NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~」が8/17に放送された。NHKは、この拝謁記を昭和天皇実録に記載のない事柄が多く書かれた重要な資料と位置付けており、「昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB」も公開している。同サイトには番組で描かれていた内容の多くが掲載されている。
同サイトによると拝謁記とは、戦後、初代宮内府(現宮内庁)長官となった田島 道治氏による、昭和天皇とのやりとりの記録で、田島氏はこの記録を公開するつもりはなかったようだが、晩年彼がこれを処分しようとしたのを親類が説得して引き継ぎ、更にそれを引き継いだ孫の手によって公開されることになった資料だそうだ。8/15の投稿で「人は好ましくないと思う事を語りたがらない」ということについて書いた。この記録の中に、昭和天皇や自分らの紹介したくない一面が記されている、と田島氏が考えていたかは定かでないが、これも似たような話だろう。
NHKは、8/19にこの拝謁記の一部を公開したそうだ。これを受けて他のメディアもそれに関する記事を掲載している。公開された記録を全て掲載している記事等をWEB上には見つけられなかったが、佐賀新聞は「初代宮内庁長官の昭和天皇拝謁記 詳報」という見出しでその概要を掲載している。但しこれも抜粋であり、公開された記録を網羅しているわけではなさそうだ。
NHKが放送した番組や他メディアが掲載した記事を読んで、NHKスペシャルの切り出し方はやや恣意的に思えた。同番組では主に、天皇の同義的な戦争責任・責任と退位問題・サンフランシスコ平和条約発効式典での「おことば」の内容を検討する過程などにスポットを当て、昭和天皇が感じていた責任と反省、そして苦悩する様子などを描いていた。見た感想は人それぞれだろうが、自分にはそのように見えた。昭和天皇の印象が悪くなるような部分が全く排除されていたわけではないが、佐賀新聞の抜粋の中にある
私ハ実ハ無条件降伏は矢張りやはりいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸ちょっとこちらが勝つたような時ニ其時を見付みつけたいといふ念もあつたという敗戦についての発言や、琉球新報が「一部の犠牲やむを得ぬ 昭和天皇、米軍基地で言及 53年宮内庁長官「拝謁記」」という記事で取り上げている
基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話など、戦争やその犠牲などについて、どこか他人事で無責任にも思える部分はあまり取り上げられず、やや美化されて描かれていたように感じられた。また、NHKスペシャルが取り上げた部分は拝謁記の一側面・一部分であり、同記録の全体像が取り上げられたわけでもないのに、番組タイトルがあたかも拝謁記を全面的に取り上げたかのようなニュアンスになってしまっているのも残念な点だ。
但し、一応確認しておくが、番組の内容が全く不適切ということでは断じてない。
同番組が大きくクローズアップしていた、サンフランシスコ平和条約発効式典での「おことば」の内容を検討する過程を見ていて感じたのは、天皇の地位は、戦前は国家元首であり統治者、戦後は象徴ということになってはいるものの、それはあくまでも建前であって、結局戦前も戦後も実際には大差がなさそうだということだ。
同記録には、平和条約発効式典でのおことばの草案は昭和天皇自身が考えたものでないことが示されている。文面の検討には当然昭和天皇の意向も反映されているものの、昭和天皇と田島氏が検討していた文面について、吉田首相などが注文を付けたそうだ。前述のNHKのサイトの「こだわった「反省」の言葉」というページでも、戦争への悔恨 一節全体削除と紹介している。これを見て思い出したのは、「日本のいちばん長い日」(大宅壮一 編・半藤一利 著 / Wikipedia)で描かれていた、玉音放送の文面を閣議で検討している場面だ。玉音放送の文面も天皇自身が起草したものではなく、そして閣議で、特に海軍/陸軍大臣らが厳しく注文をつける様子が描かれている。
つまり、戦前から天皇は自身の思いを自由に示せるような地位にはなく、政治家らや軍がその権威を利用する為に担いでいる側面が多分にあり、それは戦後も大して変わっていなかったと感じられた。これを目の当たりにして思うのは、平成以降もしばしば天皇はおことばを述べているが、果たしてどれ程彼らの思いが反映されているのかは定かでないということだ。もしかしたら吉田首相と同様に、首相などがおことばの内容に注文を付けることが今もあるのではないか?という懸念を感じるし、最悪別の人が書いた文面を読まされているだけの恐れもあるということだ。
現天皇が今年の戦没者追悼式で述べた内容(BuzzFeed Japan「天皇陛下「過去を顧み、深い反省の上に立って…」戦没者追悼式で初のおことば(全文)」)と、同じく首相挨拶(令和元年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 首相官邸)を比較してみれば、天皇が全く意図しない文面を読まされている恐れは殆どないだろうが、現在の皇族や天皇が過度に政治的な発言を制限されている状況を考えると、もし今後そのような事態が起こったとして、彼らがそれに毅然と抗うことが出来るかには不安もある。
あいちトリエンナーレの表現の不自由展などに関連して、一部に「昭和天皇のご真影を焼くなんてとんでもない」という主張がなされており、8/7の投稿でも紹介したように、政治家の一部にもそんな見解を示している者がいる。昭和天皇に限らず誰かが写っている写真を焼く行為や、焼いた写真をパフォーマンスとして披露するのは、確かに過激な行為だが、拝謁記に垣間見る昭和天皇の戦争に対してどこか他人事で無責任にも見える発言や、敗戦直前に日本に原爆が投下されたことについての、
昭和天皇が広島に原子爆弾が落とされた事について「遺憾には思うが戦争中であることですから広島市民には気の毒だと思うが、やむを得ない事とわたくしは思ってます」 pic.twitter.com/fab9Xt2eIh— Lawrence (@stehoriado) August 6, 2019
こんな発言を目の当たりにしたら、写真を焼くような過激なパフォーマンスもある程度容認できるのではないか。
あたかも「天皇の写真であるから焼いてはならない」かのようなニュアンスで批判・否定することには、少なからず天皇を神聖視する側面があるだろうし、特に政治家が天皇を神聖視しているような発言をすることには、また別の問題もあるだろう。天皇を神聖視するような感覚を、特に政治家が披露することは、戦前回帰の風潮と言われても仕方がないのではないだろうか。
この投稿で挙げた3つの要素を勘案すると、個人的には「こんなことになるなら、敗戦と同時に天皇制自体を廃した方がよかったのではないか?」とも思う。昭和天皇の戦争責任云々は別としても、天皇を不可侵の権威のように扱い、政治的に利用しようとする者が今後現れかねないと懸念するからだ。というか、今年の改元にまつわる政府の動きを見ていると、既にそのような風潮が高まっているようにすら思える。
今後も天皇制の存続を望む人達こそ、そのような風潮を批判し否定するべきではないのか。もし近い将来、再び1930-40年代のように政治家らが天皇の権威を悪用するようなことが起き、太平洋戦争のような過ちが繰り返されてしまえば、天皇制廃止論が高まる大きなきっかけになるだろうからだ。つまり、天皇を神聖視し不可侵な存在とするような風潮を高めれば、最終的には天皇制を廃止に追い込むことになりかねない。天皇の神聖視・不可侵性を主張することは、彼らが守りたい伝統を断絶に追い込む恐れがある。
トップ画像は、File:Hirohito Signing.JPG - Wikimedia Commons を加工して使用した。