罪が成立します。仮に傷ができない場合であっても暴行罪は成立します、ということになる。つまり、痴漢行為が思い過ごしであったり、執拗に安全ピンで何度も刺すなどの行為があったりした場合には、正当防衛が成立しないこともありえます、ということだ。
 痴漢の被害をなくす対策は確実に必要だし、被害に遭わないようにしたり、万が一被害に遭った際の為に何かしら対策をすることは当然必要で、その為に安全ピンを携帯したとしても、それは凶器を理由なく持ち歩く行為にはならないだろうから、全面的否定論は妥当とは思えない。しかし、痴漢冤罪事件が少なからず発生していることを勘案すれば、実際には痴漢行為をしていない人物の手を安全ピンで刺して、その人物が反応したところを痴漢だとして告発し、「何もしていない者の手を刺すわけがない」などと言い出す者が出る恐れもあり、それは傷害や暴行だけでなく他の犯罪にも当たる行為なので、濫用の恐れに触れず、単に「安全ピンで刺す」だけを強調して肯定するのもいかがなものかと感じる。


 自分はこれまでこの話題について積極的に触れる気はなかった。全面的に肯定できる話でもなければ、全面的に否定できるような話でもないことを多くの人は分かっているのだろうし、一部の極端な全面肯定・否定派は、それぞれ自分の見解と異なる主張を受け入れる気などさらさらないだろうから、そんな人達に絡んだところで暖簾に腕押しにしかならないと感じたからだ。
 では何故今日の投稿でこんな投稿を書いているのかと言えば、スタンプ製造メーカー・シャチハタから「シヤチハタで痴漢撃退? 「ジョークではなく、本気です」」(BuzzFeed Japan)という話が出てきたからだ。SNSなど一部で「安全ピンで刺すのでなく、痴漢されたらスタンプを押せばどうか」というような主張があるそうで、シャチハタのツイッター公式アカウントが、暗にそれ用のスタンプの商品化を示唆する内容のツイートを行い、肯定的な反応が寄せられているそう。個人的には、どちらも積極肯定するつもりはないが、その2択で考えれば、どちらかと言えば「痴漢の手にスタンプを押す」よりも「安全ピンで刺す」方を推進するべきだと考える。

 何故「痴漢の手にスタンプを押す」よりも「安全ピンで刺す」方を推進するべきと考えるのか。それは、他人の手を安全ピンで刺す行為とスタンプを押す行為を比べた際に、スタンプを押す行為の方がよりハードルが低いからだ。冒頭でも書いたように、安全ピンで刺す行為は防衛手段でもあるが、冤罪をでっち上げる為に悪用できる側面もある。ただ安全ピンで刺すという行為に及ぶには相応の覚悟のようなものが必要で、勿論そういうことを何とも思わずにイタズラ感覚で出来てしまう人もいるにはいるが、それでも、赤の他人の手にスタンプを押すという行為よりは、安全ピンを突き立てる行為の方がハードルが高いと言えるだろう。
 勿論そのハードルの高さの所為で、実際に痴漢被害に遭っても安全ピンで刺すなんて出来ないが、スタンプを押すことくらいなら出来るという人もいるだろうから、そういう人が自己防衛の為に安全ピンでなくスタンプを携帯することや、実際に使用することを否定するつもりはないが、他人の手にスタンプを押すという方法を気軽に推進すると、イタズラやでっち上げに悪用する者を不要に生み出しかねない恐れもあるように思う。だから「スタンプを押す」よりも、ある程度の覚悟を持たなければ実行し難い「安全ピンで刺す」の方を寧ろ推進するべきだと考える。

 BuzzFeed Japanの記事には次のような表現がある。
 痴漢を安全ピンで刺すことについて、ネット上には「過剰防衛」を懸念する声もあり、相手を傷つけることなく証拠を残す手段として「シヤチハタ」に注目が集まっています。
このライターは「安全ピンで刺す」ことは相手を傷つけるに該当し、「スタンプを押す」は相手を傷つけるに該当しない、というネット上で示されている見解を妥当と考えているようだが、果たしてその認識は適切だろうか
 例えば、誰かの家の塀を勝手に壊せばそれは器物損壊になるだろう。これは「安全ピンで刺すことは相手を傷つけること」と同じような話だ。もし「スタンプを押すは相手を傷つけるに該当しない」という話が正しいなら、誰かの家の塀に落書きをしてもそれは基本的に器物損壊に当たらないということになりそうだ。しかしそんなことはなく、落書きで器物損壊罪に問われる場合は確実にある。多くの場合器物損壊罪に問われる恐れがある。つまり「スタンプを押す」行為だって正当性が認められなければ、汚れを他人に故意につけたことになり、相手を傷つける行為に該当する恐れはあるだろう。
 記事には以下の表現も含まれており、
 声をあげることのできない女性たちに有効な反撃の手段を確保しつつ、冤罪を防ぐ。両面への配慮が求められます。
このライターが冤罪への配慮を全くしていないとは言わないが、それでも、「スタンプを押す」は相手を傷つけることに該当しないかのような表現をしてしまっているのも事実で、それは誤解を招きかねず、場合によってはイタズラやでっち上げを助長してしまう恐れがあるのではないか。


 そのような点が気になったのが、当初触れるつもりのなかった「痴漢されたら「安全ピンで刺す」は正当防衛か傷害罪か?」という話について書いた主な理由だ。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。